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第37話

「それで、お夏さんってのは、どんな人物だったんだい? やっぱり世話好きな情に厚い人だったのかい?」 「はい。頼りがいのあるお姉さんでした。私のことも、弟のように可愛がって下さいました」 「じゃあ、どうして死んでしまったんだろうね」 「どうして……」 自分と先生が一緒になったので、お夏の居心地を悪くさせたのではないか。という考えが一番先に来た。  しかし、舟而にしっかりしなさいと焚き付けて、自分たちをまとめてくれたのもお夏だし、白帆と舟而が引き留めないようにと、わざわざ一芝居打ってくれたのだから、そこをさらに疑うのはお夏に失礼なような気がした。 「わかりませんけど、ひょっとしたら……」 白帆の呟きに、羽二重餅はわずかに身を乗り出した。 「前の晩に『お互い、幸せになりましょうね』って言われて、指切りをしたんです。命を絶つことが、お夏さんの幸せだったのかも知れません。よく、わからないですけど」 「ふうむ」 「『白帆ちゃんがしっかりしているから、先生を任せて安心して行ける』と笑顔でおっしゃっていました。気がかりは先生のことだけで、それさえなければ、ずっとあの世へ行きたかったのかも知れません」 そこまで話したら、白帆の頭の中は一気に回転して、色んなことが思い合わされた。 「私が書生として転がり込んだりしなければ、お夏さんはずっと先生を心配して、生きていて下すったかもしれない。私が押し掛けたりしなければ……。私が、私が軽率なことを。いいえ、熟慮したつもりだったんです。声がだめになって、踊りもだめになって、役者としてどうしたらいいのか考え抜いて、必死の思いで先生のところへお願いに上がったんです! でも、でもっ、自分のことに必死で、浅はかでした……っ」 自分の思い詰めた行動が、人の行く道を変えてしまったのかも知れないと思うと、急に足元の床が消えたように怖くて、がたがたと身体が震え、滝のように落涙した。 「私のせいだっ! 私の、私の馬鹿が悪いんだ。私がお夏さんを死なせたんだっ!」  白帆はおかっぱ頭を掻きむしり、椅子から立ち上がってどこかへ駆け出そうとして、羽二重餅に背後から羽交い絞めにされた。 「私がっ、私が悪いんですっ! 私がっ! 私がっ! お夏さあああんっ」 「落ち着きなさい、落ち着きなさいって! 落ち着けっ!」 羽二重餅は白帆が振り回す手を巧みにかわしながら、「おい、煮え湯を持って来い」と指示した。  何をされるのかと思えば、両肩を上から強引に押されて元の椅子に座らされ、湯呑茶碗に丁子(ちょうじ)が浮かんだ湯を突き出された。 「いいか、これは煮え湯だ。火傷しないように気を付けて、少しずつ、でも一息に飲みなさい。全部の話はそれからだ」  茶碗は熱くて持てず、教えられて不調法に茶托ごと持ち上げて、火傷をしないようにという一点に意識を向けて、ふうふうと吹きながら煮え湯を口にした。砂糖が入っているらしく甘味がして、白帆は言われたとおりに煮え湯を少しずつ少しずつ、羽二重餅に仁王立ちして睨みつけられる前で全部飲み干した。 「はあ……」 指先までぽかぽかと温まって身体が解れ、一瞬でも煮え湯に気を取られて自分の考えから離れたことで、気持ちは落ち着きを取り戻していた。 「いい子だ。こういうときだからこそ、しっかりしなさい」 「はい……。相済みません」 「まあ、あなたは夏さんの胸の内は知らずに先生のところへ行ったんだろうし、そんなに自分を責めないでくれたまえ。 人間は、人と人との間に生きているんだから、互いに何の関係もなしなんて訳にはいかないよ。 あなたの芝居を見て、心を動かされる人だってたくさんいるし、その一々をあなたがどうこうできるってことじゃない。 全ては受け取る側の心持ち次第なんだよ。 こう言っちゃ何だけど、これも寿命なんだ。 心に固く決めた人は、どれだけ引き止めても、説得しても、引き返してはくれない。 ありがたくないことにあのあたりは自殺の名所で、私も呼び掛けたことは何度もあるけど、ああ旅立つんだなとわかってしまうことがあるよ。 人の命はどうにもならないもんだ」 取り調べのはずが慰められて、あとはおそらく羽二重餅が意図的に芝居の話に逸らしてくれて、白帆は演じたり歌ったり踊ったりしながら、長い時間をコンクリートの小間で過ごした。 廊下で人の話し声や足音がいろいろして、ようやくドアが開き、コンクリートの小間から出された。まず舟而と目が合った。  舟而は原稿が進まないときのような顔で、いつものように左手を自分の髪に突っ込んで掴んだらしい、左の髪だけが突っ立っていた。 「先生、お疲れ様でございました」  舟而はうんうんと頷くだけで、一言も発しないので、白帆もすぐに黙った。  羽二重餅と、目つきの悪い背広と一緒に、一階の北向きの部屋へ行った。 「こちらで法に(のっと)って荼毘(だび)に付せさせてもらいました。身元確認のために着物の袂をちょっと切らせてもらいましてね、ご確認ください」  白い綸子(りんず)の雲紋様だった。冬にもかかわらず浴衣のような裏地のない単衣(ひとえ)仕立てで、縫い目は大きく、荒く飛ばした縫い方をしてある。 「最後の夜、お夏さんは自分でこの着物を仕立てたんだ……。お守り袋を縫うのにくけ台なんて、いらないもの。この着物を縫って、くけてたんです、きっと。どんな思いで……、どんな思いをなさって、自分の最期の白い着物を……っ」 白帆は手拭いを目に当てて、人目も憚らずに号泣した。肩を抱く舟而の指が食い込んで、その痛みだけを頼りに足を踏ん張り、持ちこたえた。 「まあ、よかったです。お迎えが来てくれてね。連れて帰ってあげてください」  羽二重餅が骨壺をそっと撫でた。  骨壺は何の布も着せられずむき出しで、白帆は涙を拭くと、信玄袋から花紺色の風呂敷を取り出した。 「寒くないようにしましょうね、お夏さん」

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