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【3】13
「おっかえり~! 頼んだものちゃんと買ってきてくれた!?」
時々忘れてしまうけれど、女の子の声って冷水なんだった。
会話もないまま帰宅した俺たちを待ち構えていたのはショートパンツ姿の亜澄ちゃんで、そのはきはきとした調子と声量に面食らった。冷水を浴びてまばたきしてしまう俺の横で、高岡さんは靴を脱ぎ散らかしながら持っていた小さな袋を亜澄ちゃんに押し付ける。
「……ん」
「あれ? なにこれ! 頼んだのと違うんだけど!」
「……わかんね、自分で買い直して」
そして高岡さんは俺の目も亜澄ちゃんの目も見ないまま、階段を登っていってしまった。亜澄ちゃんは自室へ向かう高岡さんの背中をじっと見送ったあと、俺に向き直る。
「……なにかあったの?」
驚いた顔の亜澄ちゃんに対し、俺が悪いんだけどさ、と返したくても、口を割ろうとすると先に「でも」が飛び出してしまいそうになる。
原因は帰りの車内だ。煙草のけむりとため息が充満する中で、高岡さんはずっと黙ったままでいた。センパイとの再会がもたらした沈黙に、俺はそろそろ本格的に耐えられなくなっていたのだ。
信号長いですね
……
ね、高岡さん
ん、あ、なに?
しんごうがながい
あー……そうだな……
ぼーっとしてますね
いや、そんなこと……
やっぱショックなもんなんですか、元恋人の結婚
いや、ショックっていうか、そういうわけじゃないけど
……
あ、っていうか、違うからね。別に恋人じゃないから
どっちでもいいですけど
……
……
……
……早く帰りたいっすね
……ごめんな
え?
こんなとこ居ても楽しくないよな、俺の実家なんて居心地悪いだろうし、早く家帰って大学の仲良い奴とかに会いたいだろ
……いやそういう意味じゃなくて、信号長いし結構交通量あるから高岡さんちに着くの遅くなっちゃうかなっていう、亜澄ちゃんとかお母さんも待ってるだろうし、っていう
亜澄とか母親ともさ、一緒にいたらやっぱ気ぃ遣うだろうし
なに勝手にネガティブになってんすか、そうじゃないって言ってるでしょ
ネガティブとかじゃない、申し訳ないって思ってんだよ
だからそれがいらないんだって、なにについて謝ってるんですか? 俺そんなん求めました? 自己満足でしょそんなの
……はぁ?
なんすか?
……もういいよ
「何があったか知らないけどさー、兄けっこう引きずるタイプだから早く解決しちゃった方がいいよ?」
「う、うん……」
「お兄、伊勢さんにベタ惚れっぽいしかわいく謝ったら秒で許してくれるって! あ、あとコレ買ってきてくれてありがとね!」
亜澄ちゃんは相変わらずきっぱりと兄についての取り扱い説明をしたあと、高岡さんが渡した袋を顔の辺りまで持ち上げにっこりと笑って、自室へ引き上げていった。
俺は廊下の冷えた風を浴びながら、しばらく玄関から動けずにいた。高岡さんの後を追って部屋へ行くべきなのだろうけれど、きっと部屋でも車内の状態が延長するだけだと分かっているから足が動かない。かと言って行くべき場所もなく、それこそ高岡さんが言うみたいに学校の奴らでも呼び出せたらいいのだけれど、残念ながらそれもかなわない。
危惧していることはひとつ。車内で、高岡さんは俺の心を見抜くふりをして申し訳ないと言っていたが、実際のところは高岡さん自身が、俺をここへ連れてきたことを後悔しているのではないだろうか。
「あら……おかえりなさい」
「あ、ただいまっ……、です」
そんな自意識にとらわれ立ち尽くしていたところへ、顔を見せたのはお母さんだった。どこか神妙な空気をまとって部屋から出てきたお母さんは、高岡さんの不在を確かめるようにちらりと階段を見上げたあと、もう一度俺を見た。
「……ちょっと、いい?」
お母さんときちんと向き合うのはほとんどはじめてで、どんな人かまるで知らない。背筋が冷えたのは、お母さんの表情や声が、何かを切りだすときの高岡さんと同じだったからだ。
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