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【14】-4

 松井はまだ、汀に謝っていない。  謝って済むことではないが、それでも謝れと松井に言うつもりだった。  光を無視して生垣の向こうへ回りかけた松井を遮るように、ふいに清正が姿を現した。 「あ、七原さん……」  買い物袋を抱えた清正が、アプローチと庭の間に立って怪訝そうに眉を寄せている。 「何の用ですか」 「あ、あの……、近くまで来たから、また一緒に食事でもと思って……」 「食事ならお断りしたはずです」  清正は嫌悪感を隠さなかった。 「家にまで来るなんて、どうかしている。度を超すようなら、警察に相談します。うちには小さい子どももいますから」  警察という言葉に、松井が動揺を見せた。「私は、別に……」と口の中で呟く。  その松井から光と汀に視線を移した清正が、急に表情を険しくした。 「汀に、何をした」 「な、何もしてないわよ」 「言えよ! 何をしたんだ!」  崩れた砂やベンチの上に不自然に置かれたスケッチブックを見て、清正が光に聞いた。 「光、この女、ここで何をしてた」 「汀のケーキを……」  汀がようやく完成させた三段タワーの砂のケーキを、光が見る前に壊したのだと、何度か言い直しながら説明した。  思い出したように、再び汀が泣き始めた。  その気持ちには光も覚えがあった。  思い出せば、いつまででも辛い。忘れていたいのに、きっと一生忘れられない。  心の傷は何度でも、いつまででも開くのだ。  抱き上げて、震える背中を黙って撫でた。    清正の声は氷のようだった。 「どうして壊す必要があった。そんな場所に立って、何をしてた」  松井の身体がギクリと強張る。買い物袋を青いベンチ置いて、清正が光に言った。 「堂上に連絡を取れ」 「社長に? なんで?」 「いいから。すぐに連絡しろ」  突然、松井が清正を突き飛ばして、庭から逃げようとした。清正は松井の腕を掴んで、鬼のような形相で睨みつけた。 「動くな!」  松井はうなだれた。  化粧の上からでもわかるほど顔は真っ青だった。  仕事用の番号にかけても堂上は捕まらず、ずっと前に知らされていた個人用の番号にかけると、こちらはすぐに応答があった。 『光からこの番号に掛けてくるなんて、初めてだね。何かあった?』  清正に言われてかけたと言うと、すぐに「代わって」と言われた。  清正と堂上がつながっていることに軽く驚く。二言三言やり取りをしただけで、清正はスマホを光に返した。 「今から、井出って人が来る」 「井出さん? なんで?」  光には意味が分からなかったが、松井は明らかに動揺していた。清正の腕を振りほどき、何かを隠すように手の中のものを抱え込んだ。 「隠しても無駄だ。堂上と話すのが嫌なら不法侵入で警察に訴える。その時は所持品も検査してもらうから」  清正が右手を差し出し「スマホ」と言った。松井は後ずさりした。手の中のスマホをぎゅっと握りしめている。 「まさか……、また、盗んだのか……」 「だぶんな。最初から盗もうとしてここに来たのか、たまたま俺の家を覗いただけなのかは知らないが、光のスケッチブックが放置されてるのを見て、何をしたかは想像できる」

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