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【3】06

「突然だったからみんな受け止めきれなくて……わたし、あんまり覚えてないんだよね、あの時期のこと」 「そっか……」 「でもわたしはバカだからさー、泣いてたってしょうがないじゃん! ってすぐ切り替えられたのね」 亜澄ちゃんは明るくそう言うけれど、表情がかたいために「バカ」らしく「切り替えた」という印象には遠く、痛々しさを覚えずにいられなかった。 「それより辛かったのはお兄ちゃんじゃないかな。結局分かり合えないまま終わっちゃったし、これからのことも……大学はどうしようとか、私とお母さんの分も含めて自分が稼がなきゃいけないんじゃないかとか、色々悩んだと思う」 「あぁ、その辺りのことは少し聞いたことあるかも。一時期、寝る間もないくらいバイトしてたとか」 「でも実はね、お父さんが何かあったときのためにってへそくりで口座を作ってて、そこに結構な貯金があったの」 「え、そうだったの?」 「うん。だからわたしたちの当面の生活はとりあえずどうにかなったんだよね。大学の学費も口座から使えばいいよ、ってお母さんも言ったんだけど、お兄ちゃんがそれは嫌、それだけはやりたくないって言って、バイトいっぱい入って。結局バイトしすぎて授業出れなくて単位落として留年でしょ? ほんっとバカだよねー」 亜澄ちゃんは呆れるように笑いながら、マイペースに広げたお菓子に手を伸ばす。俺も同じように笑って相槌を打ちながら、しかしお父さんの貯蓄に手を出さないことが高岡さんなりの誠意だったのだと、直観的に感じとっていた。 きっと亜澄ちゃんもお母さんもそれを分かっているから余計な口は出さずに見守っていた、だからこそ高岡さんの孤独はさらに明瞭になったのだ。 「ねー伊勢さん」 「ん?」 「違ったらごめんなんだけど、伊勢さんとお兄ちゃんが付き合いはじめたのって春くらいから?」 「え? ああ、そうかも」 「やっぱり!」 「なんで?」 「その頃から急に、お兄ちゃんが元気になったの」 ふいに話題は家族の枠組みを離れ、出てきたのは俺の名前だった。 「それまでいっつも死にそうな顔しててさ。お父さんが亡くなったことで手続きとか色々必要でちょくちょくこっちに帰ってきてたんだけど、いっつもなんにも喋んなくてさ、お兄が家にいると空気悪いからちょっと嫌だったんだよね。でもお急に元気になったの。ほんと分かりやすかったよ。急に優しくなって、わたしとかお母さんのこと気遣ってくれたり、お土産買って帰ってきたりしてさ。いいことあったんだろうなって思ってたんだけど、まーそりゃーいいことだよねー」 ひやかすような口調は、その年ごろの女の子としての純粋な言葉だった。兄だとか男だとかそういう問題をすっ飛ばして楽しんでいるのだ。たくましさに頭が上がらなくなる。そのとき、玄関で物音がした。 「ただいま」 「あーおかえりー」 振りかえると大きな袋を抱えた高岡さんと、防寒具をしっかり身につけたお母さんが帰ってきていた。二人はそのまま台所へ消え、すぐ水道をひねる音やコンロに火をつける音が聞こえてきた。しばらくすると高岡さんがリビングに顔を出し、すぐ目を丸くした。 「え」 「ん?」 高岡さんは、ソファに座る俺の前に立ちはだかって腰を曲げ、まじまじと俺の顔を見る。 「伊勢ちゃん泣いてんの?」 言葉は唐突だった。もしや自分でも気づかないうちに泣いていたのか、と慌てて目元をこするが、手は乾いたままだ。ヒントになりえるものもない。 「え、な、なんでですか!? 全然泣いてないじゃないですか!」 「いや、でもなんかあっただろ? 悲しそうな顔してる」 なにからヒントを得たのかと思えば、『悲しそうな顔』などというぼんやりとしたものらしい。少なくとも俺は普段通りの表情をしているつもりだったし、高岡さんの肩越しに見た亜澄ちゃんも首をひねっている。 「亜澄お前いらねぇことしただろ」 「は? いらないことじゃないですー、いることですー」 「屁理屈言ってんな何したんだよ伊勢ちゃんに」 「あー、すごいことしちゃったかもー」 「ふざけんな殺すぞ」 「違いますから高岡さん!」 妹相手にも大人げなく語気を強める高岡さんの肩を掴んでを止めると、再び俺に向き直った高岡さんの目が深く濡れていた。 「……俺の部屋いこ」 声は小さく、直前の語気とのコントラストで余計に密やかに感じてしまった。きっとその瞬間の俺は、高岡さんにしか分からない悲しそうな顔ではなく誰の目にも分かりやすい照れた顔をしていたのだろう。高岡さんには見えない角度で、亜澄ちゃんがにやにやしている。

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