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【3】02

連休までの数日は困惑のうちに過ぎ去り、よく晴れた朝、出発することになった。 車内に響くギターロックは陽気なメジャー展開なのに、隣の高岡さんには反映されずにいる。高岡さんは無表情でハンドルを握りしめ、道路の先を見つめるばかりだ。 「……高岡さんって、何人家族でしたっけ」 「母親と、妹」 「え、妹さんいるんですか?」 「あれ、言ってなかったっけ」 「初めて知りました。いくつですか?」 「えーっと……いま高2かな」 「へー! いいなー、一番楽しい時期だ。三年になると一気に受験モードになるってみんな知ってるから、一生懸命遊んじゃう時期ですよねー」 「……そうかもな」 「高岡さんは高校時代、どうでしたか? 俺ぜんっぜん勉強してなくて赤点ギリギリで。でも無駄に要領いいから結局そのままどうにかなっちゃって、いちばんダメな時期だったなー」 「うーん……あんま覚えてねぇな……」 俺の下手くそな探りは、必要以上に語らない高岡さんの前では通用しなかった。きっと高岡さんには、俺があえて高校時代の話を振ったことさえ透けて見えているだろう。 高岡さんが高校卒業まで過ごした土地と、そこに今も住む家族についていろいろな思惑を抱えていることは、鈍感な俺にも分かる。その場所に俺を連れていくというのだから、高岡さんにとってこの小旅行が、なにかの清算であることも。 「……次のサービスエリアで休憩していい?」 「あ、はい。俺もトイレ行きたいです」 サービスエリアは連休らしく混雑しており、トイレから出ると見慣れていたはずの高岡さんの姿さえも簡単に見失ってしまった。トイレ前のベンチ、喫煙所、フードコートとひとつひとつ見てまわったあと、結局外でぼんやりと立っている姿を発見した。 「たっ……」 かおかさん、なんでこんな分かりにくいとこにいるんですかあ。探しちゃったでしょー。その程度の気軽な文句をぶつけようとした。できなかった。 「あ、おかえり」 振りかえって目が合った高岡さんは、しかしいつも通りの表情をしている。うつむく横顔があまりに重く、一瞬、まったく別の人かと躊躇したのはやはり間違いだったようだ。 「……ただいま」 「ん。食う?」 「なんですかこれ」 やはり高岡さんは高岡さんだ。脈絡もなくポケットから薄緑色の小さな箱を取り出し俺に差し出す、そのマイペースに肩の力も抜ける。 「チョコミントのチョコ。そこの土産もの屋で売ってた」 「高岡さんてほんとすぐ変なもん見つけてきますよね……」 「変なもんじゃないでしょ、俺アイスでもチョコミントがいちばん好き」 「えー? ないわー」 「二位はラムレーズン」 「あーないないないわー。ふつーにチョコとかイチゴとかのが美味しいでしょ」 「伊勢ちゃん子供舌だもんな。お子様はいらねぇよなこんなの」 「ください食べたいです」 「嫌いなら無理しなくていいよ」 「嫌いじゃないですふつうの方が好きってだけで! 食べます」 くだらないやりとりをしていると、ふいに声をかけられた。 「なに食べてるの?」 見ると足元に少女が寄ってきていて、その人懐こさに高岡さんの知り合いなのかと思ったがそうでもないらしい。すぐに母親らしき人が追いかけてきて「すみません」と頭をさげた。高岡さんはかまわずに、さらりと答える。 「ん? チョコだよ」 「えーチョコの色じゃないじゃん!」 「あぁそうかもな。みどり色のチョコなんか見たことないよな。でも意外とうまいんだよ」 「食べたい!」 「こら!」 母親は叱りつけるように言うが、子どもの意識は高岡さんの手へ向けられたままだ。高岡さんは「アレルギーとかありませんか?」と確認した上でその場にしゃがみこみ少女と目線を合わせると、ちいさなてのひらにチョコレートをころんと出す。 「えー……子どもは口に合わないんじゃないですかこれ」 「まあものは経験だろ。まずかったらぺってしていいから」 おぼつかない動きでてのひらを口へ運び、少女はもぐもぐと咀嚼し飲みこんだあと、目を輝かせた。 「おいしい!」 「だろ? 伊勢ちゃんよりよっぽど大人だな」 「は!? なんですかそれ!」 「あー、パパー!」 そのまま少女は、向こうで名前を呼び手を振っている男性のもとへ駆けていった。母親は何度も「本当にすみません」と会釈しながら、それを追いかけていく。俺は何度も目を盗み、高岡さんの横顔を見てしまう。 「……なに?」 「いや、高岡さんが子供の扱いうまくて、意外で……。俺むかし似たようなことしようとして子どもにお菓子渡したら『知らない人からもらっちゃいけないから』って丁重に断られたことありますよ」 「はは、伊勢ちゃんが怖かったんだろ」 「なんでですかね? そんなやばい人に見えますか俺」 「いやまあどっちかっつーと騙される側っぽいか」 「まじ心外」 子供の目はまるく澄んでいるので人間性までもやすやすと見抜いてしまうのだろう。ていうかそれなら高岡さんだって人畜無害なタイプとはほど遠いじゃないですか、と悪態をつきかけたとき、冷えた空気と独り言のような高岡さんの言葉に遮られた。 「俺の父親も怖く見られがちで」 はじめての瞬間は見知らぬ土地にて前触れもなく訪れる。はじめて、高岡さんが、自ら父親を語る瞬間。 「褐色良くて角刈りで、ほんとVシネ出てそうな人でさ。でもすげー子供好きだったんだよな」 「……あー、いますよねたまに。コワモテだけど子供好きとか動物好き、みたいなギャップある人」 「喫茶店とかでコーヒー飲んでて、となりに親子連れが座るともうずーっとかまってるんだよな。子供に向けてずっと変な顔してたり、『ボウズお前なに食うんだ』とか意味もないようなこと話しかけたり。向こうはめちゃくちゃ怖がってんのに」 「はは。それかわいいですね。ちょっと怖そうな人が、実はすごい優しい、ってパターン」 「そうだな、優しい人だったんだろうな」 ミントチョコレートからはじまった情景は過去のかたちで締めくくられ、遠くではしゃぐ子どもと叱咤する母親の声が通り過ぎていく。高岡さんは腰をひねって軽くストレッチをして、言った。 「そろそろ行くか。このあとの時間混むだろうし」 「あ、はい」 サービスエリアを出て走行車線に合流し、しばらくは音楽をBGMに走っていた。時折、さきほど延長のような冗談さえ交わす穏やかな時間になんのきっかけもなく、高岡さんは再び口を開いた。 「うちの父親がさ」 「はい?」 「よく言ってたんだよ。孫ができたらドライブでどこでも連れてってやりたいって」 車が実家に近付くたび、高岡さんがまとっているヴェールが一枚一枚はだけていくような気がする。そして理解した。トイレを出たとき、高岡さんが別の人に見えたのは、あのときの高岡さんが、俺の知らない彼のお父さんによく似ていたのだろう。 窓を開けると山間の冷えた風は夕方の到来によってさらに冷えており、あまりに冷たさに鼻の奥がつんと痛くなった。高岡さんの産まれた場所とかつての記憶が、じりじりと近付いている。

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