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愛と勇気 4

ふんわり香る甘酸っぱいイチゴジャムの匂い、ほんのりと赤く染まったパンを噛じれば、その美味しさが口いっぱいに広がっていくのに。 「……まぁ、言葉ってのは肝心な時に出ないもんだろ。特に弘樹の場合は、考えれば考えるほどに伝えたい言葉が複雑化しちまうからな。アイツは、バカ正直に生きた方がいいと思う」 「そう、ですか……でも、考えることは悪いことじゃないと思います。そりゃ、時には何も考えずに行動した方が、良い結果を生むこともありますけど」 遠回しに伝えた想いは雪夜さんには届かなくて、口内を埋め尽くすイチゴジャムの甘さが酷く鼻に香る感じがする。 心と反比例していくような、色合いとその味。 幸せいっぱいの中で小さく影を落とすオレの気持ちは、イチゴジャムの捉え方すら変えてしまうんだ。 「……マーマレードにしておけば良かった、かな」 話題とは無関係な独り言を呟き、オレは3口ほど齧ったトーストをお皿の上に置く。 甘いものは好きだけれど今のオレには不必要らしく、心が欲しているのはほろ苦いマーマレードの味だと思った。 たかが朝食、されど朝食。 それでも、食欲がないわけではないから。 空腹を訴えるオレの身体は、心の病いに気づいていないことにオレは安堵した。 ……まだ、大丈夫。 雪夜さんが隠している事柄をオレが知らなくても、オレはまだ待っていられる。雪夜さんが話してくれるまで、オレはいい子でいられる。 オレの勘違いってこともあるかもしれないし、雪夜さんは隠しているつもりがないのかもしれないんだから。 憶測だけで勝手に決めつけるのは、良くない。 弘樹と西野君だって、オレと雪夜さんだって……相手がいて、双方の意見があるのだから個人の思い込みだけで結論付けちゃいけないんだ。 「星、食欲ねぇーの?トースト、ジャム変えるなら俺のと交換すっか?俺がイチゴジャムの方食うからさ、星くんはコレにマーマレード塗って食っていいぜ?」 少ししか口に入っていないトーストを指差し、雪夜さんはオレにそう言って。パンの耳だけをキレイに食べ終えてあるトーストをオレに差し出してくれる。 「……ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて雪夜さんのパンいただきます」 オレは食欲があるってアピールをしないと、雪夜さんを心配させてしまうと。咄嗟に思ったオレはマーマレードを取りに行こうと、椅子から立ち上がろうとしたけれど。 「マーマレード持ってきてやっから、お前は座っとけ。あと、口の横にジャムついてる……ん、とれた」 椅子から立ち上がったのはオレじゃなくて雪夜さんで、キッチンに向かう前にオレの頬を親指で拭うとその指を口に咥えて雪夜さんはオレの横を通り過ぎていった。 オレの小さな変化を見落とさない恋人、いつも食パンの耳だけを先に食べる恋人、さり気なくえっちな雰囲気に持っていく恋人、とてつもなく気が利く一方で自分の疲労感には気づかない恋人。 オレの恋人は、甘くて、少しだけほろ苦い。

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