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第8話

 中途半端に触られたから、苦しい。色々苦しい。でも、『待て』と言われたから、待たねぇと。小焼が『よし』と言うまでは待つって、自分で言いだしたことだから。  車に戻ったら続きして……くんねぇよな。わかってた。軽く蔑んだような目で見られて、背中をゾクゾクが滑り落ちていく。駄目だ。視線だけでも、なんか、やばい。  そっぽ向かれた。  外を眺めてる小焼の横顔は綺麗だ。美術館に飾ってある彫刻みてぇに鼻が高いし、何て言うんだっけ、Eラインだったかなんか、そういう黄金比的なやつがある。日本人とイギリス人のハーフ……じゃねぇな。小焼のじいちゃんはオランダ人で、ばあちゃんがイギリス人だったっけ? じゃあ、クォーターか? わかんねぇやもう。とにかく綺麗だってことしかわかんねぇ。 「私を見てないで進んでください」 「ん。わかった」  見てんのバレてたか。ちょっと恥ずかしい。  まっすぐ前に向き直って、サービスエリアを出る。もうこのまま一気にパークまで行けるはずだ。おしっこ漏れそうとかそういうことが無い限り。  コーヒーも飲んでねぇし、今日は大丈夫。だと思う。いや、おれのエクスカリバーは元気になっちまってんだけど、インパの後はホテルに行くってことになってるし、そこまで我慢がまん。おあずけされてんのも、そこでいっぱい愛し合えるようにって小焼の配慮だと思う。不器用な優しさなんだ。そう思っとく!  ここで小焼のスマホが軽快な着信音を鳴らす。おれのほうを見たから黙って頷いておいた。誰からかかってきたんだろ? 「今、デート中なんで、後にしてもらえますか?」  嬉しい! デート中って言ってくれた! おれのこと、きっちり恋人でパートナーだって認めてくれてるんだ。嬉しい! そりゃセフレは嫌だって言うくらいだから、恋人になれてるとは思ってたけど、こういう発言を聞くのは初めてだから、すっげぇ嬉しい! 顔がにやけちまう。 「は? 子供ができた?」  子供ができた? え? 誰の? 本当に電話口の相手は誰なんだ? 元カノか? え、え、小焼の子供ができたの? どうなの? 聞きたい。けど、聞ける空気じゃねぇよ。 「明日かけなおすんで、詳しく聞かせてください。では」  ――ピッ。  無機質な音と共に通話終了。  小焼は溜息を吐いて、また外を見ている。高速道路だから景色は高い壁で遮られてんだけど……どういう気持ちで見てんだろうか。  子供ができたってのも聞きたいし。どうしよう。聞いて良いのか? 「言いたい事があるなら言え」  おれのほうを見向きもせずに彼は言う。  どうしよう。聞くか? でも、本当に、電話の相手が小焼の元カノで、その元カノに子供ができたって連絡だったら……? おれは、どうしたら良い? 小焼は、子供が、欲しい、んだよな? おれと一緒にいても自分の子供はできねぇし……、どうしたらいいんだ? おれ、どうしたら、小焼と一緒にいられる? 好きなだけじゃ、駄目、なのか?  考えだしたら、頭がグルグルして、ぐちゃぐちゃになってきた。あー、駄目だ。今運転してんだから、落ち着かねぇと。今朝もこうなってんのに、今日はずっとこうなっちまう日なのか? 落ち着かねぇと、おれも小焼も危ない。  いっそ、このまま心中したら……?  何考えてんだバカ! そんなの、誰も幸せになんねぇだろ! 「電話の……相手って、女か?」 「そうですよ」 「そ……っか……」  電話の相手が女ってだけで、もう、良いや。  息があがる。落ち着かねぇと。息が乱れる。駄目だって。手が痺れてきた。 「何考えてるか知りませんが、いとこですよ」 「へ? いとこ?」 「そうです。会ったことありませんでした? うちのブランドショップのスタッフをしているんですが」 「あ、あー! ある! あの、ピアスがばっちばちにあいてる、ジェンダーレスの子か!」 「そうです。3カ月前に彼氏ができたと聞いていたんですが、今妊娠4カ月らしく……おかしくないですか?」 「おう。付き合う前にヤッてんのかな」 「あいつはビアンだったはずなんですが、いつの間にちんこに負けたんでしょうか」 「その言い方どうかと思うぞ」  小焼は少し不機嫌そうだ。どこに対して怒ってんのかいまいちわかんねぇけど、いとこなら、安心だ。  おれの不安は全くもって関係無い。大丈夫そうだ。 「まあ、明日詳しく話を聞いておくので……。夏樹って、産婦人科は?」 「おれの専門は内科と整形外科だって言ったろ! あと、薬学! 産婦人科は駄目!」 「そうですか。しかし、一般人よりは知識がありますよね? 栄養士なんですから、丈夫な子を産むためにどうにかしてやってください」 「わかった」  不機嫌だと思えば、少し明るくなった。けっきょく、小焼はどう思ってんだろ? 不器用な優しさは伝わってくる。  その後は、いとこについての話を聞いた。  小焼のいとこはジェンダーレスの服装をしていて、レズビアンだったらしい。それが、ちんこに負けたって小焼は言っている。その言い方はどうなんだって思ったけど、なんか漫画で吸収した単語なんだと思う。小焼は、日本語を勉強するのに小説や漫画を読んでいた。……だからって、エロ漫画を小学生が読まないか? あー、でも、両親が渡してそう。なんも言えねぇな! おれにはいとこがいねぇから、ちょっと羨ましい。  そうこうしている内に、テーマパークに着いた。  車を停めて、入場ゲートに向かって歩いていれば、ちょうど開園時間ぴったりだ。  続々と人の群れが可愛い門を抜けていく。 「チケット買っておきましたので、このままゲートに行きましょう」 「おう。ありがと!」  小焼がオンラインでチケットを買ってくれたので、そのまま入場ゲートを通り抜ける。  ゲートの向こう側はハロウィンの装飾でいっぱいだった。大きなキャリーバッグをひいている人が更衣室に向かっていく。仮装するんだな。楽しそう。 「夏樹。良いもの売ってますよ」 「真っ先に首輪を買おうとすんなよ」 「似合うと思いますけど?」 「犬用だから! これ、犬用!」 「だから?」 「あ、ハイ」  口に微かに傾斜を描いて、小焼は首輪の支払いを済ませてきた。そんで、おれの首に巻き付ける。犬用だってのに。腰が震える。息が乱れちまう。 「『待て』」 「わ、わかってる……」 「わかってるなら、モノ欲しそうな顔で見ないでください」 「ん」  触って欲しい。頭撫でて欲しい。頬を撫でて欲しい。ああ駄目だもう。おれ、小焼に触って欲しくて堪んない。せめて、手を繋ぎたい。それぐらいなら、許してもらえるよな?

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