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 カーテンの隙間から射し込んだ朝日にぼんやりと目を開ける。  俺の顔面を直撃するその光がやけに眩しくて、目を細めて腕で覆った。 「――朝?」  体を起こそうとして関節の痛みに顔を顰める。  俺……何してた?  ズンと重い頭を抱えるようにして隣を見ると、金色に近い柔らかな髪を皺だらけのシーツに散らかしたまま眠っている海斗の姿にしばし見惚れる。  柔らかく閉じられた瞼を縁取る長い睫毛、今にもキスを強請りそうなピンク色の薄い唇、首筋から鎖骨のくぼみにかけて細く朝日が当たり、情事のあとの気怠げな雰囲気を浮き彫りにしている。  昨日の自由奔放な彼のイメージとはまるで違う。――例えるならば地上に舞い降りた天使のようだ。  綺麗な寝顔に酔いしれていた俺だったが、ふと昨夜の記憶を辿ってみる。 「――ん、ちょっと待て」  海斗と繋がってからの記憶がない。気持ちよかったことはハッキリ覚えている。  この皺だらけのシーツを見れば、二人の乱れ具合は一目瞭然だ。  彼がくれたチョコレートのせいか?一種のトランス状態になって意識がぶっ飛んだのだろうか……。  ベッドの周囲を見回すと、開封されたコンドームのパッケージと使用済みのゴムがいくつも散乱し、ジェルの容器も転がっている。  脱ぎ散らかしたままのバスローブは二人分――俺と海斗のものに間違いない。 「え…っと、俺は……ガキ相手にこんなに頑張っちゃったってこと、なのか?」  そういえば心なしか腰が重怠い。  年甲斐もなく張り切ってしまった自分を戒めつつも、天使の寝顔を見せる海斗になぜか笑みが零れる。  昨夜は悪態三昧だったが、密かに付き合ってやってもいいかな……と思い始めていた。  それをどう切り出そうかと思案しつつ、ベッドを下りようとして足がふらつき、慌ててヘッドボードに手をついた。 「あれ……」  しばらく立っていると、足腰も馴染んだらしく動かせるようになった。  生まれたての子鹿のようにフルフルと震える足を何とか動かして、バスルームに向かう。  シャワーを浴び、さっぱりとした気分でキッチンに立った。  一夜を共にした相手のために朝食を作ろうだなんて思ったことは一度もなかった。  なぜだろう……。海斗に対してはこうしてあげたいという気持ちが湧き上がっていた。  パンをトーストし、冷蔵庫にあったベーコンをカリカリに焼く。卵はシンプルにスクランブルエッグにしてみた。  いつもなら一人で寝惚けたままコーヒーを飲むだけのダイニングテーブルに、二人分の朝食が並ぶ。  朝は時間ギリギリまで寝ていたいタイプだし、朝食なんて出勤途中のカフェで済ませるのが常だ。 「――そろそろ、起こすか」  準備を終え、コーヒーメーカーのスイッチを押すと、寝室へと足を向けた。  そっとドアを開けると、あの天使はまだ眠っていた。  ベッドに腰掛けて、頬にかかった髪を払いのけてやる。 「おい、起きろ。朝飯、食うか?」 「ん……んん?ここ……どこ?」 「バカか。俺んちだよ」 「え……。あぁ…恭輔さん、おはよ」 「おはよ――じゃねぇ。さっさと起きろ。俺は仕事に行かなきゃならない」  まだ寝足りないというように目を擦りながら上体を起こした海斗のぷっくりとした乳首につい目がいってしまう。 感度がいい、この体はキスだけでイヤらしく変わっていく。  ゴクリと唾を呑み込んだ時、俺の視線に気づいたのか、海斗はいきなり首に両手を絡ませて唇を重ねてきた。 「おはようの挨拶っ」 「お前なぁ……勘違いするなよ。俺はお前を認めたわけじゃないからなっ」 「え?そうなの?夕べはあんなに気持ちよくしてくれたのに……」 「覚えてない」 「なに、それ?今までもそうやって一夜限りの相手を追い払って来たんでしょ?俺はその手には乗らないから」 「いや…。ホントに記憶がない。何となく……は、覚えているような……ないような」 「酷い男だなぁ。俺、ちょっと本気になりかけてたんだけど」  ムスッとして俺を押しのけるようにベッドから下り立った海斗は、振り返ることなくバスルームへ行ってしまった。  綺麗なラインを描く背中から腰、しなやかな筋肉を纏った体躯、透き通るような白さと滑らかさを持つ肌……。  長い手足を動かして歩く後姿も優雅で無駄がない。  俺は昨夜、あんなに美しい天使を拾ったのか…?  そして――あの体を自らの剛直で貫き、愛らしい唇から漏れる吐息と嬌声に酔いしれたのか?  夢――じゃないよな。  海斗が寝ていた場所をそっと触れ、シーツに残った体温を感じてホッと安堵した。  今日このまま別れて、もう二度と会わないとしても、彼の香りを思い出すだけで当分夜のオカズになりそうだ。 「――恭輔さ~ん!」  よく通る声がダイニングの方から響いてきた。シャワーを終え、用意してあった朝食に気付いたのだろう。  俺はシーツの温もりに後ろ髪を引かれながら、渋々寝室をあとにした。  一心不乱にパンを頬張る子供のような海斗の姿を見つめながら、短い朝食は終わった。  昨夜会った時に着ていたダボッとしたパーカーとダメージジーンズに着替えた海斗は、意外にもさっぱりとしていた。  ぐだぐだと言い訳を繰り返しながらこの部屋に居座ろうとする彼を想像していたのだが……。 「――朝食、御馳走様。じゃあ、また会えるといいね」 「もう帰るのか?」 「うん。また就活しなきゃいけないし」 「そっか……」  なぜか気落ちしている俺がいる。本来こんなキャラではなかったはずだ。  他人からは傲慢で不遜で自分さえよければそれでいいという身勝手さを兼ね揃えた超オレ様体質だ。  一夜だけ――そう、たった一夜だけ体を重ねた相手を未練がましく思うなんてことはあり得ない。 「もしかして……寂しい?」 「そ、そんなわけあるかっ!お前とはもう二度と会わないだろうけど、まだ若いんだから……その、あんまり自分を粗末にするんじゃないぞ」 「だからぁ、俺はウリはやってないって!そう易々とこの体を抱かせると思う?」 「じゃあ……」 「俺、恭輔さんのこと好きになっちゃったみたい」 「はぁ?」  突拍子もない事を言い出した海斗に目を見開いて驚いては見せたが、内心ガッツポーズをしていたのは紛れもない事実だ。  しかし、名前と年齢しか知らない彼に、いきなり「じゃあ付き合おうか」と言うほど俺は若くない。  いろいろと勘繰ってしまうのは人間不信な私生活が長かったせいか。  一夜の相手でロクな奴はいなかった。みんな俺の金目当てだったり、ただ顔が良いからという理由だったり……。  ここは、海斗もそいつら同様にキッパリ割り切った方が後々のためだ。 「俺は……お前のようなガキには興味はない。それに言ったろ?束縛されるくらいなら死んだ方がマシだ」  心の中で思っている事とはまるで逆の事を言ってみる。それは海斗に対してはもちろんだが、まだ後ろ髪を引かれている自分に言い聞かせるためだった。 「――ガキって言うな」 「は?」 「俺はガキじゃない。そりゃ、恭輔さんからしてみれば年下だからそう見えるかもしれないけど……。俺だってちゃんと物事考えてるし、自分の言った事やった事には責任を持ってる」 「へぇ~。昨日はそんな様子は微塵も感じられなかったけどな。淫乱ビッチなゲイにしか見えなかったぜ」  シャワーを浴びて、ただ乾かしただけの乱れた髪をかき上げながら俯いた海斗は、勢いよく顔を上げると真剣な目で俺を睨んできた。 「ちゃんと……責任とるから」 「――お前、何言ってんの?」  責任って……。俺が女で、コンドームなしで思い切り中出ししてしまったとなれば妊娠の可能性もあるかもしれない。それであれば“責任をとる”という言葉も生きてくる。  しかし俺は男で、コイツを抱いた方だ。  海斗の言葉に呆れていると、いきなり首に両腕を絡ませてキスをしてきた。  昨夜のような濃厚なキスではなく、唇を何度も啄んでは時折舌を差し入れる程度のものだった。  そんなライトなキスでありながら、また押し倒したいという欲望がムクムクと湧き上がってきて、慌てて彼の体を突き放した。 「キスで付け入ろうとか、お前甘過ぎるんだよ。俺はそんな手には乗らない」 「チッ!」  悔し気な顔で派手に舌打ちした海斗は玄関でハイカットのスニーカーに足を入れると、今度は満面の笑みで手を振った。 「じゃあね、恭輔さん。すんごく楽しかったよ!バイバ~イ」 「はいはい。じゃあなっ」  表情がコロコロと変わる百面相みたいな彼に翻弄されながら、玄関ドアが閉まるのを見るともなしに見ていた俺。  カチャリ――。  完全にドアが閉まりオートロックが作動した音を聞いた瞬間、体を支えていた足がカクンッと折れ、その場に崩れ落ちるように座り込んでしまった。 「え?あれ……?なんだよ……おいっ」  壁に手をついて体を起こそうとするが、足腰に力が入らない。 「ちょ…っ!ヤバい……なに、これ!」  一瞬ではあるが緊急性を要する脳の病気なのでは?と危惧してみたが、頭痛はなく吐き気もない。  天井を見上げてみるが眩暈の兆候もない。  ホッとする反面、この体の異常は何なのかと不安が募っていく。  廊下を這うようにしてリビングを横切り、一路寝室へ向かうと、そこは昨夜の惨状が広がっていた。  エアコンが動いているとはいえ、濃厚な情事のあとの独特の匂いは籠ったままだ。  床に散らかったコンドームを指先で摘まみ上げてしげしげと見つめる。 「これって……」  呟くと同時に、なぜか自分では直接触れたことのない後孔がピリリと引き攣るような痛みに顔を顰めた。  床に座ったままベッドに凭れるようにして、ぼんやりと天井を見つめる。  曖昧な記憶を深呼吸をしながら辿っていくと、うっすらとだが探し出すことが出来た。  俺はベッドに仰向けで、騎乗位で海斗を突き上げて……。  それから――体が動かなくなって、俺を見下ろしながら笑ってる海斗がいて……。  足を……。 「足を広げられて……何かを突っ込まれた。ジェル…?ひんやりして……それから物凄く熱い物を……」  そこまで記憶を辿って、俺は絶句した。  指先で摘まんだコンドームは、先端の液溜まりにかなりの量の白濁が吐き出されている。  それを思い切り壁に叩きつけると、俺は乱れたシーツの上にうつ伏して叫んだ。 「あの……クソガキっ!!!!」  その時、俺は海斗に犯された事実を思い出したのだった。  予定外の欠勤。その理由は口が裂けても誰にも言えない。  まさか、まさか。就活中の大学生のガキに、薬を盛られて何度も尻孔を犯されました――なんて。  しかも、過去に風俗店での指挿入まではあったものの、アレをぶち込まれるなんて……しかも俺より立派なイチモツを、だ。  つまり……俺のバックバージンは不本意ながら、海斗に奪われてしまったという事になる。  ベッドに這い上がり、それから微熱が出て、体中の関節がギシギシと音が出そうなほど軋んだ。  やっと起き上がれるようになった夕方、恐る恐る自分の後孔に手を伸ばしてそっと触れてみると、その場所は熱を帯びて少し腫れている。  わずかに痛むのは、十分に解さないまま無理やり海斗の立派なイチモツを受け入れたためだ。  あんな太い物を本来排泄にしか使わない場所に突っ込むとか……あの男の気が知れない。  この時ばかりは、自分が普段しているということは棚上にしておく。  自分の快楽のためならば仕方のないことだと諦めてもらうしかない。  胸元から脇腹にかけて鬱血した痕が点々と残っている。俺が意識を失っている間に、かなり好き勝手なことをしてくれたようだ。  薬を盛られて、昏睡状態で犯されるとか――もはや犯罪行為ではないか。  しかし、彼を部屋に招いたのは俺だし、目的は彼とのセックスだったわけで…。それにお互い同意の上で体を重ねている。もし警察に駆け込んだとしても自分が不利になる可能性はある。 「――っていうか、こんな恥ずかしいこと他人に言えるかっ!」  どこにもぶつけようのない怒りと、自称スカイツリーよりも高いプライドをへし折られたことで、俺の心は完全に参っていた。  この俺を弄んだ男は後にも先にも海斗だけだ。  バカにされていると取られてもおかしくはないが、別れ際に真剣な顔で“責任をとる”と言った彼の顔が忘れられない。  俺をここまで貶めて責任もクソもあったものじゃない。  どうせ二度と会わないつもりで言った事だろうが、あの時の彼が心の中で俺のことを嘲笑っていたと思うだけで腹が立って仕方がない。  あの神々しいまでの天使の寝顔も、朝食を頬張る無邪気な笑顔も、そしてキスを誘う舌先も……全部、嘘だったのか、と。 「もう……絶対に他人なんか信じない。冷血と言われても構わない。俺は俺だけを信じる!」  声を大にして叫ぶと、痛む体を引きずりながら自分でも驚くほどの行動力で寝室の掃除を済ませ、汗と海斗の香りが残ったシーツをゴミ箱に放り込み、飲みかけの缶ビールも原形を留めないほどに潰してやった。  すべてが片付き、海斗がこの部屋に来る前の状態に完璧に戻すと、俺はソファに倒れ込んだ。  まるで時間が巻き戻ったかのように、見慣れた落ち着ける部屋がそこにあった。  しかし、彼に出会ったことも、セックスしたことも現実に起こったことで、今となっては元に戻すことは出来ない。  記憶のゴミ箱という物は残念ながらこの世には存在しない。ただ時間をかけて忘れていくしかないのだ。  ぎゅっと目を閉じて次々に浮かんでくる海斗の顔を一つずつ消去しようと試みる。  こんなつまらないことを考えないようにするには、一心不乱に仕事をこなすほかなさそうだ。  しばらくは誰かを抱きたいとも思わない。自分の心の傷を広げるようなことは、なるべくならば避けて通りたい。  何より――もし誰かを連れ込んだとしても勃起する自信がない。  バリタチである俺がネコにされた屈辱は、それほどショックな事なのだ。  カッと目を見開き、天井を思い切り睨みつける。  愛嬌のある綺麗な顔立ちも、滑らかな白い肌も、吸い付くように誘うアイツの中も……。  全部、全部……忘れてやる!!

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