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 その夜、マンションに帰った海斗は俺を抱くことはなかった。  いつも使っている寝室に俺を寝かせると、彼はリビングへと移動してしまった。。  広いベッドにたった一人……。  こんなにも寂しくて冷たいものだったのかと、ここ数日の海斗の温もりが恋しくなってくる。  目を閉じるたびにさっきの海斗の顔がチラついて眠れない。  そっとベッドから下りて、フットライトの明かりだけを頼りに寝室を出るとリビングへ向かった。  音を立てないようにドアを細く開いて中を覗き込むと、薄い毛布にくるまったまま横になっている海斗の背中が見えた。  あれほど俺を求めて、サカリのついた野獣のように抱く海斗。  そんな彼は今、何かに怯える小動物のように体を丸めていた。  足音を忍ばせてソファに近づき、そこに敷かれたラグマットに両膝をついた。  壊れ物にでも触れるかのように手を伸ばして彼の背中に触れる。  ビクッと肩が揺れ、彼がまだ眠っていないことを知った。 「――海斗」  薄闇の中で名を呼ぶと、彼はわずかに身を震わせた。  背中に触れたままの掌がそれを即座に感じ取り、俺は小さく息を呑んだ。 (泣いてる……のか)  勝気で何事にも動じない海斗が泣いている。  なぜだろう……。今まで何人もの男女を泣かせてきたはずなのに胸が苦しい。  言葉で攻め、体で攻め、付き合ってくれとしつこく付き纏う奴らを足蹴にしてきた俺は、そいつらが無様に泣き叫ぶところを目の当たりにしてきた。  それなのに――理不尽にも処女を奪われ、上手い具合に絆されて、ついには恋人にまでなってしまった海斗が泣いているという事実を受け入れることが出来ない。  海斗に泣かされるのは俺のはず……なのに。 「――寒くて眠れないんだよ」  上手く呼吸が出来ない。それでも、出来るだけ自然な声で言う。 「お前が隣にいないと、眠れなくなっちまった……」  下心など何もない。ただ、そばにいたかった。 「――お前がツラいなら、何も話さなくていいから。俺は構わないから……」  海斗が小さく身じろいで、ゆっくりと体が傾いていく。  ダークブラウンの柔らかな髪がソファに広がって、あの天使のような顔が薄明りに照らされた。 「海斗……」  白い頬に涙が一筋流れて、長い睫毛についた滴が瞬きの度に零れ落ちる。  引き結んだ唇が小刻みに震え、何かを言いたげだ。  俺は彼の頬を包み込むように両手を添えると、親指で涙をそっと拭った。  数ヶ月前の俺が見たら卒倒するであろうその光景は、決して無理のない自然な行為だった。  きつく結ばれた彼の唇を何とか解きたくて、俺は自分の唇を押し当てていた。  舌先で何度も唇の輪郭をなぞり、わずかに開いた隙間から舌を差し入れていく。  クチュリ…と濡れた音が闇に響く。  俺に眩暈を起こさせるほどのキスはそこにはなかった。  乾いた唇、おずおずと逃げる舌……。 「お前のキス欲しい……。お前のキスじゃないとダメだ」  唇を触れ合わせたまま囁くと、彼は目を潤ませたままわずかに笑った。  指先を伸ばしたまま手をあげた彼が俺の髪をグシャリと撫でる。 「――ばか」 「捨て犬ってのは飼い主に拾われた時点でその運命が決まるんだよ。俺はお前に拾われて後悔はしてない。だから……ちゃんと責任持って飼えよ」 「恭輔さんは犬なんかじゃ……ない」 「じゃあ、お前専用のラブドールか?」  海斗はゆっくりと首を横に振る。そして、彼の方から俺の唇に噛みつくように唇を重ねてきた。 「性処理だけなら誰でもいいじゃん。でもね……俺は恭輔さんじゃないと満足しない。だって……他の人じゃ勃たないんだもん」 「あ?」 「――俺もED」  一晩に何回も挑む絶倫……。しかも、俺よりもはるかに立派なイチモツを持っている海斗がEDだなんて誰が信じるだろう。  俺を慰めるための嘘だとしたら、半笑いで流す事しか出来ない。 「嘘つけ……」 「嘘じゃない。初めて恭輔さん見た日から勃たなくなっちゃった。でも、恭輔さんと違うところは、あなたの事考えるだけで触れなくてもイケた……」 「何だよ、それ……」 「それだけ恭輔さんのこと好きだったって事……」  涙目で恥じらうように笑う海斗がとてつもなく可愛くて、俺は下肢に熱が集まってくるのを感じてきゅっと内股に力を入れた。 「――じゃあ、謝ることないだろ。泣きながら謝るな」 「だって……」 「あぁ、もうっ!話は明日聞いてやる。だから――っ」 「だから?」 「いちいち言わせんなよっ!空気読めっ、ガキが……」  俺は吐き捨てるように言ってから、海斗の唇に噛みついた。  やんわりと歯を当ててニヤッと笑うと、海斗は安堵したように体の力を抜いた。  そして俺の髪に埋めたままの指をぎゅっと折り曲げて、自分の方に引き寄せるとより深く唇を密着させた。  彼の舌が滑り込んできて歯列をなぞる。  顔に似合わず厚くて長い舌がねっとりと口内で動くたびに、腰の奥がズクリと疼いた。 「――ガキって言うな」  少し掠れてはいたが、海斗が発した低い声は間違いなく欲情した野獣のものだった。  体に巻き付けていた毛布が音もなく床に落ちる。  それを待っていたかのように、俺は海斗の体を跨ぐようにしてソファに膝をついて乗り上がると、彼の白い鎖骨に唇を押し当てた。  今夜は俺がリードする。たまにはこんな夜もあっていいだろう。 「積極的……」 「バリタチだからな」 「じゃあ、今日は俺に入れてみる?」  挑戦的に微笑んだ海斗を見下ろして、俺は舌先を伸ばしてキスを強請った。  海斗から与えられる快楽を知ってしまった以上、今更“抱きたい”とは言えなくなっていた。  いつの間にか、考え方だけでなく体までも作り替えられてしまっている。 「――今はそういう気分じゃない」 「んもうっ!素直じゃないんだから……。そういう恭輔さんが好きなんだけどね」  ハタから見れば俺が海斗を組み敷いているようにしか見えない構図。  でも実際は……俺が入れて欲しくて強請ってる。  スウェットパンツの薄い生地越しに擦れ合う互いのモノが熱を孕みながら硬さを増していく。  俺は彼にキスを繰り返しながら腰を押し付けた。 「海斗……」 「ごめんね……恭輔さん。俺、あなたに迷惑ばかりかけて気を遣わせてる」 「また、むし返すのか?せっかく気分がノッてきたのに……」  滑らかな白い頬を掌で優しく包み込んで、俺は小さくため息を吐いた。  やけに大人ぶってみたり、父親に虚勢を張ったり……。彼がやっていることは俺からすればどれも子供染みている。  事実、海斗はまだ大学を卒業したばかりの子供だ。  社会の酸いも甘いも分からない今、いくつもの修羅場を潜ってきた俺と対等だと思う方が間違っている。  だからと言って、全部が全部そうとも言いきれない。 時に俺の方が子供染みたワガママをいうこともあるし、それを海斗が落ち着いた口調で諭すこともある。  会社では決して表に出すことのない内に秘めた本性を曝け出せる相手――それが海斗だ。 「――お前は大人しくしていろ。俺は自分の良いようにするから」 「ふふふ……。俺、犯されちゃうのかぁ」 「黙れ!ただ、一つだけ約束しろ。――もう、俺の事で泣くな」  わずかに海斗の目が開かれ、すぐにすっと細められる。  目尻に溜まったままの涙の滴を舌先で掬って、泣いていたことをなかったことにする。  Tシャツを押し上げて、しなやかな筋肉に覆われた白い体に何度も口づけて俺の痕を残していく。  海斗が俺の中に熱いモノを注いでマーキングするように、俺もまた彼を繋ぎとめる。  あれだけ忘れようと思っていた自分が滑稽に思えるほど、今は海斗の事が愛しくて仕方がない。  舌先で硬くなった乳首を転がしてやると、細く引き締まった腰を艶めかしく捩りながら吐息する彼に胸の鼓動が高鳴っていく。 「恭輔さん……」 「なんだ?」 「――あなたに出会えて良かった」  ありきたりなセリフではあるが、今の海斗が口にするとやけに重みがあるように感じられて、俺はそれを素直に受け止めるべく顔をあげた。 「それは良かったな。じゃあ、俺も言っておくか……」 「ん?」 「星占いは最悪な時の方が上手くいく……」 「え?なに、それ……」  興味を惹いたのか海斗がわずかに顔をあげたタイミングで、彼の唇を塞いだ。  レースのカーテンに透ける外の明るさがやけに照れくさくて、俺は目を閉じたまま何度もキスを繰り返した。

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