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 橘は、百合人を自身の研究室へ連れて行った。ユウイチには、今度大学へ来たり百合人に付きまとったりすれば、警察へ突き出すと警告してある。 「彼の顔写真と車のナンバーは、大学内で情報共有する。図書館や守衛の人たちには厳しく言っておくから、安心するといい」  橘は、百合人をソファに座らせ、コーヒーを勧めてくれた。ありがとうございました、と百合人はか細い声で礼を述べた。 「来てくれて、助かりました……」 「うん。実は花岡君を探していたんだ」 「僕を?」  百合人はきょとんとした。 「十五分ほど前だったかな。たまたま図書館の前を通りかかったら、花岡君が読書しているのが見えてね。ギリシャ神話の面白い資料があるのを思い出して、あげようと思ったんだ。それで研究室へ取りに行ったんだけど、資料を持って図書館へ戻ったら、もう君の姿はなかった。仕方なく駐車場を通って帰ろうとしたら、何だか不審な車が駐まっている。予感がして、のぞいてみたんだ。助けられてよかった」 「そうだったんですね……。ありがとうございました」  しばし、沈黙が流れた。気まずい空気に、百合人は戸惑った。ユウイチがばらしたアプリの件について、橘は何も聞こうとしない。だが百合人は、あえて打ち明けることにした。彼には嘘をつきたくなかった。 「あの、橘先生。さっきの彼が言っていたこと、一部は本当なんです。……その、僕、以前ゲイ向けのマッチングアプリを利用しました。彼とは、そこで出会いました」 「そう」  橘は、特に表情を変えるでもなかった。 「でも、関係は持ちませんでした。ホテルへ誘われましたけど、断ったんです。彼はそれを根に持って、大学へ押しかけてきたんです。……あの、軽蔑されます?」

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