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「やれやれ……。ええと、資料だね」  二人が出て行くと、橘は、机に積んであった紙の束をあさり始めた。百合人は、思わず尋ねた。 「あの、橘先生。アポロン神って、男性も恋愛対象だったんですか?」 「え? ……ああ」  意表を突かれたのか、橘は一瞬きょとんとしたが、あっさりうなずいた。 「美少年を愛したエピソードは、結構あるよ。特に有名なのは、ヒュアキントスだね」 「ヒュア……?」 「ヒュアキントス。絶世の美少年で、アポロンとは相思相愛だったんだけど、そんな彼に横恋慕した神様がいてね。ゼピュロスといって、西風の神様なんだけど。嫉妬に狂った彼は、アポロンとヒュアキントスが円盤投げをして遊んでいた時、アポロンの投げた円盤がヒュアキントスに当たるよう仕向けたんだ。何せ風の神だからね、操るのはお手の物。こうして円盤が額に命中したヒュアキントスは、死んでしまったんだよ」 「へえ……」  残酷な神もいたものだ、と百合人はぞっとした。アポロンが自分にかけた魔法など、まだましに思えてきた。 「アポロンはたいそう嘆き悲しみ、ヒュアキントスが流した血から花を咲かせた。それがヒアシンスの由来だとか。それくらいアポロンは、ヒュアキントスを愛していたんだ。僕個人の見解では、ヒュアキントスこそがアポロンの本命だったんじゃないかと思うよ。他のどんな女性たちよりもね」  なるほど、と百合人はうなずいた。橘は、そんな百合人をチラと見て意味深な笑みを浮かべた。 「ところで花岡君。神話の話はさておき。さっきの二人を見ても、君はちっとも驚かなかったね。男同士のカップルって、もしかして慣れてる?」 「い、いえ!?」  ゲイだと悟られないよう、百合人はあわてて否定した。 「びっくりはしましたけど。でも、ギリシャ神話への興味の方が勝っていたので。そのことで頭が一杯で」 「そう。それは熱心なことだね」  橘はもう一度微笑むと、百合人に資料を手渡したのだった。

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