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第34話
「まずは写真館へ行ってみよう」
写真台紙の裏面に書かれた五面 写真館という名称を頼りに、高台の洋館を訪ねた。
大きな天窓のある撮影室に丸眼鏡で口髭を蓄えた主人がいて、舟而 が写真を差し出すと目を丸くした。
「やあ、本当に訪ねてきた!」
部屋の隅の抽斗 から、封筒を持ってきた。
「できあがった写真を送ったら、もしかしたら写真を持って訪ねてくる男性があるかも知れない、
そのときはこの手紙を渡して欲しいと言われたんですよ。
三ヶ月経っても来なかったら、この手紙は捨ててくれとも言っていたんたが」
宛名は書かれていなかったが、裏返すと細い字でなつと書かれていた。
舟而は手紙を受け取りながら、落ち着いた声で質問した。
「この手紙を託した女性はどんな様子でしたか。何と言っていましたか」
「記念写真を撮りたいとおいでになりました。
少し前に奥様がお一人でお見えになって日にちのお約束を頂いて、次にご夫婦で旅支度でいらして、紋付にお召し換えになってから、写真をお撮りしました。
とても晴れやかな明るいご様子でした。
このまま旅行へ行ってしまうから、できあがった写真はこの封筒に入れて東京のご実家へ送ってほしいと、手紙入りの住所を書いたものをお持ちで、切手代もお預かりしました」
「そうでしたか。……旅行の途中なはずだのに、こんな立派な写真が届いたので、少しく不思議に思ったんです」
舟而は咄嗟に話を合わせ、弓型に目を細めた。
「手間をお掛けしました。確かに受け取りました。ありがとうございました」
舟而はにこやかに挨拶をし、白帆は「これ煙草一ツ」と懐紙に包んだ心付けをそっと置いて写真館を出た。
そのまま近くの見晴台に腰を落ち着けて、舟而は封筒の端を千切り、便箋を引き抜いた。
『とほく まで来て下さってありがた う
わたくしは一足先にまいります
何卒御ゆるし下さいませ
とても仕合せでした
舟ちやんと白帆ちやんの御仕合せと御活やくを
心よりおいのり申し上げます
いつまでもなかよくね 夏子』
誰もいない見晴台で、白帆 は両手で顔を覆って号泣した。白帆の泣き声が海から吹き上がる潮風に巻き取られて、高く空へ上っていく。
「お夏は何度も『次のところへ行く』と言っていた。昨日今日の生半可な気持ちではなく、ずっとこうしようと決めていたんだ。再婚相手の両親に会いに行くと言って出掛けたのも、この準備だったんだろう」
舟而は冷たい海風に黙って頬を打たせながら、遠くにある海の水を見た。
「うわあああああっ、うわあああああああっ、うわあああああああああっ!」
喉が裂けんばかりに白帆は叫び、繁征の下駄で地団駄を踏み、見晴台の囲いを掴んで揺すぶって泣いた。
舟而はマッチを取り出すと、咥えた煙草に火をつけ、同じ火で写真にも火をつけて、地面へ投げた。
「先生っ、何をなさっているんですか!」
「余所 へ迷惑をかける物は残さない方がいい。お夏は女中の仕事に飽きて暇乞 いをして、五面温泉でもう一度芸者になると言って出て行った」
白帆の父親や竹之介に説明した筋書きを舟而は口にする。
「お夏が書いた住所を頼りに郵便を送っても返ってくるので、不審に思って僕の担当する日比君に調べてもらったところ、この地方版の小さな記事に辿り着いた」
舟而は淀みなく話した。
「いいかい、白帆。誰に何を聞かれても、僕と夏以外の名前は出すんじゃないよ。役者なら、ここ一番と思って演じてくれ」
「はい」
ポケットからキャラメルを取り出して白帆に差し出す。
「さあ、お夏を迎えに行こう」
警察署は、駅から海へ向かう街道の辻のところに建っていた。
松林が始まる境で、針のような緑を背負って、冷たいコンクリートを剥き出しにして、厳めしく構えている。
白帆にとっては、玄関に向かう十段ほどの階段が権威の高さに思えて気圧されて、通りかかった制服と制帽の男性にじろりと睨まれ、下がりそうになる足を踏ん張った。
舟而はまったく落ち着いていた。
「この新聞記事に書いてある女性が知り合いではないかと思いまして、こちらへ伺いました」
日日新報 の地方版を見せると、奥から出て来た背広の初老男性が、鋭い目つきで舟而を睨め上げる。
「あんた、どちらさん?」
「東京で小説家をしています、渡辺舟而と申します。日日新報で『芍薬幻談』という話を書いています」
舟而はまず自分の名刺を差し出した。
「ふうん。『芍薬幻談』は、わしも読んでます。ただ、あなたが本当の渡辺舟而さんかどうかってのは、わかりかねますなぁ。新聞で渡辺舟而という名前を見て、名乗っているかも知れない」
「日日新報本社、文化部記者の日比さんから、名刺を頂きました」
「ふむ。で、どうしてこの新聞の女を知り合いだと思ったんだね」
「この嘘の住所と、受け取った手紙です。そしてこのお守りは、お夏が呉れたもので、僕たちがお夏に渡した反物の端切れで作ってあります」
「そちらの坊やは?」
「東京浅草、躍進座の二代目銀杏白帆と申します」
「役者?」
「はい、女形を勤めております」
白帆は自分の名刺を持たないので、日比からもらった名刺を両手で淑やかに差し出して見せた。
「白帆は、今は声変わりで役が付かないので、書生として僕のところで預かっています」
「ふうん。で、あんたとこの女はどういう間柄かね」
「僕の同郷で、しばらく僕の家で女中として働いていました。芸者になると言って暇乞いを言ってきたので、餞 に綸子 の、この反物を渡しました」
舟而がお守り袋を差し出すと、背広はつまみあげてとみこうみした。
「詳しく話を聞かせてもらおうか。おい、お座敷にご案内だ!」
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