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第10話羞恥

 不意に。甘美な微毒の糧を貪る俺の背へ、そっとミカルの腕が回される。  ぞわりと悪寒が走り、思わず噛みつく力を強めてしまった。  より湧き出た血が俺の本能を煽り、離れろと暴れるよりも飢えを満たすことに集中してしまう。  貪ることしかできない俺の耳元で、ミカルが囁く。 「やはり貴方は、思った通りの人ですね……」  あまりに小さく掠れた声。  やけに優しい響きがして俺の全身がざわつく。  俺の何を知った気になっている?  ミカル、お前は知りはしないだろ。  どれだけ俺が人に裏切られ、苦しみ、嫌悪しているかを──。  ──それなのに人を糧にしなければ生きられないという現実に、気を抜けば狂いそうになっていることを。  同情しているのか? 哀れんでいるのか?  少なくとも憐憫の情はあるだろう。そうでなければ、魔の者を人に戻す術を探そうなどと考えない。  腹立たしくもミカルの腕の中で、俺は空腹を満たしていく。  理性が本能を抑え始め、吸血以外のことができる余裕が生まれた瞬間。 「……もう十分だ、離れろ……っ!」  俺はミカルを突き飛ばして体を離そうとする。  だが手の封印に加え、バラの香りを含んだ血は俺を脱力させ、非力な抵抗しか生み出せない。  ミカルの体は離れてくれなかったが、柔らかく囲い込んでいた腕からは解放してくれた。しかし、 「お腹が膨れたようで何よりです。顔色も良くなってますし……ああ、口回りが少し汚れていますよ」  おもむろに俺の顎を掴んだかと思えば、ミカルは親指をゆっくりと動かし、血で汚れたであろう俺の唇を拭う。  こそばゆい感触に思わず体が跳ねる。  一瞬でも情けない姿を晒してしまった。羞恥の熱が俺の顔へ一気に集まった。  嘲る訳でも見下す訳でもなく、ミカルは穏やかな微笑みを浮かべて俺を見つめてくる。 「そうして顔を赤くされていると、私たちと同じ、血の通った若者にしか見えませんね。なんて初々しい」 「み、見るな……くっ……封じられていなければ、この手を跳ね飛ばしてやるものを……っ」 「フフ、それは困りますね。この手がなくなってしまうと、私がずっと望んでいることができなくなるので」 「望んでいること?」 「私の心を掴んで離さないものを、この手で正面から強く抱き締めたい……そのためだけに私は生きているようなものですから」  己のことを語りながら、ミカルが瞳を甘く蕩けさせる。  いったい何を指しているのか分からないが、おそらく恋慕している相手だろう。  人間相手には穏やかそうだが、魔の者相手には熾烈を極めた戦いを仕掛けてくるような男だ。  一度狙ったものは絶対に逃さず仕留めるという執念深さ。  この男の標的となってしまった相手に心底同情しながら、俺は首を振ってミカルの手から逃れる。  ソファでぐったりする俺を、ミカルはいつまでも笑いながら見続けるばかりだった。  

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