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「――でね、俺は恭輔さんに一目惚れしたんだ。あんなにカッコいい男の人が俺の恋人だったらどんなに素敵だろうって」
リビングのテーブルの上に置かれたワイングラスを手に取って一気に飲み干す海斗をちらっと横目で見ながら、俺はつまみに用意したチーズを口に放り込んだ。
夕食の買い物ついでに、少し奮発して年代物もワインを買った。
まだ若い海斗には味など分からないだろうと思っていたのだが、意外にも好きな銘柄だったらしく、改めて社長の息子であるということを知らされた。
小・中・高校と私立のエスカレーター式の一貫教育で、とりあえず試験だけをクリアしていれば何とかなると楽観視していた海斗だったが、いざ父親から後継者の話を聞かされた時はさすがに震えたという。
藤盛が一代で築いたFトータルセキュリティを継ぐとなると、それなりの能力がなければ無理だと悟ったらしい。
そんな時、ふらっと会社に訪れた海斗と俺は出会った。
俺は全く気にも留めることもなく、記憶にもなかったが、海斗は一目で恋に落ちたという。
しかし、彼はまだ高校生で受験勉強の真っ最中。俺は俺で軌道に乗り始めた営業マンとして忙しい日々を過ごしていた。
何かにつけて思い浮かんでしまう俺の姿……。そこで海斗は決心したという。
俺と共に会社を継ぐ――と。
高校生の思い付き発想で、実に短絡的と言ってしまえばそれまでなのだが、彼の決意はそう簡単に揺らぐものではなかった。
それからの彼はまるで別人のように勉強し、一流大学経済学部に一発合格。
大学生活も慣れて来た頃には、興信所や自身の足を使って俺を調べていたらしい。
その結果や写真を見ながら自慰に耽る毎日――そう、俺を見かけた日から他人では勃起しなくなってしまったようだ。
初めて付き合った彼女とのセックスで筆おろしをしてからは、男としか関係を持たなかったという。
そもそも、女性には興味がなかったせいでもあったようだ。
しかし、俺でしか欲情しなくなってしまった体は次第に限界を迎える。
そこで、偶然を装って俺を待ち伏せていたらしい。その時の彼はただ話が出来ればいい……ぐらいのつもりだったようだが、俺の勘違いからマンションに行き、成り行きとは言え事に及んでしまったというわけだ。
媚薬入りのチョコレートも事前に仕込んでいたわけではなく、偶然街で会った知り合いに貰った物だという。
そんな訳の分からない物を、よくも俺に食わせたな!と思ったが、今更怒ったところで何の解決にもならない。
ただ、それが原因でEDになったということでなかっただけ救いだろう。
我慢に我慢を重ねてきて、いきなり体を繋げてしまうという暴挙に出た海斗は、もう自分の欲求を制御できなくなってしまったらしい。
何が何でも俺を手に入れて――あわよくば監禁・拘束して犯罪者になっても構わないとさえ思ったらしい。
幸い、彼にはまだ狂うには至らない“理性”が残っていたため、犯罪者になることも、俺が監禁され調教されることもなかった。
それ故に順調に進んでいた就職活動で数社内定が決まっていたにも関わらず、そのすべてを蹴って父親の会社であるFトータルセキュリティに入社した。
“コネ入社”や“社長の息子”と言われ、贔屓目で扱われることを嫌った彼は母親の旧姓である“守屋”を名乗った。社内では父親である藤盛とも一切会話を交わすこともなく、ただ俺だけを想い続けていたらしい。
一歩間違えばストーカー。でも、その想いは海斗だけじゃなかった。
この俺も、思い起こせばあの夜に彼に堕ちていた。
遊びのつもりで抱いた――いや、正確には抱かれてしまったわけではあるが、海斗への気持ちに翻弄され調子を狂わせたのは事実だ。
誰かの事を想い過ぎてEDになるとか……前代未聞の症例だろう。
「――お前さぁ。Rホールディングの内定蹴った逆怨みとか言ってたけど、多分……違うぞ」
「えぇ?絶対逆怨みだって!父さんもそう言ってたし……。恭輔さんだって聞いてるんでしょ?」
「確かに社長は言ってたけど……。俺、思ったんだよ。あんなことがなかったらお前とこういう事にはなっていなかったって……。俺は自分の想いを否定し続けていたと思うし、お前だって俺に酷い事ばっかり言われ続けていたと思うし」
ワイングラスを傾けながら、赤い液体越しに海斗の顔を見つめる。
「――今だから言うけど。初めてセックスした翌朝、お前の寝顔が天使みたいに見えてさ……。それなのに、他のヤツらと同じように冷たくあしらって部屋を追い出しただろ?その後にEDが発覚して、プレゼンが失敗して……これってバチが当たってるんじゃないかって思えてさ。天使を侮辱した罪……」
真剣な眼差しで俺の話を聞いていた海斗がいきなり吹き出した。
脇腹を押さえてケラケラと笑う彼にムッと顔を顰める。
「あ~あ、言うんじゃなかった!」
怒りに任せてワインをぐいっと仰ぐと、ボトルを掴み寄せて手酌でグラスに注いだ。
なみなみと注いだワインを再び飲み干そうとグラスを傾けた時、海斗が俺の手首を掴んでそれを制止した。
「なんだよっ」
「ごめん…。恭輔さんって案外ロマンチストなんだって思ったらつい……」
「悪かったなっ」
「ううん、違うんだって!いろいろ調べてたら、凄い鬼畜でリアリストで、何人もの男女を泣かせてる酷い男だって聞いてたから……。でも、実際に会ったらそうでもなかった。カッコいいのはもちろんだったけど、可愛いところあったし、何よりエッチしてる時の顔がエロくて……」
飲みかけていたワインを吹きそうになり、慌ててグラスを口から遠ざけた。
海斗は俺の唇についたワインを親指でそっと拭って、それをペロリと舐めて見せた。
その表情が情事の後を連想させて、俺はごくりと唾を呑み込んだ。
「ホントはさ、俺が一番罰を受けなきゃいけないんだよね。衝動的にトイレで襲っちゃったことも、Rホールディングの件で恭輔さんに迷惑かけちゃったことも……。恭輔さん、俺が天使に見えた?悪魔の間違いじゃなくて?」
「ん――。時には悪魔にも見えた」
「天使のフリして近づいた狡猾な悪魔……ってとこかな」
ピンク色の唇をふわりと綻ばせて笑う。
「じゃあ俺は、その悪魔に魅入られて、まんまと手の中に堕ちた憐れな男……ってところか。――いや、憐れではないな。遊び人として費やす無駄な時間をストップさせて、お前との充実するであろう日々を手に入れた」
「充実……ねぇ。俺も毎日、会社で恭輔さんの姿を見られるから充実してる」
「仕事しろよっ!資料室の管理、任されてるんだろ?意外と大変だぞ?出入りが多いから……」
「出入りなんてそうそうないよ。営業部では恭輔さんぐらい……。だから早朝にあなたが調べ物してたこと知ってたわけだし」
同僚に知られないようにプレゼンに関する資料を調べ尽くしていた事を海斗には知られていた。
何事においてもパーフェクトなオレ様だから、データ収集とか面倒なことしなくても資料なんて朝飯前だ!というつまらないアピール。
そのためにここ数ヶ月早朝出勤をせざるを得なかった。
弱みを見せることを嫌って虚勢を張り続けていた俺をずっと見ていた海斗。
時に滑稽に見えたことだろう。
「――ねぇ、恭輔さん」
「なんだ?」
「怒ってる?」
「は?何をだ?」
「俺があなたの処女を奪ったこと……。本来なら俺が抱かれるであろう展開だったんだろうけど」
体をそっとすり寄せて肩に凭れかかった海斗は、上目遣いで俺を見上げている。
甘え上手であることは否定しない。だからこそ可愛いと思うし、守ってやりたくなる。
俺の顔色を見ながら言葉を選んでいる彼からは、なぜか下心は感じられない。
それは恋人となった俺の贔屓目なのだろう。
「――別に。そんなの関係ないだろ。どっちがどっちなんて決まりがあるわけじゃないし」
あえて彼の顔を見ずにテーブルの上に散らかったつまみの包み紙を指先で丸めながら答える。
照れ……とは違う。もう、海斗に抱かれるということを恥ずかしいとは思わなくなっていた。
彼が与えてくれる快楽と愛情を受け入れるだけで幸せになれることを知ったから。
「ねぇ…。俺のこと、抱きたい?」
「あぁ?え……まぁ、そうだなぁ。たまには……いいかな」
「俺の中、気持ち良くなかった?」
「良かったに決まってるだろっ!――ったく」
「――じゃあ、抱かせてあげようか?今夜」
挑むような目で俺を見つめる海斗とバッチリ目が合ってしまった。
ネコだと思っていた彼がリバでもイケることは、出会ったあの夜のうちに分かっている。
事実、俺は海斗の中に入っているのだから……。
でも、今はもうどうでも良かった。むしろ、俺は海斗に貫かれている方が安心する。
抱きつく海斗の頭を押しのけて苦笑いすると、俺はゆっくりと立ち上って振り返った。
俺にはぐらかされた海斗はムスッと頬を膨らませたまま睨んでいる。
「な~に、怒ってるんだ?」
「恭輔さん、冷たい……」
「冷たいかどうか確かめていればいいだろ?ほら、さっさとしろ!俺はお前のキスを待ってるんだけど……な」
ガシャンッ!
勢いよくソファから立ち上がった海斗の足がテーブルに当たり、空になったワイングラスが倒れた。
それに構うことなくローテーブルを跨ぐように乗り越えて、転がったグラスの脇に置かれていたチョコレートを一粒指で摘まむと俺の側に歩み寄った。
「恭輔さん、あ~んっ」
海斗に言われるままに口を開けるとチョコレートの粒を放り込まれた。
あの夜と同じ――しかし、このチョコレートには媚薬は仕込まれていない。
両腕を首に絡めて背伸びをした海斗は間髪入れずに俺の唇を奪った。
「んふっ……」
遠慮なく滑り込んできた舌が素早く俺の舌を絡めとって、まだ残っていたチョコレートを溶かしていく。
ほろ苦く、すっきりとした甘さが口内に広がり、二人の体温でより濃くなっていくような気がした。
舌の上で転がしていたチョコレートが完全に溶けてなくなった時、海斗がそっと唇を離した。
離れていく舌に寂しさを感じ、俺は角度を変えて唇を近づけていた。
わずかに互いの唇が触れて、小さくチュッと音を奏でた。
「――俺の媚薬入りチョコレート」
クスッと笑いながら、俺の唇の輪郭をなぞるように舌を動かした。
二十二歳とは思えない程の色気を纏った海斗は、天使の仮面を外して小悪魔へと変わっていく。
その瞬間の顔が堪らなく好きで、俺は眩しそうに目を細めた。
「ん――疼いてきた。即効性……」
「どこが?言って……」
「それは海斗が探り当てろよ。――分かってるクセに」
首に回されていた彼の手が肩から二の腕に滑り落ちていく。
そして、薄い長袖Tシャツの裾から忍ばせた手を素肌に這わせていく。少し骨ばった指が脇腹を撫で、徐々に上がっていく。
「――恭輔さんの体、好き」
嬉しそうに口元を綻ばせる海斗の唇を啄みながら、不意に襲われた刺激に息を詰まらせた。
「ん……っ」
胸の飾りに到達した海斗の指がキュッと摘み上げたからだ。
そこはわずかな愛撫でもぷっくりと膨らみ、硬く尖っていた。
海斗の愛撫で性感帯にされてしまったその場所を、優しく、時に痛めつけるように捏ねる。
「あぁ……ダメッ」
「ここ?――違うなぁ」
納得がいかないという顔で俺の唇をキュッと自分の唇で挟んだ彼は、そこばかりを執拗に撫でる。
それが海斗の意地悪だと知っていても咎める気にはならない。
奥歯を食いしばりながら吐息を耐えていたが、そろそろ限界が訪れた。
俺は彼の体を抱きしめるように背中に手を回すと、耳朶にそっと歯を立てた。
ふわっと香るのはソープの匂い。柔らかな髪が頬をくすぐった。
「――海斗、抱いて」
自然に口から漏れた声は少し掠れてはいたが、それが功を奏したのか海斗は嬉しそうに頷いた。
「いいよ。いっぱい愛してあげる」
「あぁ…。愛して、くれ」
少し背の高い俺を見上げて目を輝かせる。
海斗の腰を抱き寄せて、自ら寝室へと誘う。抱かれる俺がこうするというのは少しビッチ感が否めないが、いつも全力で攻め込んでくる海斗に対して時に誘ってみるのもいい。
素直な気持ちをぶつけて、それを受け止めてもらう。この時をどれだけ待ち焦がれていた事か……。
「恭輔さん……っ」
照度を極力落とした寝室はいつもと変わらない、爽やかなフレグランスの香りに包まれていた。
先にベッドに腰掛けた俺にキスをしながら、ナイトテーブルの抽斗からジェルのボトルとコンドームの箱を取り出していた彼の手をそっと掴む。
黙ったまま首を振って目を細めた。
「――いらない」
「でもっ。恭輔さん、傷つけたら……」
「バカ…。もうお前の形、完全に覚えたから……平気」
「後始末だって面倒じゃ……っ」
「――今まで何度も中で出しておいて今更?ナマの……方が、き……気持ち、いい……だろ?」
俺は海斗の両手を掴んだままベッドに倒れ込んだ。
細身ではあるが筋肉質である彼は見た目よりも重い。でも、そんなことは全く気にならなかった。
「うわぁ……。最近の恭輔さん、ホント積極的だね。誘われちゃうと、俺……止まれなくなるよ?」
「いいよ。来週から出勤だから、こうやってゆっくり出来なくなると思うから……さ」
「寂しい?」
「ん――ちょっと、だけ」
「え~っ!恭輔さんを寂しがらせるなんて俺、出来ないよぉ!じゃあさ、会社でしてあげる!」
「ば~か。そんなこと出来るわけないだろっ。新人は新人らしくちゃんと仕事しろ」
「え、えぇ……?そういう時だけ先輩ヅラ?そういう事言ってると、これからその先輩を食べちゃいま~すっ!はむっ!」
俺の鼻を甘噛みした海斗は目を合わせたまま口角をあげた。
(か……可愛い!)
形のいい額にダークブラウンの髪を幾筋も落として、勝気な栗色の瞳が妖しく光った。
そこにいたのは天使でも悪魔でもない。獲物を目の前にした野獣の姿だった。
「――メチャクチャにしてやるよ」
耳殻に舌を這わせながら低い声で囁いた彼は、欲情した下肢を俺の腿に強く押し当てた。
スウェットパンツ越しにも分かるほど大きく、そして硬い灼熱の楔……。
期待に胸を膨らませながら、俺は乾いた唇をそっと舐めた。
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