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【3】08

「な、なんか手伝うことありますか!」 キッチンに立つお母さんの背中にかけた言葉は不格好に裏返ってしまった。まず亜澄ちゃんが振りかえり、お母さんがゆっくり振りかえり、高岡さんが笑った。 「やめとけやめとけ。お前この間皿割ったばっかだろ」 「ちょっそれ関係ないでしょ!」 「え? なにまじで? 伊勢さんってそんな不器用なの?」 「この間めずらしく手伝うとか言うから醤油の入ったこんなちっさい皿持たせたらすっ転んで醤油ぶちまけて皿割った上に俺の教科書醤油まみれにした」 「謝ったじゃないですか! めちゃくちゃ根に持ってんじゃん!」 にやにや笑う高岡さんの横で、亜澄ちゃんはひっくり返りそうなくらいに笑っている。女子高生っていうのは何がそんなにおかしいのか、どんなことにも腹を抱えて笑うから居心地が悪いったらない。そんな俺たちの間を縫うようにして、お母さんが大皿を抱えテーブルへ運んでいく。 「ありがとう。でもこれで終わりだから大丈夫よ。さて、久しぶりだからねぇ。中まで火が通ってるかしら」 そして四人でテーブルにつき、夕食がはじまる。サラダやスープの中心にどしんと置かれた大皿には、ハンバーグがごろごろ乗っかっていた。口に運ぶと実家のものとも高岡さんが作るのとも違い、ふっくらしてやわらかい。その驚きが思わず顔に出てしまっていたのか、はじめてお母さんが笑った。 「すごい美味い! やば、びっくりしました!」 「ふふ、お客さんが来るのも久しぶりだから、はりきっちゃった」 「……母さん、身体は大丈夫なの」 「大丈夫よ。ほんとはとっくに大丈夫なのよ」 「無理すんなよ」 「ほんとよ。自分に弱いだけ」 ばくばく食べていく三人と対象に、お母さんの箸はまったく進んでいない。火加減を確かめるためにハンバーグをひとつ、丁寧に割ってから、その箸の先は白米にも漬物にも伸びずただ空気に添えられている。 「すごく、すごく体調がいい日でも、とつぜん思い出したように天気が悪いことが悲しくてたまらなくなって、一度そうなると何もできなくなるの。天気が悪いとかどこかで小さな子が泣いてる声が聞こえてくるとか、そんなことが気になって仕方なくて何も手につかないの。ふふ、弱いわよねぇ」 弱いわよねぇ、と、それは同意を望む形ではなく、諦念を滲ませていた。 「いや……俺もそういうときありますよ」 「そうなの?」 「そういうときは考えるの辞めて、とにかく満足するまで休むほうがいいと思います……いや、偉そうなこと言うんじゃないんですけど……」 俺の言葉のあと、少し静かになった。キッチンで洗ったばかりの食器が水切りに滴を垂らすぽた、ぽた、という音がやたら響くほどに静まりかえっている。しまった、突っ込まなくていい話だったかもしれない。続く言葉を必死に探す俺の前で、お母さんが言った。 「伊勢さん」 遠慮がちに耳に入り込む、美しい声だ。 「今日は来てくれてありがとう。なにもおかまいできないけど、ゆっくりしていってほしいわ」 高岡さんも亜澄ちゃんも、多くは語らず穏やかな空気をまとってハンバーグを口に運んでいる。そのとき見えた。かつてこの家で生活していた、子供だったころの高岡さんが見えた。きっと俺が今いる椅子にかつて座っていたであろう、お父さんの姿まで。 —- 「き、きんちょーしたあ……」 食事を終え、高岡さんとともに自室へ引き上げた途端糸が切れ、俺はラグの上にへなへなと腰を下ろす。 「気ぃ遣わせちゃってごめんな」 「いや気ぃ遣うんじゃなくて、俺、目上の人とかにする対応基本的にグズグズだから気づかずにすげー失礼なことしてそうで怖いんですよ」 「まあな。目上の俺に対する敬語ボロッボロだもんな」 「いやあんたは目上換算してないですけど」 「まぁそうか。家族みたいなもんだし」 「は? またふざけたこと言っ……」 「俺の家族のこともそう思っていいのに」 この人はこういうことを平気で言う上に、そういうときに限って真顔だったりするから、どう対応をすればいいのか分からず口ごもってしまう。高岡さんは、それさえ気にしていないように見える。 「俺風呂入ってくるけど、伊勢ちゃんは?」 「あー……じゃ、後でいただきます」 「一緒に入らなくていいの?」 「いやいいの? じゃなくて、一緒に入る可能性ないですから! 黙って一人で入ってくださいよ!」 「分かった分かった。じゃあ出てくるまでゆっくりしてて」 「そういや俺、きょうどこで寝たらいいですか?」 「ん? そこのベッド」 「あ、ベッド使っていいんですか。ありがとうございます。高岡さんはどこで寝るんですか?」 「ベッド」 「は? ……え!? いや、ないでしょ。それはないでしょ」 「なんで? 俺のベッドだよ」 「いやそうだけど……それなら俺別んとこで寝ますし……」 「別んとこってどこ?」 「いやそれは分かんないけど……」 「なんで? 俺と寝たくない?」 「いやそういうことじゃなくて!」 「とりあえず風呂入ってくるわ」 高岡さんが階段を下りていくと部屋はたちまち静かになる。手持ぶさたのままとりあえず試しにベッドに腰かけてみた。そして試しにそのまま寝ころがってみた。馴染みのない部屋の馴染みのないベッドに顔を埋めると知っている匂いに包まれて、なんか悔しくてベッドの上でバタ足をした。

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