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 俺は小原(おはら)恭輔(きょうすけ)――二十八歳。 サラリーマンでもそれなりの稼ぎがある中の上の企業勤務で、大手相手に取引を持ち掛ける営業職である俺は目標としていた三十歳になる前に分譲マンションを購入していた。 地下には専用駐車場、エントランスにはセキュリティを重視した監視システム、そして住人しか登録することが出来ない専用カードキー。 完全に第三者を排除した空間で俺は悠々自適な生活を送っている。 誰かに縛られることを嫌うため、結婚する気は全くない。田舎の両親からは毎週のように見合い写真が送られてくるが、見ることなくゴミ箱へ直行だ。 今は仕事が楽しい。勤務先はIT関連やシステム保守をメインにしたセキュリティーサービスを売りにしている商社だ。自分の話術で難攻不落と言われている連中が契約を結びたいと言ってくるのが堪らない。 当社――Fトータルセキュリティは他の企業と少々異なり、規定時間就業すれば何時に出勤、退社しても構わないし、取引先にIT関係者が多いこともあって服装にも特別な縛りはない。スーツを着たければ着ればいいし、肩が凝りそうだと思えばラフなジャケットでも構わない。臨機応変、その時々に対応すればいい。 そんな自由な社風に惹かれたのも入社理由の一つだった。 ただ――社員に自由を与える交換条件と言ってはなんだが、業績に関してはかなりシビアで、使えない社員は即刻解雇されるという海外の企業を模したようなやり方に耐え切れずに辞めて行く者も少なくない。 自分の仕事に誇りと責任を持つことが第一で、その他は二の次というスタンスだ。 どうやら俺のように煽られれば燃えるタイプには持ってこいの会社だったようだ。 仕事が立て込めば遊ぶ時間は無くなるが、暇になれば働いた分だけ時間と金は残る。 一夜限りの相手に時間と金を使うのであれば、ロクでもないクズに払うよりも少しでも可愛げのある男の方がいい。 街で拾った彼を部屋に入れると「すげーっ」と感激しながらリビングを見回し、独り暮らしにしては大きいソファに勢いをつけてどかりと腰を下ろした。 「お兄さん、お金持ちなんだね?テンションあがるぅ~」 「金持ちなんかじゃないよ。ちょっと他人様より稼ぎが良いだけだ。あと……その”お兄さん“ってのやめろ。恭輔だ」 「恭輔!カッコイイ名前っ!ねぇ、もしかして……社長さんとか?」 「しがないサラリーマンだ」 「それって、相当景気のいい会社なんだね」  一夜限りの相手だと分かっているはずなのに、今夜の俺はやけに饒舌で、普段は話すことのないプライベートなことまで口にしている。  それもこれも彼の問いかけにリズムのようなものがあって、その調子で応えてしまうのだった。  新手の商法か?とも勘繰るが、まあこんな夜もあるだろうし、こんな相手もアリだと思えてきた。 「――お前、名前は?」 「ん?海斗(かいと)」 「フリーターか?」 「こう見えても就活中……。ギリ大学生」 「は?」  上着を脱ぎながらもう一度まじまじと彼を見た。未成年ではないと確信はあったが、まさか大学生とは……。 (俺もついにヤキが回ったか……)  額を押さえながら低く呻くと、海斗は何のてらいもなく俺に言った。 「その顔、後悔しちゃってるって顔!もっと若い方が良かった?」 「逆だ……。ガキは相手にしない主義なんだ」 「ガキじゃないし。もう二十歳(はたち)だってゆうに超えてるし、問題ないんじゃない?」 「ぎゃんぎゃん騒がれるのはもっともだが、何より色気がない。それに俺の性癖に耐えられなくて泣き出す奴もイラつく」 「性癖って……SMとか?スカとか?」 「いや……」 「じゃあ、大丈夫だよ。俺、大抵のことはOKだからっ。それに色気云々はやってみなきゃ分かんないでしょ?とりあえずシャワー貸してっ」  どれだけ前向きで積極的な奴なんだと呆れながら、バスルームに案内してやる。タオルとバスローブを用意してタイマーであらかじめ張っておいた湯の温度を確認し、バスソルトを棚から取り出して振り返ると、そこにはすでに洋服を脱ぎ全裸になった海斗が立っていた。  その体のバランスの良さに思わず息を呑んだ。 「お前……っ」 「――どう?悪くないでしょ?俺のカラダ……」  自慢気に腰に手を当ててポージングなどして見せる。  たっぷりとしたパーカーで体のラインは分からなかったが、確かに程よくついた筋肉といい、引き締まった腰といい、そして何より可愛い顔に似合わず俺でも目を瞠るほどのイチモツを持っていた。  薄い下生えから生えるその部分は、彼の雰囲気からは異質とも思えた。 「あぁ…。まあまあ……だな」 「何それっ!ま、いいや。お先にっ」  手にしたバスソルトを奪うようにしてバスルームに入っていく彼の後ろ姿を見送って小さく息を吐いた。  細い腰から臀部にかけてのラインは今まで抱いてきたどの男よりも美しく、体毛も薄い。  身長は一七〇センチくらいか。今、並んだときに俺との差が十センチくらいだった気がする。  組み敷いても、立ちバックで思い切り攻めるにも低すぎず高すぎずで丁度いい。  触れずとも見ただけで滑らかだと分かる背中は、肩甲骨の盛り上がりが絶妙だ。  洗面所を出ようとして、もう一度振り返る。  擦りガラスの向こう側で鼻歌を唄いながらシャワーを浴びる海斗のシルエットを見つめ、ゴクリと唾を呑み込んだ。  ガキだの色気がないだのと言った手前、強気な姿勢は崩すつもりはないが、俺の中には”前言撤回“という文字が浮かんでいた。  あとはベッドの中でどれだけ俺を楽しませてくれるか――だ。  ああいうタイプはとことん貶めるように仕向けると、自分でも気づかないM属性を発動するものだ。  可愛い声で啼いて強請る海斗の姿を思い浮かべ、久しぶりに直接的な刺激なしでも下肢が熱くなるのを感じた。 「苛め甲斐のある、久々の上物だな……」  体の相性が良ければ、しばらく付き合ってやってもいいかなと思い始めている自分にブレーキをかけて、冷静な判断力を欠かないように何度も言い聞かせる。  冷蔵庫から出した冷えたビールを流し込んでソファに凭れて新聞を広げる。その間にもさっき見た海斗の体が脳裏をちらつき、落ち着くことが出来ない。  やんわりと膨らんだ股間を撫でていると、バスルームのドアが開く音が聞こえ、慌ててその部分を足を組んで誤魔化した。 (何やってるんだ……俺は)  遊びで拾った大学生に盛っているなんて、俺としてのプライドが許さない。  あくまでスマートに大人の余裕を見せつけなければ、ただのエロオヤジに見られかねない。 「――はぁぁ~。気持ちよかったぁ!あっ、俺もビール飲みたいっ」  濡れた髪をタオルで拭きながら現れた海斗はテーブルの上に置いたままの飲みかけの缶ビールを指先で摘まんで口元に運ぶと、ゴクゴクと音を立てて飲み干してしまった。  白い喉仏が上下に動くのを盗み見て、乾き始めた唇をそっと舐めた。 「あ……恭輔さんの飲みかけ全部飲んじゃった。新しいの持ってくるよ。冷蔵庫?」 「あぁ……」  完全に彼のペースになりかけている現状を何とか変えようと、新しい缶ビールを持ってきた海斗を睨みながら言った。 「それ……お前が飲ませてくれるんだろ?」  何かを挑むように上目遣いで見つめていると、ふぅ~っと息を吐いた海斗はプルタブに指をかけて開けると、一口ビールを口に含んだ。  そして、ゆっくりと俺に近づくと、膝を跨ぐようにして首に両腕を絡め、綺麗な顔を何の躊躇なく近づけて来た。  やや角度をつけて唇を重ねると、生温いビールが流れ込んできた。  お世辞でも美味しいとは言えないが、それに続いて滑り込んできた海斗の舌が俺の歯列をなぞり、クチュリと音を立てて舌を絡めて来た。 (こいつ……キス、上手いっ)  まだガキだとタカを括っていた俺は、想像以上の舌使いに茫然とした。  余韻を残しつつ離れていく唇が名残惜しくて、まだ舌を出している自分に驚く。 「――恭輔さん、ビールは冷たい方が美味しいでしょ?これするならワインとかブランデーの方が雰囲気出るよ」  そう言いながら俺の唇の端を啄む海斗の体を押しのけて強引に振り切ると、俺は何も言わずにバスルームに向かった。  大学生ごときにバカにされた怒りもあったが、何より彼から発せられる見えない力に取り込まれそうになったから席を立った。  もしかしたら対等――いや、それ以上かもしれない。  あんな生意気で色気のあるガキは初めてだ。  今日初めて会った俺とのセックスを少しも恐れていない。それどころか楽しむ気満々でいるのが分かる。  翻弄してやるつもりで拾ったのに……。  俺の魅力に溺れて「捨てないで」って縋らせるつもりでいたのに……。  今まで相手にしてきた奴らは皆、俺と別れることを嫌がった。少しくらい金を持っているからとか顔が良いからとか……下心しかない奴らばっかりだった。  このマンションに連れてきた時点で、海斗もまた俺のそういったところに付け込んでくると思っていた。  しかし――。 「くそっ」  乱暴に洋服を脱ぎ捨てバスルームに入ると熱い湯を頭から思い切り浴びた。失いかけているプライドを取り戻し、本来の俺に戻るために……。

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