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【9】-1

 送り迎えは光がすると約束したのに、朝だけは清正も一緒に家を出たがった。いつの間にか、毎朝三人で電車に乗るのが習慣になっていた。 「どう考えても、俺はいらない気がするんだけど」  清正が一緒に出て汀を連れて行くのなら、光が付いていく必要はないはずだ。 「まあ、いいだろう。三人で出かけると楽しいし」 「ひかゆちゃん、いっちょ」  込み合う車両の中でこそこそと小声で会話を交わしながら、三十分近い距離を電車に揺られる。汀と清正が楽しそうにしているので、まあいいかと思って付き合うことにした。  近くまで行ったついでに自宅から必要なものを持ち帰ったり、薔薇企画に用事があれば寄ったりもできる。  光にとっても朝一で出かけることは、それなりに都合がよかった。  電車が止まる度に駅の名を知りたがる汀に、小声で一つ一つ教える。ひらがなをいくつか覚えたのか、読める字を見つけると嬉しそうに目を輝かせて繰り返した。  A駅で降りると、清正はそのまま会社への路線に乗り換えてゆき、光と汀は改札を出て隣接するビルにつながる広いデッキを渡った。  通勤時間ということもあり、保育所の中もちょっとしたラッシュ状態だ。  エレベーターを降りたところで、慣れた汀は光に手を振って一人で駆けてゆく。強化硝子の扉に消える背中を見送ると、光も早々に混み合うホールから立ち去った。  必要な連絡は汀のリュックに入れたノートに清正が書いている。スタッフと会えなくても特に問題はなかった。  帰りの電車に揺られながら、小さな背中を思い出して、あのリュックはそろそろ限界かなと考えた。紐で上部を絞って開け閉めする巾着タイプのものだが、キルティングの糸がほつれているし、紐の長さも今の汀には短くなっていた。  手が空いた時に新しいものを作ってあげたい気がした。  ただ……。  窓の外を流れる景色に自分の顔が重なる。その顔と「よく似ている」と言われる人のことを思い浮かべた。  あのリュックは手作りで、作ったのは朱里という人だ。汀の母親で、清正の妻だった女性。  その人に、光は会ったことがない。  清正たちは式を挙げなかったし、結婚していた期間も短かった。だから会いそこねた。  そういうことになっている。  ほかの友人たちはいつの間にか新居を訪ねていて、口々に清正の妻は美人だと言い、光に似ていると言い、きっと清正の好みの顔なのだと言って笑っていた。  汀がとても可愛いという話も人伝手に聞いた。  会いたい気持ちはあったはずなのに、光は一度も会いに行かなかった。清正も光に「遊びに来い」と言わなかった。  就職したばかりで忙しいと言っていたからかもしれない。  そして、会わない間に朱里と清正は別れていた。

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