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【3】07

階段を登った二階は普段あまり使われていないようだ。あまりに静かすぎる廊下を進んでいくと、つきあたりの部屋だけが微かにドアを開け訪問者を受け入れてくれていた。 「わー結構広い部屋ですね、あっ俺もこの教科書つかってた」 北向きの窓から夕方の光が忍び込む高岡さんの部屋は、かつて卒業と同時にばたばたと飛び出していったのがわかる状態だった。そこここに教科書やノート、辞書、制服、今とは雰囲気の違う服といった、当時の記憶が残されたままだ。 ついきょろきょろと見まわしてしまうのをやめられず、壁にも天井にも家具にも目を向けていると、ふいに後ろからがばりと抱きしめられ耳元に唇を寄せられた。 「伊勢ちゃん」 「な、なんすかびっくりした」 「亜澄となにしてたの?」 「なにって……べつに……話してただけですよ」 「別にってことないだろ、俺の話?」 「……とか、お父さんのこととか」 「あぁ……母さんがなんで寝込んでるかとか?」 「え? いや。そんなに踏みこんではないです」 腕におさまったままそこまで話したところで解放され、次に向き合ったとき、高岡さんはなにかを軽く投げてきた。とっさに受け止めたそれは、ビニールに包まれた薄白色のやわらかな丸だった。 「あげる」 「……なんすかこれ」 「高校んときからずっとこの部屋にあるまんじゅう」 「は!? 絶対腐ってんじゃん!」 「うそ。さっき母さんと買い物行ったときに買ったやつ」 「……どっち?」 「本当に買ったばっか。この辺の名菓。うまいよ」 「もー……微妙な嘘やめてもらえますか、っていうか部屋きったねぇ自覚あんなら分かりづらい嘘つかないでくださいよ」 「母さん自殺未遂したことあるんだ」 高岡さんはビニールを丁寧に外しながら、ついでみたいに言った。俺がどんなに馬鹿で耳も口も悪くとも絶対に逃せない話を、まるで過ぎ去った些細なできごとのように。 「亜澄がすぐ気づいて未遂で済んだし、親父が死んだばっかりで一番しんどいときの突発的な行動だったみたいだから本人も自分のしたことすごい悔んでるし、あんまり引きずったって誰のためにもなんねぇんだけどさ、だからって笑い話にはできないよな。腫れ物扱いしてるつもりはないけど、俺たちに心配かけないようにって無理する母さんを見てると、なんていうかそういう、過剰な心配もしたくなるよ」 高岡さんは淡々と語ってまんじゅうを食べはじめる。俺はぎこちない指でどうにかまんじゅうを口まで運ぶ。香ばしい生地の内側に潜む甘さと少しの塩気が時間をかけて舌の上に広がり、俺もまた時間をかけてそれを堪能する。 「これ美味しくない? 俺むかしっから好きなんだよね」 「……こういうこしあん好きです俺」 「でしょ。都会じゃないし遊ぶとこもないけど案外うまいもんとかあったりするし、伊勢ちゃんに知ってもらいたいことたくさんあるんだよな。きっと興味ねぇこともどうでもいいこともあるだろうけど全部知ってほしい」 あえて、すごく冷たい、失礼な言い方をするのなら、より多くのことを知ったところで俺に新しく出来ることなどほとんどないだろうし、なにより高岡さんはそんなこと求めていないだろう。だからと言ってただそこで話を終わらせてしまえば、この場所まで俺を連れてきた高岡さんと、もうこれ以上近付くことができなくなってしまう気がする。きっと共感も同情もしてほしくないだろう、一方でたとえ俺が不適切な反応をしたところで、高岡さんは俺のことを嫌いにもなってくれないだろう。 「……重い?」 「今に始まったことじゃないです」 「はは、そりゃそうだな」 ふいに部屋の外で足音が聞こえ、それがだんだん近づいてきた。そしてなんの遠慮もなくドアが大胆に開けられ、そこに亜澄ちゃんが立っていた。 「おにーちゃーん! ごはんだよー!」 「……いきなり開けんな」 「なんで? イチャイチャしてた?」 「してねぇよバカ」 高岡さんが亜澄ちゃんを軽く小突く。ふたりはきっと笑っているだろう、その後ろ姿を見て、自分が目の前の人について何も知らないことをようやく自覚するのだった。

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