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第32話

 舟而(しゅうじ)は落ち着いていて、風呂敷包みの中から(くだん)の写真を取り出した。 「この写真をご覧頂きたいのです」 「おや、竹之介じゃないか」 次兄の言葉に日比は頷き、白帆(しらほ)は眉間にしわを寄せる。 「ええ? 竹之介ってもっと恰幅がよくて布袋様みたよな身体つきをしてなかったっけ」 「三年前に胃潰瘍の手術を受けたんだよ。それから食が細くなって、ずいぶん痩せちまった。別人みたいだろ? 暮れに里へ帰っても、親が竹之介だってわからなかったってさ」 舟而は話を聞いて頷き、さらに問う。 「この写真、五面(いづら)温泉の写真屋で撮ったようなんですが、事情はお分かりになりますか」 「今、竹之介は御頭領(おかしら)のお供で、暁天町の叔父さんのところへ行ってるので、少しお待ちください。御頭領が帰るまで、絶対に白帆を引き留めておくようにと厳命されていますので」 白帆は再び深いため息をついた。 「帰ったよ」 「おかえりなさいませ」 白帆(しらほ)は身体に染み付いた動きで玄関へ飛び出して行き、(うやうや)しく膝をつき、手をついた。 「おお、おお、白帆。よく帰って来た。ますますおっかさんに似て別嬪(べっぴん)になったな。おっかさんにも見せてやりたかったよ」 御頭領として礼儀正しく敬う白帆のおかっぱ頭を、父親の顔で相好を崩し、厚みのある手でくしゃくしゃと矢鱈滅多(やたらめった)らに撫でまわす。  手水を済ませると、銀杏座の御頭領(おかしら)こと白帆の父親は客間へやって来て、ずらりと並ぶ甘い菓子を見た。 「おや、白帆は手を付けていないのか。腹でも痛いのか。可哀想に、どうしたんだ」 「あとで頂きますっ」 引っ搔き回されたおかっぱ頭を熊手のように広げた手櫛で整え続ける白帆の不機嫌な声に、御頭領はいたずらっ子のように肩を竦めて座布団へ座る。  それなりの年齢なのに、どっこいしょ、などと言わないのは、さすが日々鍛錬している役者だ。  その役者の威厳の前にも怯むことなく、舟而は堂々とした仕草で畳に手をついた。 「お初にお目にかかります、渡辺舟而と申します。今日はお忙しいところ、お時間を頂きまして、ありがとうございます。 私の家におりました女中の夏が、五面(いづら)の温泉旅館へ嫁ぐと言って出て行ったのでございますが、そのお相手がこちらの竹之介さんではないかと思いまして、事の真相をお教えいただきたく、お願いに参りました」 「舟而先生、白帆がお世話になっているそうですね。どうぞよろしく頼みます。『芍薬幻談』を毎日楽しみに読ませて頂いてます。躍進座の脚本も大好評でしたな」 「恐れ入ります」 「さて、竹之介とお夏さんのことでしたな。竹之介を呼びましょう。竹之介、竹之介」 呼ばれてすぐに客間の前へやって来たのは、地味な着物姿だったが、紛うことなきお夏の再婚相手だった。 「竹之介っ?! どういうことっ?」  白帆が竹之介を睨むように見る。 「申し訳ございません」 竹之介は静かに畳に手をついた。  煎茶で口を湿らせた父親が淡々と話した。 「お夏さんが新橋で芸者をしていた頃の置屋の女将と、私は面識があってね。女将を通して頼まれたんだ。 地味で堅気(かたぎ)な暮らしに飽きてきた、今さら新橋とは言わないが、せめて温泉で芸者をしたい、見番(けんばん)との話はもう決まっている。 ただ、それを正直に舟而先生と白帆に話すわけにはいかない。 もしそんなことをしたら、先生と白帆は、うるさく引き留めてくれちまうだろうし、たんと心配も掛けるだろう。 そんなことはしたくない、二人を安心させたまま、円満に家を出たいから、嫁に出るという筋書きで一芝居打ちたいと相談があった。 そこで竹之介を相手に見立てて再婚という筋書きになった」 「じゃあ、お夏さんは、五面温泉で芸者をしてるってことっ?」 白帆が再び竹之介を睨む。その瞳はうっすらと濡れていた。  竹之介は頭を下げた。 「私は写真を撮ったなり、見番(けんばん)へ行くというお夏さんと別れて、その日のうちに東京へとんぼ返りしましたので、その後のことまではわかりません」 「ちょっと、言うことはそれだけっ?! だいたい……っ」  さらに食って掛かろうとする白帆の胸の前に、舟而がすっと手をかざして押し留め、頭を左右に振って見せた。白帆は大きく息を吸い、吐きながらどすんと座布団に座りなおす。 「明日の朝、五面温泉へ行きます。夏が大変なご迷惑をお掛け致し、申し訳ございませんでした。このお詫びは必ず、また改めて伺います」 舟而は座布団から下りて畳に額が触れるほど深く頭を下げると、一人で立ち上がって写真を掴み、客間を出て行った。 「ちょ、ちょっとお待ちくださいまし、先生!」 白帆が慌ててあとを追うと、玄関で下駄を履いた舟而は二重回しを手に、白帆へ厳しい目を向けた。 「白帆は躍進座の親方のところへ帰りなさい。日比君もここまでだ」 「どうしてですか?」 「二人には見せたくないものがあるかも知れない」 格子戸に手を掛けて出て行こうとする。 「先生と私の間柄で、なんで今さらそんなことをおっしゃるんですか。おお兄様、先生のこと引き留めてくださいっ」 白帆は客間にとって返し、信玄袋を掴んで飛び出そうとするところへ、弟子たちに風呂敷包みいっぱいのお菓子を持たされてから、長兄に押しとどめられていた舟而と、身支度を整えた日比と三人で実家を出た。 「とにかく最終回までの原稿を今夜中に書き上げて、明日の朝、日比君のところへ原稿を置いたら、その足で五面へ行くことにする」 「わたくしは支局に問い合わせて、話を聞いてみます。お夏さんが嫁ぐと言っていた旅館の名前と住所を教えてください」  日比は旅館の名前と住所を手帳に書き留めると新聞社へ帰り、舟而は白帆が作った焼きおにぎりを食べながら、夜を徹して原稿用紙に向かった。

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