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【17】-3

 工房を二つ回り終えた後、少し早いが、そのままクルマを走らせて汀を迎えに行った。  保育所のある階までエレベーターで昇り、無言のまま会釈をして汀を引き取る。 まだ昼寝の時間になっていなかったが、無言のやり取りが習慣になってしまって、何を言っていいのかわからなかった。  エレベーターに乗り込むと汀が聞いてきた。 「ひかゆちゃん、よいおもろしゅってなあに?」  よいお……? なんだ?   なんと言ったのか上手く聞き取れなくて、「もう一回言ってみ」と促した。 「よいお、もろしゅ」 「ヨイオ、モロシュ?」  光は眉間に皺を寄せた。  全く見当がつかない。そもそも何語なのかもわからない。  「誰が言ってたんだ? その『ヨイオ、モロシュ』って」 「ほいくしょの、しぇんしぇーたち。みぎわに、ゆったの。パパとママ、よいおもろちてよかったねって」 「パパと、ママ……?」  パパとは清正のことだろう。  ママというのは、誰のことを言っているのだろう。朱里が汀の保育所に行く機会があったとは思えない。  ヨイオモロシュ、ともう一度口の中で繰り返してみる。  ヨイオ、モロチテ、ヨカッタネ。  ふいに言葉が形を結んだ。  ――よりを戻してよかったね。 「汀……?」  どういうことだろう。 「先生たち、汀に言ったのか? パパとママがよりを戻してよかったねって……」 「うん」 「ほかの子に言ったんじゃなくて?」 「みぎわにゆったの。しゃっき。よかったねーって」  にこにこしながら、汀が見上げてくる。光は何が何だかわからないまま「そうか……」とだけ答えて頷いた。  よく、意味が分からない。  駅につながる大きな陸橋を渡り、地下駐車場に停めたクルマに向かいながら、光は頭の中で懸命に言葉の意味を掴もうとした。  パパと、ママがよりを戻して……。  清正と、誰が? よりを戻すというのは何を意味する?  清正と……。    相手は一人しかいない。汀がママと呼ぶ人も一人しかいない。「よりを戻す」という言葉が頭の中をぐるぐる回転した。

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