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【17】-1
夕方、汀を迎えに行った清正は、この日も駅のコーヒーショップで朱里と話をしてきたようだった。
帰宅するとショップの焼き菓子を光に手渡し、なんでもない声で「お土産」と言った。
汀は嬉しそうに、朱里と出かけたミニ動物園の話をし、帰りに清正と朱里と、三人で入った店の話をした。
ミルクにくまの絵が浮かぶココアを飲んだと、身振り手振りで教えてくれた。
空色のリュックを背負ったままで。
きゃっきゃと笑う汀の背中で、それが小さく揺れていた。
「よかったな」
光は汀の背中から青いリュックを降ろした。
清正と朱里が一緒にいれば、汀には何より嬉しいことに違いない。そう思うのに、どこかで胸のつかえを感じて、自分の身勝手さをひそかに恥じた。
翌日はよく晴れた日曜日で、午前中は汀を公園に連れてゆき、午後は庭で過ごした。砂遊びへの興味はもう失ったのかと思ったが、何日か経つと、汀はごく自然に庭の砂場に座って穴を掘っていた。
小さな手を動かし、山を作ったり、型抜きを組み合わせて城らしきものを作ったり、時々砂から離れて、横の土を丸めて泥団子を作ったりしていた。
自分の手はどんなものでも作り出せる。
その歓びを汀は忘れていなかった。
暦が「雨水」に変わると、その名の通り、凍っていた庭に水の光がきらきらし始めた。
パンジーやビオラやノースポールの株が大きくなり、眠りから覚めた水仙やクロッカスが、順番を競うように次々花を咲かせた。
春の息吹が庭に満ちてゆく。
夜、銀細工の最後の調整をし、おびただしいほどの大量の薔薇を、前後左右から繰り返し眺めた。
ほんの少し花の位置を変え、じっと見つめて手を離す。
そして静かに一度頷いた。
満ち足りた笑みが顔に浮かぶ。
零れるように咲き乱れる薔薇の花。
ずっしりと重いほどの存在感があり、同時に羽根のような軽やかさで咲いている。生きた花の美しさが銀細工に宿っていた。
運搬用の桐箱に緩衝材とともに丁寧にそれを詰め、憑き物めいた何かが身体からすっと抜け落ちてゆくのを感じる。「できた」という満足感と「間に合った」という安堵が、風通しの良くなった心を吹き抜けていった。
翌朝、汀を起こす前の日課になったキスをして、耳元で清正が囁いた。
「この前からやたら一生懸命作ってたやつ、終わったみたいだな」
「え……?」
「銀色の、えらい細かい花を山ほど作ってただろ」
「うん」
できたよ、と笑うと、もう一度小さいキスをして、「おつかれさん」と髪を撫でた。
仕事の制作物とコンペ作品は並行して作業をしていた。
よく銀細工に気付いていたなと思う。
「おまえのまわり、ずっと、鬼気迫るオーラが漂ってた。今朝はそれがスッキリしてる」
そんなだったかと乾いた笑いを漏らし、首をかしげる。
光の身体を包むように抱いた清正が、ゆっくりと背中を撫でた。指先でくすぐられると、身体の芯に甘い疼きが生まれた。
「俺も一つ大きな仕事が片付いた。今日は早く帰れそうだ」
「そ、そっか……」
心臓がドキドキと騒ぎだす。どうしていいかわからず、どぎまぎしていると、清正がふっと笑った。
耳に息がかかり、背中がぞくりと粟立った。
「そろそろソファやラグの上じゃないとこ、どっか考えような」
「え……」
「さすがに、あそこで処女をもらうわけにいかないし」
「な、何をもらうって?」
「光をもらうんだよ。全部、俺のものにする」
それからまた唇を重ねて、短く啄んだ。
「これじゃ朝の作業が全然進まないな」
「そ、そろそろ、汀を、起こしてくる」
ドキドキする心臓を宥めて、清正の腕の中から逃れた。
何をもらうと言ったのかよくわからなかったが、それが甘いキスの延長線上にあることだけはわかった。
汀が起きてくると、いつも通りの朝が始まる。バタバタと賑やかに走り回りながら、汀に食事を取らせ、出かける準備を手伝った。
今日の予定を聞かれて、秩父に行くと言うと、朝は清正が一人で連れていくからいいと言ってくれた。
汀も「よんしゃい」と親指以外の指をしっかり四つ立て、光がいなくても大丈夫だと得意げに胸を張った。
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