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【13】-2
駅まで、十分と少し。
早めに家を出て、手をつないでのんびり歩いた。
幼稚園の前を通る時、砂場を見つけた汀が足を止めた。遊びたそうにじっと見ている。
「水族館、行くんだろ」
黙って頷くけれど、歩き始めてからもちらちらと砂場を振り返る。こんな時、清正はどうしていただろうと考えて、なぜか古い記憶がよみがえった。
『光、明日また来よう』
林の中でどんぐりを抱えた光の頭を、そう言って清正は撫でた。夕暮れが迫って、あたりは暗くなり始めていた。
清正が少し困った顔をしていたのを思い出す。
清正の言葉を真似て言ってみた。
「汀、明日また公園に行こうな」
頭を撫でてやると、汀は一度光の顔を見上げ、すぐに前を向いて歩き始めた。
駅について階段を上がると、改札前のコンコースに女性の姿があった。
「ママ!」
「汀!」
駆け寄った小さな身体を抱き上げて、朱里がぱっと笑った。
「四歳、おめでとう」
汀がキャッキャッと笑う。光は離れて、その人を見ていた。
綺麗な人だ。
想像していたよりも、ずっと。
光と目が合うと、朱里が頭を下げた。
「今日は、どうもありがとうございます」
光も軽く会釈を返した。視線を上げると、朱里が笑っていた。
「似てないわ」
「え……?」
「清正くんのお友だちに何度か言われたんです。私とあなたが似てるって……。でも、あなたのほうがずっと綺麗」
光は首を振った。
違う。逆だよ、と思うが、言葉がうまく出てこなかった。
「ひかゆちゃんも、くゆ?」
朱里に抱かれたまま、汀が光を振り返る。
「行かないよ」
短く答えると、汀はガッカリした顔になった。
「汀、今日はママとデートでしょ? デートは二人でするのよ?」
おしゃれしてきてくれて嬉しいと言って、朱里が汀の頭を撫でる。薬指に嵌めた指輪の石がキラリと光った。
その左手で、肩にかけたトートバッグを器用に探って小さな袋を取り出し、こちらに差し出す。
「これ、よかったら食べてください。うちの近所の和菓子屋さんのなんですけど、とっても美味しいんです」
「どややき?」
「そうよ」
夕方、駅に着いたら電話をすると言われて、改札の中に消える二人を見送った。
細い背中が見えなくなってから、スマホの番号を交換していないことに気付いたが、上沢の家にかけてくるだろうと思ってそのままにした。
「清正くん、か……」
清正をそんなふうに呼ぶのか。
静かで優しそうな人だったなと、振り返る。
清正と付き合っては別れる女性たちを、光はどこかで恐れていた。
清正を失っても生きてゆける彼女たちは、光よりもずっと強くてたくましい人間なのだと、勝手に思い込んでいた。
強くて、心がない、どこか記号のような存在。けれど、実際に会ってみれば、朱里はごく普通の優しそうな女性で、まぎれもなく、汀の母親だった。
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