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【20】ー5
「それどころじゃないって……。あ、そうか。さっきの話? 清なんとかのところの、なんとかって……」
友だちの子どもがいなくなって探している。松井は一度、その友だちの家に来たことがあるので心当たりがないか聞いたのだと短く説明する。
「え! それってこの前のイケメンくんの家でしょ?」
そういえば松井を迎えに来たのは、この井出だった。
「あの可愛い子が行方不明なの?」
「汀っていいます」
「そうか。それは、心配だね。淳子さん、イケメンくんのストーカーになりかけてたし」
井出は心配そうに眉を寄せた。
「だけど、今日は、それこそ、それどころじゃないんじゃないかな、淳子さん……。淳子さんが誘拐するとしても、違う日にすると思うよ?」
不謹慎な言葉だが、井出の言うことには説得力があった。確かに今の松井の頭にコンペ以外のことはなさそうだ。
礼を言って踵を返す。
背中に井出の声が聞こえた。
「僕のほうで何かできることがあればいいんだけど……。何にしても、早く見つかるように祈ってるよ」
松井が関わっていないなら、ほかに汀を狙う者の心当たりはなかった。
しかし、通りすがりの犯行も否定できない。そのことを考えると、身体の芯が恐怖で凍り付くようだった。
汀自身が自分でどこかへ行こうして迷子になっただけならいい。そうであってくれと願う。
それでも、きっと心細い思いをしているはずだ。そう思うと早く見つけてやりたかった。
保育所の周辺であれだけ人が動いても目撃情報がないなら、駅から電車に乗ったと考えたほうがいいのかもしれない。
保育所のあるA駅はターミナル駅になっていて人の乗り降りが多い。汀一人の動向を駅員が記憶しているか心配だったが、ほかに手だてもなく窓口で聞いてみた。
迷子の情報は届いていないと言われたが、ちょうどホームから窓口に戻ってきた駅員が、それらしき子どもが改札を抜けていくのを見たと言った。
「大人と一緒に改札を抜けたので、声を掛けることはしなかったんですが……」
あまり親子のように見えなかったので、なんとなく目で追っていたという。
すると、その子どもは、すぐ前を歩いていた大人とは別の方向に歩き出した。向かった方向に誰かいるのだろうと思ったが、もしかしたら、それが汀ではないかと言うのだった。
スマホの写真を見せると、顔までははっきり記憶していないが、背格好や年頃は近い気がすると、首を傾げつつ頷いた。
「あと、この青いリュック……、たしかこんなのを背負っていたような気がします」
手作りにしては垢ぬけたデザインだと思って、なんとなく覚えていたと言う。
駅員は「下りホームへの階段を下りていきました」と続けた。
やはり家に向かったのだ。
光は礼を言い、汀の運賃を支払ってから、改札を抜けて下りホームに降りていった。
上沢までに車内では、窓の外を流れる景色を睨むように見ていた。
駅を通過するたびに、毎朝小声で汀に教えた駅名が目に入る。
文字を覚え始めた汀は、知っている字を見つけると真剣な顔でその文字を口にしていた。
汀が読めるのは「み」と、少し怪しいが「き」、それに「ひ」の三つだけだった。「みぎわ」の「み」と「きよまさ」の「き」。それと「ひかる」の「ひ」。
ちょうど「平瀬」という駅を通過し、汀が小さな声で「ひ」と呟いた姿が瞼に浮かんで泣きそうになった。
早く見つけてあげたい。
汀の行方が確認できなくなって、三時間が経とうとしている。
一人でいるならどんなに心細いだろう。
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