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【3】15
じんわり熱を帯びた心を連れて階段をのぼる。暗い部屋には、座り込んで煙草を吸いながら空中を見るともなしに見ている高岡さんがいた。壁のスイッチに手を伸ばしながら声をかける。
「電気くらいつけましょうよ」
「……んー」
相変わらず気の抜けた返事だ。お母さんとの会話で受け取った温かさを冷やしたくなくて、早急に解決したい問題へ遠回りもせず突っ込んでしまった。
「久しぶりに会ってやっぱ好きだなーとか思っちゃったんですか?」
高岡さんは煙草をくわえたまま、ぽかんと俺を見上げている。
「え……なんの話?」
「なにって、今日会った人の話です。高岡さんの高校の先輩」
「……だからそれが、なんでそんな話になんの?」
「だって……高岡さんあれからずっとぼーっとしてるし、あの人のこと考えてるんでしょ?」
「え、ちょっと待って……伊勢ちゃんは、俺があの人のこと引きずってるんじゃないかと思ってるってこと?」
俺が肯定しなければならないのは癪だと黙り込んでいると、予想に反し高岡さんはぱあっと明るい顔を見せた。そしてにやつく顔を隠すこともなく慌てて煙草を消しはじめる。
「あー! だから伊勢ちゃんもテンション下がってたのか、そういうことか、なんだよもー、ただのやきもちじゃん! なんだあ、あーやばいな伊勢ちゃん俺の思ってる百倍かわいいわ!」
「何がですか!?」
思ってもみなかった明るい反応に恥ずかしくなり、こちらの声も強くなる。腕を引かれるままベッドに腰を下ろすと、無垢な瞳に覗き込まれた。何いきなりテンションあがってんすか、と言いたかった。こちらはまだなにひとつ消化できていない。
「伊勢ちゃんずっとむすっとしてたから、あーこんなとこに居ても楽しくないよな、なんでついてきたんだろって思ってんだろうなって思い込んでたよ俺」
「いや……あの先輩に会った瞬間から変な感じになったのそっちじゃないですか!」
「いやまあ、先輩に対して好意はまったくないけど、それ以上にショックだったんだよ、結婚したってこと」
「……やっぱりまだ好きなんじゃないですか」
「そういうことじゃない。っていうかもともと別に恋愛感情があったわけじゃないし、ショックっていうのはおかしいかもしんないんだけどさ、なんていうんだろ。高校時代から『この人は一生ゲイとして生きていくんだろうな』って思ってたから。たったの数年で女の人と愛し合って、子供も作ってることに驚いちゃって。……そしたら伊勢ちゃんもいつか、女の人と家庭を持ちたいとか子どもがほしいって思うのかな、そしたら俺、引きとめる方法ないな、って考えてたんだよ」
この場をひとまず収めるために耳に心地よい言葉ばかり選んでいるのではないだろうかと、怪しむ気持ちが表情に出ていたのだろうか。高岡さんはふやけた顔をきゅっと引き締め、ついに口にした。
「正直に言うけど、あの人とは、確かにそういう行為をしたことはある。でも恋人っていう関係じゃなかった。ひねくれてたから好意ってもんがよくわかんなかったし、自分は誰かを好きになっちゃいけないんだとも思ってたから。……それも伊勢ちゃんにぶっ壊されたけど」
いろんな感情が渦を巻いてうまく返事ができず、高岡さんの声が部屋を舞うのをじっと聞いていた。
「きっかけは興味本位だったけど、興味が薄れてきたころには先輩も学校辞めて、会わなくなってたんだよ。でもそのとき父さんにバレて『男なんか好きになっても幸せになれるわけがないだろ』って言われてさ。別に幸せになりたいなんて言ったことないけど、でもまあ変に納得しちゃったんだよな。そりゃそうだな、って」
「……」
「だからってとつぜん女の人を好きになれるわけじゃないから、誰のことも好きになるつもりないままずるずる性欲処理だけして、俺は一生こうなんだろうな、でも誰かにのめりこんで不幸になるよりはましなんだよな、って思ってた。……それでも俺、色々うまくいってないときに伊勢ちゃんに『俺のこと頼ってほしい』って言われたことあるんだよ。伊勢ちゃんは覚えてないかもしんないけどさ。そのときに、初めて『好きになってもいいんだよ』って言ってもらえた気がして」
淡々と語っていた高岡さんはそこで、ふ、と息を吐いた。
「……なんか自分が重すぎて怖いな」
「高岡さんはだいたいいつも重いですよ」
「……ごめんな」
「冗談ですよ! へこまないで!」
「へこむよー……伊勢ちゃんに言われることにはなんでも敏感だよ俺……」
階下から出汁と醤油と油と、その他いろいろな旨みが溶け合ったまろやかな香りが立ち上ってきた。お母さんの表情と声が部屋に届いたような気がして、胸が熱くなる。素直になりたい。
「俺たぶん、高岡さんが思ってるより、高岡さんのこと好きですから。いまさら女の子がどうとか、結婚がどうとか、そんなことで悩んだりしません」
高岡さんに向けた言葉なのに、自分に対して宣言しているようでもあった。俺は父母に似て好奇心旺盛だけどビビリでもあって、乗りかかった舟を降りる勇気なんか持っていないのだ。
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