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 村田の指示通り、俺は“療養”と言う名の謹慎処分で引きこもっていた。  そうかといって自宅マンションになぜか戻る気にもなれず、海斗のマンションで寝泊まりしていた。  酷かった二日酔いが治った時点で一度マンションに戻ったのだが、当たり前だと思っていた静けさが今の自分の心を圧し潰しそうで恐怖を感じ、着替えと日用品だけをスーツケースに詰め込んで来たというわけだ。  俺を介抱してくれた日は有給休暇をとっていた海斗だったが、翌日からは通常通りに出勤して行った。  朝は何かと忙しい。それなのに、遅くまでベッドから出ない俺のために朝食を作り、バスルームを掃除し、洗濯まで済ませてから家を出て行く。  出かける時は必ずキスをしてくれるのだが、俺はまだ夢の中の事の方が多い。  それもそのはず。自分のプライドと引き換えに海斗と想いを通わせた俺は、ほぼ毎晩のように彼に抱かれていたからだ。  性欲旺盛な二十代そこそこの青年にガンガンと攻められるアラサー男ときたら情けなくて涙が出そうになる。  しかも海斗の長大なイチモツを受け入れるにはかなりの体力と精神力が必要になる。  フル勃起したモノを見てしまうと、快楽への期待もさることながら恐怖心が先にたつ。  こんなに太くて長いものが自身の腸内に入ってしまう事が怖かった。  しかも一回や二回では絶倫な彼の性欲を満足させることは出来ない。  後始末が面倒だということで、ナマで出したのはあの駅のトイレでのレイプまがいのセックス一度だけだが、事後ベッドの周辺に散らかったティッシュとコンドームの残骸の量を見れば、きっと誰もが同情してくれるに違いない。 「――痛ぅっ。ホントに容赦ないな……あいつ」  鈍痛が走る腰に手を当ててベッドから下りた俺は、最近日課になりつつある観葉植物の水やりのためにベランダに出ると、今まで滅多に見ることのなかった日中の街並みを視界に入れながら大きく深呼吸した。  二十二歳という若さで、高級住宅街の一画にある一〇階建ての新築マンション――しかも最上階に住んでいる海斗は一体何者なのだろう。  賃貸契約だとしても月々の家賃は、いくら給料がいい会社とはいえ新入社員の身ではかなり厳しいものがある。  入社して三ヶ月は試用期間として、給料も皆一律で支払われる。  手当もなく交通費も出ないはずだ。それに、有給休暇だって本来であればまだ取ることが出来ないはずなのだが……。  スチール製の銀色の霧吹きを手に無意識に腰を屈めてしまい「うっ」と顔を顰める。  未だ後孔にあの太い肉棒が突き刺さっているのではないかと錯覚するほどの存在感をもつ海斗のペニスは、愛らしい天使の顔に似合わない凶暴な悪魔の一面をのぞかせる。  しかし、そのおかげで自慰をしても勃たないという悩みからは解放され、しかもEDの原因が海斗であったということが分かっただけでも良しとしておこう。  筋肉質で海斗よりも幾分、背も体格も大きい俺がベッドの上でシーツを手繰り寄せながら嬌声をあげて悶えている姿など他人には絶対に見せられない。  そんな俺を恍惚とした表情で、時に意地悪な笑みを浮かべながら突き上げている海斗も然り……だ。 「あ~あ。村田部長からはあれから連絡ないし……マジでクビかな」  ベランダの手摺に腕をかけてボソリと呟く。  数日と言った割にはもう十日が経っていた。  そうなるともう不安しかない。社長直々に呼び出されても“言い訳”としか解釈されなければ、俺の主張は尊重されることはない。  このまま、海斗に頭を下げてヒモ生活を送るか、はたまたもう一度返り咲いてオレ様営業として自我を貫くか……。  いずれにせよ、俺一人では決められないのが現状だ。 「はぁぁ……」  何度目か分からないため息をついた時、リビングのテーブルの上に置いたままのスマートフォンがけたたましく鳴り始めた。  気怠い体を引きずってリビングに戻ると、液晶画面に表示された名前に息を呑んだ。  急いで画面をタップして応答する。 「もしもし?」 『おぉ、小原か?体の方は大丈夫か?』  スピーカーから聞こえて来た村田の声に緊張と安堵が入り混じる。 「ええ、もうすっかり。部長……あの件はどうなりました?」  間髪入れずに問うと、村田は少し笑った。 『お前の気持ちは分かるが、そう焦るな。とりあえず、会社に来い。今日の午後――どうだ?』 「何時ですか?」 『あんまり社員と顔を合わせたくないだろうから七時ぐらいでどうだ?』  終業時間を過ぎても残業している社員はいる。だが、そう多くに顔を合わせることもないだろう。 「分かりました!営業部でいいですか?」 『いや。ロビーで待っていてくれ。受付には話を通しておく』  これも村田の気遣いなのだろう。営業部の面々は外回りから戻ってきてからのデスクワークとなるため、必然的に残業せざるを得なくなる。俺のようにフレックスタイムを使っている者は営業部にはあまりいない。そのために終業時間を過ぎてもフロアであれば顔を合わせる確率が上がる。 「――はい。いろいろとご迷惑をかけてすみません」 『ははは……っ。小原らしくないなぁ。休んでいる間に何か悪い物でも食ったのか?』  そう言われてハタと気付く。  上司である村田にも、こうやってきちんとした形で謝罪したことなどなかった気がする。  注意されても適当に受け流すことが常だった俺。  クライアントにも時々そういった態度を見せて来た。それが俺のプライドだと思っていたからだ。 「はぁ……。そうかもしれませんね」  苦笑いしながら何とかその場をやり過ごして電話を切ると、ソファにスマートフォンを投げた後で、自分もドカッと腰を下ろした。 「悪い物……ねぇ」  海斗の部屋に来て、朝晩は彼の作った食事を食べている。その味は、それなりに料理は出来ると自負していた俺をはるかに凌ぐもので、一人暮らしが長いからと本人は言っていたが、そのレベルをはるかに超えていた。 (これって胃袋までも掴まれているってやつか……?)  悪い物――というよりも、むしろ良い物しか食べていない。  ほかに思い当たると言えば、凶悪なペニスを下の口に咥えさせられているくらいだろうか。 「――あぁ、それかもしれないなぁ」  想いが通じてからというもの、海斗の精液は何度も口にした。不思議なことに青臭く苦いだけの体液が甘く感じるのだ。  彼だけが持つ特殊な体質なのかと思えばそうではないらしい。  今まで、誰かの精液を口にすることなどほとんどなかった。稀にフェラチオをしていて耐え切れず暴発されたことはあったが、自ら進んでそれを飲むことなど絶対にあり得なかった。  それが今ではどうだ。体を寄せ合ってテレビを見ていて、どちらからともなく始まったキスの延長で俺はセックスを強請る時には必ず海斗のバスローブの前を開けてそこに口づける。  俺の舌に感じて顎を反らせながら小さく喘ぐ海斗が可愛くて……。そして口の中で硬さを大きさを増していく凶暴なペニスが愛おしくて……。 「ん?ちょっと待てよ……。それって飼いならされてる、のか?」  当たり前だと思っていたここ数日の日常。  一匹狼で誰にも依存することなく生きて来た俺が、いきなり現れたわけの分からない大型ワンコ系のガキに完全に絆されている現実。  それを何の違和感なく受け入れている俺はもう――終わっているかもしれない。  食事も住む場所も、快楽までも与えられて……。  動物園の檻に閉じ込められているはずなのに、それを全く感じさせない飼育法を彼は知ってる。  会社に復帰出来るかどうかは分からないが、それまでに野生を取り戻さなければっ!  ソファから勢いよく立ち上って、腰の痛みに声を小さく声をあげる。  それでも自信を奮い立たせるように寝室に向かうと、スーツが仕舞ってあるクローゼットを開けた。  クリーニング済みのワイシャツとネクタイ、そして謝罪の場に相応しい黒いスーツを取り出すと、乱れたままのシーツの上に置いた。  そして肩越しに振り返って、俺は目を見開いた。  クローゼットの折れ戸に取り付けられた鏡に映っていたのは、無精ヒゲとボサボサの髪、そして情けなく鼻の下を伸ばし、すっかり色ボケしたアラサー男だった。 「これ……ヤバいだろ」  大股でリビングに戻り、行きつけの美容院にすぐさま予約を入れる。幸いにも一時間後に予約を入れることが出来た。その間にシャワーを浴びてヒゲを剃る。少しは見られる顔になったところで、俺は早々に出かける準備をした。  そう――プライド高き、傲慢なオレ様男に戻るために。  夕方、サッパリと髪を切り、ワックスで整え、スーツを完璧に着こなした俺がリビングにいた。  これからマンションを出れば約束の七時前には会社に到着する。  その前に海斗に連絡だけはしておこうとスマートフォンを手にして、ふと動きを止めた。  飼い主に逐一連絡をする従順な犬――。  そんな姿が脳裏に浮かんで、俺はギリッと奥歯を噛んでスマートフォンを乱暴にポケットに仕舞いこんだ。 「俺自身のことなんだから、アイツには関係ない」  言い聞かせるように呟くと、俺は玄関へと向かった。  もちろん、スマートフォンの電源はOFFのままで……。  上着の胸元のあたりを一度だけぐっと押さえてから、俺は大きく息を吐いた。  飼いならされた狼は自ら鎖を断ち切って外へと出る。そして――。  タクシーに乗り、Fトータルセキュリティ本社ビルの少し手前で降りる。さすがにロータリーにまで横づける勇気はない。  少し歩く事にはなるが、心を落ち着けるにはいい時間かもしれない。  ゴールデンウィークが近いことから、抱えている仕事に一旦ケリをつけるべく残業をする者がいるせいか、ビルの窓のあちらこちらに照明が灯っている。  まだ七時前だ。早々帰宅する者は少ないだろう。  そんな景色を横目で見ながら会社のエントランスからロビーに入ると、良く知った受付の女性スタッフが笑顔で迎えてくれた。 「小原さんっ!大丈夫でしたか?」 「あぁ……。まあね。会社、大騒ぎだった?」 「ちょっとしたセンセーショナルでしたよ。村田部長なんて連日役員に呼び出されてたみたいで……」 「ホントに?」 「ええ。会議室の予約入ってましたから……」  受付カウンターに置かれたノートパソコンでは、社内の会議室やミーティングルームの使用状況が一目で把握出来るようになっている。  それと同時に、各社員の外出状況や休暇までも表示されるようになっている。  これは、社員であれば誰もがパスワード一つですべて見えるシステムだ。 「――そっか」 「小原さん……。辞めないですよね?」  上着の内ポケットに忍ばせた『退職願い』の白封筒を見透かされたかのような問いかけに苦笑いで応えるしか出来なかった。 「さぁ…。それは俺が決めることじゃないから」  俺の言葉に彼女が少し目を伏せた時、ロビーの奥の方から村田の声が聞こえて、俺はそちらの方へ視線を向けた。  長身でイケメン。そんな村田だが幾分疲れたような表情を浮かべている。 「おお、来たか。こっちだ……」  手招きして背を向けた彼のあとを追うように足早にエレベーターホールへと向かう。  息を弾ませて彼の横に並ぶと同時に、エレベーターの扉が開いた。 「このまま社長室行くぞ」 「え?マジですか?」 「何か問題でもあるのか?お前はありのままを話せばいい」 「――あの、部長。ここのところ役員に呼び出されてたってホントですか?」 「まあな……。って、お前……なんで知ってるんだ?」 「さっき受付で……」  バツが悪そうに頬を指で掻きながら、村田は小さく咳払いした。  相手の意見にNOと言えない優柔不断でありながら、口煩い役員たちに責められた彼の事を考えると可哀想になってくる。  何でもかんでも頭ごなしに決めつけるジジイたちに押し切られていなければいいのだが……と、一抹の不安がよぎる。  ポンッと小気味よいチャイムと共にドアが開き、社長室、役員室がある十二階のフロアに到着する。  他のフロアとは違い、廊下にも絨毯が敷かれ、落ち着いたインテリアで統一されている。  正面がガラス張りになったエレベーターホールから望む夜景は、昼間は殺伐としたビジネス街でありながらキラキラと輝いて見えた。  海斗はもう帰宅しただろうか……。  スマートフォンの電源を切り、音信不通にしておきながら言える立場ではないが、これ以上彼に迷惑をかけたくはないし、自分のプライドを失くしたくない。  ここは”ケジメ“をつけるために海斗の事を頭の片隅に追いやる。 『社長室』と書かれたプレートが掛かる木製の重厚なドアの前で足を止め、村田が俺の方を見た。 「小原……。大丈夫だから」 「部長が言うと、余計に不安になるんですけど……」  その場の雰囲気に流されて俺の盾にはならないのではないかと思うと、自我を持って挑まなければならないだろう。  いざとなったら『退職願い』を叩きつけて、この会社におさらばするまでだ。  俺はゆっくりと息を吸い込んで、細く吐き出した。  こんなに緊張するんだったら煙草の一本でも吸って来ればよかったと今更後悔しても遅い。  結果がどっちに転んでも、家に帰れば海斗が迎えてくれる。  それだけが今の俺には救いだった。 「――行くぞ」 「はい……」  村田がドアをノックする。その音は審判を下す前のジャッジ・ガベルに似ていた。

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