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【14】-5
絵具を乾かすために開かれていたスケッチブックを見つけ、それを撮影しようとして砂場に足を踏み入れたのだと清正は言った。
「ずいぶん慣れてるようだな」
人のデザインを盗むことに。
光はぞっとした。
汀の手を握りしめ「……何がしたいわけ?」と呟く。
松井は憎しみを込めた目で光を見下ろした。
「此花みたいな奴に、何がわかるのよ」
「俺みたいな奴?」
ぎゅっと唇を噛んで、松井は光を睨んだ。
「あんたは……、息をするみたいにデザインを生み出す……。高い評価も簡単に手に入れる。天才なんでしょうね。でもね、でも、私だって……」
薔薇企画のチーフデザイナーとして、何年もブランドを支えてきた。主力商品も担当してきたし、広報的な対応にも力を注いできた。
評価もされていたはずだ。顔や名前を出して注目も集めた。自分のデザインは、繊細で美しいと、毎週のように来店する客の何人かにいつも褒められたと、顔を歪めて自分の業績を数え上げた。
光はうんざりした。
「バカじゃないの? 一部の、身内みたいな素人に褒められて、だからなんなんだよ。そんなんで喜べるうちは、素人だろ」
「なんですって?」
「あんたのデザインは、押しつけがましいんだよ。おしゃれでしょ? ステキでしょ? こんなに素晴らしいデザインを生み出す私ってすごいしょ? そういう嫌らしさが、そこらじゅうに張り付いて、鼻がもげそうなくくらい、ぷんぷん匂ってくる」
「な、な……」
いちいち「私」という自己主張が顔を出す。認めろ、褒めろと言っているようなデザインだと、言葉も選ばず、ずけずけと言った。
「うっとおしいんだよ」
松井の顔が憎しみで歪んだ。
「買い手にとっては、誰がデザインしたかなんてどうでもいいことだろ」
雑貨は、何代目誰それと名の付く職人や芸術家やハイ・ブランドのデザイナーの作品とは違う。
ラ・ヴィ・アン・ローズの客は、誰のデザインかなど気にしていない。
たまたま女性誌などに取り上げられて注目されたとしても、そんなものはただの広告と同じだ。ひと月も経てばデザイナーの顔など忘れられる。
「あんたが思うほど、デザイナーの存在なんか気にしてない。その商品が使いやすいかどうか、身の回りに置きたいかどうか、商品そのものが気に入るかどうか。それで、買うか買わないかを決めてるだけだ」
デザイナーを褒めるために雑貨を買う人間なんていない。
「あんたは、何のためにモノを作ってんの? 作るのが好きだったり、いいものを作って、人に喜んでもらいたいって思ってたんじゃないの? いつから人のデザインを盗んでまで『自分が』褒められたいとか、目立ちたいとか思うようになったんだよ」
「わ、私は……」
まだ何か言おうとする松井に背を向け、光は汀を抱き上げた。
何かを作るのが好きだとか楽しいという純粋な気持ちは、もう松井にはないのだろう。ただ自分という人間をまわりに認めさせ、人から褒められたいという承認欲求しかないのだ。
マウントを取って、承認欲求を満たして、「プロのデザイナー」という肩書に酔いしれたいだけだ。
十五分ほどで井出はやってきた。
清正は松井のスマホを彼に預け、「堂上に渡すまで、絶対にこの女に触らせないでください」と言った。
「オッケー」
親指を立てた井出は、清正を見上げて「あれ?」と目を瞬いた。
「きみって、確か淳子さんの元彼さんだよね?」
「違います」
「え? あれぇ? 違うのぉ?」
こんな長身の男前、そんなに大勢いるわけないんだけどなぁと首を傾げ、何度か松井と清正を見比べていたが、「まあいいや」と言って井出は頷いた。
「スマホのことは、社長からも言われてるからね。任せて」
何があっても絶対に触らせるなと念を押す清正に、「ダイジョブ、ダイジョブ。心配しないでー」と軽く請け合って、井出は門の外に待たせたタクシーの助手席に乗り込んだ。
後部座席に松井が押し込まれる。汀を抱いて立っている光を見て、井出が言った。
「社長から、特別手当てを超弾むって言われちゃったよ。そういうことならパシリも大歓迎」
上機嫌な井出と、悔しそうに顔を歪める松井を乗せて、黄色い車体のタクシーは上沢の家を去っていった。
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