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第29話
タバコの煙で息が苦しい。正直言ってもう目当てのものは見れたから帰って良いと思う。だが、ここで帰るとこのバンドのファンに反感を買われそうで嫌だ。どうでも良いとは思うが、Nano♡Yanoのイメージが悪くなるのはまずい。少しでも悪いものがいれば、全体も悪いと思われる。ゴキブリ入りの料理を誰が美味しそうだと言うか。ゴキブリを退けたとしても、一度ゴキブリが入っていたらまずいものだと思うだろうに。そういう感覚に似ている。
夏樹は心配そうに私を見上げていた。改めて彼のちっちゃさを実感する。ライブハウスに来ている男は誰もが彼より背が高い。ヒールを履いていない女と同じサイズ感だ。骨格が男だから、あれだが……、女装して遠くにいたらぱっと見では女に見えるだろうな。実際に夏樹は「カワイイ」部類に入るし。
「小焼。大丈夫か?」
「大丈夫です」
「そっか。そんなら良かった。おまえがおれをじーっと見たまま動かねぇから何か伝えたいのかと思ったよ」
「ちっちゃくて可愛いと思いました」
「うっ、ちっちゃいって言うなぁ! 今におまえよりでっかくなってやるんだからな!」
「それは無理な話では?」
「無理って言うな! 無理じゃないもん!」
「急にぶりっこのような言い方やめてください」
素で言っているとは思うが、素で可愛いから困る。頭を撫でてやれば喜ぶから、それがまた可愛い。でへへっ、と破顔する姿が可愛い。ぎゅっと抱き着いて来る。こういうところではいちゃつかないはずだが?
擦りついてくる彼の体が熱くなってきている。発情期か? 犬の発情期って秋だったのか? と一瞬考えたが、夏樹は犬っぽいだけで人間だから、年中発情期のようなものか。
周りを見れば男女のカップルがいちゃついている。よく見れば隠れて手を繋いでいる女同士もいる。あれは仲が良いだけなのかそれともカップルなのかどちらかわからないな。ここでハグしている私達のことは周りにどう思われているのだろうか。周りは気にしないか。誰もがステージ上のアーティストを見るはずだし。
そうだとしたら、アーティストに失礼だと思う。きちんと歌を聞けと思うだろうに。少なくとも、私ならそう思う。
「ライブハウスって色んな人がいるんですね」
「おう! 楽しいだろ?」
「はい。楽しいです。で、いつまでくっついているんですか?」
「そろそろ離れるよ。こういうところでいちゃつくの嫌だろ?」
「嫌なのはお前のほうじゃないんですか?」
「うん。なんかさ、歌ってる人に失礼な感じすんだろ? まあ、こういうところでカップルでいちゃつくのはちょっと羨ましいけどな!」
やはりそう言うと思った。
バンド演奏の激しさが増す度に観客のボルテージも上がっていく。
夏樹が言っていたモッシュだとかいう行為をしている人達もいる。体をぶつけあって楽しいのか? おしくらまんじゅうしていると考えたら……楽しいかもしれない。少しやってみたいような気もしてきた。
「私もあれやってみたいです」
「え、モッシュか? あそこに入っていったら参加できると思うけど」
と、夏樹が言うので、モッシュをやっている集団に入ってみた。すごい勢いで押されたので、私も押し返してみる。思ったよりも相手がぶっ飛んでしまった。……悪いことをしたような気がする。だが、それも杞憂だったのか、すぐに押し返された。力加減しなくて良いのは楽しい。これなら傷つけずに済みそうだ。夏樹が挟まって「むぎゅっ」と鳴いていた。彼は小さいからすぐに潰されてしまう。私が抱えておいてあげないと。夏樹を挟んでぎゅむぎゅむしている間に曲が終わった。なんだか良い汗をかいたような気がする。こういうトレーニングがあっても良いかもしれない。ロックをBGMに……ぶつかり稽古か?
また曲が始まる。急に押された。またモッシュが始まったようだ。夏樹が潰されて「うぎゃっ」と言っている。
汗でTシャツが張り付いて、胸が擦れる。モッシュでぶつかられる度に軽く痺れてしまう。これはまずい。離脱したほうが良さそうだ。
それなのに、離脱できない。人波に押し流される。誰だ人の尻を揉んだやつは! ただの痴漢行為をしているやつがいる。捕まえないと。迷惑行為をするやつは許さない。……夏樹かもしれないんだが。
「夏樹、私の尻揉みました?」
「こんなとこで揉むかよ! いででっ!」
「じゃあ、誰が」
「小焼の尻はおれのだってのに!」
「私の尻は私のものです」
また触ってきたので手を掴んで捻り上げてやる。残念ながら私はこういうのに臆さない。
小太りの男だった。汗で白シャツが透けていて、なんだか気持ち悪い。とりあえずスタッフに引き渡しておいた。
警察沙汰にはしたくないので、テキトウに対処をお願いしておいた。こういうのは面倒臭い。せっかく良い気分でライブを見ていたのに、最悪だ。
バンドのアンコールは始まったがもうモッシュに加わる気にもならない。後ろでぼうっと眺めている間に終わった。
「そんじゃ、帰っか?」
「はい……」
夏樹が手を差し伸べてきたので、その手を掴む。
いつものように夏樹は笑った。
「尻触られて嫌だったんだろ? おれが上書きしてやろっか?」
「してくれるんですか?」
「えっ、あ、おう! 任せとけ!」
私の返事を期待していなかったのか、夏樹は驚いたように目を見開いていた。
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