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【3】05
「……どういうこと?」
亜澄ちゃんは片付いたテーブルの上に視線を滑らせながら、言葉を探していた。きっと今から始まる話は、俺にとっても亜澄ちゃんにとっても、そして当然高岡さんにとっても、重要なものであるに違いない。テーブルの上のリモコンに手を伸ばし赤いボタンを押せば、リビングは途端に静かになり、厄介な物事から切り離された個室へ変わる。
「お兄ちゃんってずっと恋愛とか興味なかったみたいでさ、ふつー中学くらいになったら気になる子の話とかするじゃん? でもお兄ちゃんの友達に聞いたら『拓海はいっつも好きな子の話とかエロい話に絶対のってこなかった』って。そういうやつ、ってみんな知ってるくらい」
「あぁ、俺も大学入りたてんとき高岡さんに対してそういうイメージだったかも」
「やっぱそうなんだね。その友達もそんな感じであんまり気にしてなかったらしいんだけど、高校入ったらお兄ちゃん、一人の先輩と急に仲良くなって。その先輩が男だったから、『もしかしたら』みたいに噂されてたんだって」
ぴり、と胸が痛んだ。高岡さんが語りたがらない高校時代を、誰かを介して知ってしまうのは秘密を一方的に暴くことと同じではないだろうか。しかし止められなかった。聞きたくないことはいつも、なによりも聞きたいことと、おなじ色味を持っている。
「決定的だったのは、誰かが面白がってお兄ちゃんとその先輩を『ゲイカップル』ってからかったとき、先輩が『うん、俺はゲイだよ』って言ったらしくて」
今のような関係になる前、高岡さんはいつも独りで、口もとを引き締めた真剣な横顔をしていた。他人の介入を極端に嫌うような表情をして、それでいて俺が無遠慮に話しかけるといやがるどころかむしろ嬉しそうにする。不器用な人だと思っていた。
「あ、でもね、別に付き合ったりしてるわけじゃなかったんだって」
「え、そうなの?」
「お兄ちゃんがそう言ってた。仲良くしてた期間だって一カ月とかそのくらいだったみたいだし、周りがあることないこと言ってただけらしいんだけど、田舎だからそういうのってすぐ広まっちゃうんだよね」
「あぁ……」
「そのあとその先輩はすぐ学校辞めちゃって、残されたお兄ちゃんだけがよく分かんない噂で苦しんだみたい。でもお兄ちゃんはその噂を否定もしなかったんだよね。多分もともと、自分が『そう』だってことどこかで言いたかったのかもな、って思ったくらい。で、そんな噂がなんかの拍子にうちのお父さんの耳に入っちゃって、家族会議だよ。そっから毎日喧嘩してた」
亜澄ちゃんはなるべく軽やかな言葉を探すように、合間に前髪を撫でつけて笑う。俺は無理に語らなくていいよ、という代わりに曖昧な相槌ばかりを打つ。高校生には持ち切れないほどの問題を抱える亜澄ちゃんは、くびすじに、ひたいに、みみのうらに、大人びた感傷を隠している。
「うちのお父さんって、絵に描いたような亭主関白のおっちゃんだからさ。『お前とは勘当だ』とか言っちゃって。ほんとドラマかよ! って感じで笑うよね。お兄もいちいち言い返すから、ますますひどくなって」
「うん……」
「その頃にはお兄も高校三年生だったから、ほとんど喧嘩別れみたいな感じで家出ちゃったんだよね。とにかく一人暮らししたかったみたいで、連絡もないし家にも帰ってこなくなっちゃって」
正月、お盆、ゴールデンウィークなどの長期の休み、下宿組の人間は大体実家に帰ってしまう。しかし高岡さんは、そんなときもあの狭いワンルームに閉じこもっていた。一度話の流れで尋ねたこともあったが、「あー、実家に帰る金もないんだよなー」と投げやりに笑っていた。だらしない人間を装い、高岡さんは柔らかい部分を隠していたのだった。
「このままじゃほんとに縁を切っちゃうんじゃないかなって不安だったんだけど、まあ一応、そうはならなかったけどね」
次の言葉は予想できた。高岡さんから聞いていたからだ。つらく痛い次のエピソードは知っている。詳細は知らずともはじめてその話を聞いたとき押し寄せた、言いようのない波を思い出した。だからもう、もう。
「お父さん事故で死んじゃったからさ」
もういいよ、と言いたかったが遮る言葉は間に合わず、不自然な熱を持つその言葉だけが居場所を失くしリビングに転がり落ちた。高岡さんはまだ帰ってこない。
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