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友好のシナリオ
智也がちょっと得意な顔で取り出したノートに、柴崎涼はしばしの間、沈黙した。
「どうして……?」
「ぼ、僕、人と話すのが苦手で。だからこういうのがあれば、うまくできるかなと……」
智也が昨晩苦労してノートに書き上げたのは、題して、「柴崎涼くん&塚田智也 仲良しシナリオ」だ。映画の脚本のように、それぞれのセリフ、さらにはト書きまで記入してある。
柴崎とスムーズに会話をし、友好的な雰囲気を醸し出す。それは智也にとって難易度が高すぎた。
人に言葉をかけられても、咄嗟にうまく返事ができない。バカな受け応えをして変な奴と思われたらどうしよう、などと余計なことを考えて、「ああ」とか「うう」のような生返事になる。動物が鳴き声でコミュニケーションを取るのと似ている。後から思えば単なる業務連絡だったり、どうでもいいような世間話で、深く考えるほどのこともない。あの時はこう答えればよかった、などといくらでも思い浮かぶのに。
そういう智也なので、柴崎のような人を相手にスムーズな会話など不可能だ。盛り上がらない会話で、友好的どころか気まずい険悪な雰囲気を醸し出すに決まっている。
(でも、これさえあれば!)
智也は柴崎に、お手製の台本を力強く差し出した。
(何を喋るかあらかじめ決まってる。それなら、僕でもスムーズな会話ができる!)
柴崎は硬い表情で台本を受け取った。
(え? もしかしてちょっと引いてる? いやそんなことないよね?)
智也はどきどきしながら、ページをめくる柴崎を見守った。
人と接するのが苦手。だから、動物相手の仕事を。智也がこの道を選んだのも、初めはそんな、些か不純な動機からだった。しかし社会に出ればどんな仕事であろうとも、人相手のコミュニケーションは不可欠だ。苦手と逃げるばかりでなく、できるやり方を自分で工夫して頑張ろう。智也はそう考えたのだった。その結果が、この台本。
(だってこんなにリア充の柴さ――『涼』が、僕みたいな奴に歩み寄ってくれてるんだから)
その心に応えなければ、と智也は思った。少なくとも、柴崎の足を引っ張ってはいけない。せっかく、二人にとって初めての担当を任されたのだから。
初めはちょっと引き気味に思えた柴崎だったが、しばらく時間をかけ、台本にきちんと目を通してくれている。智也が見ていると、微かな笑みが唇の端に浮かんだ。
(あ。笑った……)
力作の台本を笑われたのかと、智也は一瞬ヒヤリとした。だがそれは馬鹿にするような笑みではなく、温かい微笑だった。智也はなぜか、頬が熱くなる。
柴崎の顔立ちは整いすぎていて、やや冷たいような第一印象を人に与える。だがその予想を裏切って突然現れる、優しく親しみやすい笑顔は強烈だった。
(こんな笑顔見せられたら――、どんな女の子も柴崎のこと好きになっちゃうだろうなあ)
などと智也がぼんやり考えているうちに、柴崎は台本を一通り読み終えたようだ。智也はおずおずと尋ねた。
「ど、どうでしょう……?」
「ええと、この通りにやればいいんだね」
「はい! よろしくお願いしますっ!!」
智也は深く頭を下げる。
「分かった」
柴崎は深呼吸してパタリと台本を閉じ、智也にあの笑顔を向けた。
「じゃあ、智也! 二人で頑張って、繁殖を成功させような!」
「『お、おはよう! りょっ、涼!!』」
智也は大きく深呼吸をして、寝室のドアを開けた。
「『おはよう、智也』」
先に二匹を起こしに来ていた、「涼」が振り向く。ブランはもうベッドの上に起き上がっていたが、寝起きの悪いアルバは毛布でしっかり体をくるみ、小さく丸まっている。涼がブランを洗面所に連れて行き、智也はアルバを起しにかかった。
「アルバ。ほら、朝だよ。起きて」
「んん……、ふぁふ」
智也が抱え起こすと、アルバはそのまま智也の胸に抱きついてきた。寝ぼけ眼で頬をすり寄せる様子は、本当に子猫のようだ。
(可愛いなぁ……)
温もりが伝わる。頭を撫でると黒い巻き毛はもふもふで、ずっと撫でていたくなる。
(待ってて、アルバ。僕たちが頑張って、ホルモンなんかじゃんじゃん出させてあげるから!)
二人と二匹の一日は、朝の健康チェックから始まる。智也と涼は器具の用意をしつつ、目配せを交わした。
(よし! 打ち合わせ通りに)
「『りょ、涼!』」
「『なんだい、智也』」
「『き、昨日は、仕事の後で、一緒に飲みに行ったわけだけど!』(説明パート)」
「『あの店気に入ったよ。また行こうな』」
「『たっ、楽しかった……な!』」
仕事の後も一緒に過ごす仲良しの友人同士、という設定だ。言語を解さないアルバたちに会話の内容までは伝わらないが、和やかな空気は醸し出されているはずだ。
(よし。出だしはとりあえず好調だ!)
智也は心の中で密かにガッツポーズをした。
器具の準備が終わると、涼がまずブランから健康チェックを始める。
ブランは気性が穏やかだ。言うことをよく聞き、手がかからない。きれい好きで、部屋を散らかすこともない。だがその反面、臆病で繊細だ。こういう個体は不調やストレスを抱えていても、はたから見えにくい。気づくのが遅れがちなので、注意する。
アルバの方は、かなりはっきりした性格だ。好奇心旺盛でよく動き回る。いつも元気で人懐こい。機嫌の悪い時はむくれて言うことを聞かなかったりするが、こういう個体は普段の手間こそかかるものの、ストレスをためにくいし、体調不調はすぐ表に現れる。
涼が二匹の体温や脈拍など、決められた項目の計測を行ってゆく。智也は記録係だ。
「問題なし!」
二匹の計測が終わり、涼は智也に向き直る。
「『じゃあ次は、智也の番だよ』」
上山動物園では、職員が風邪などに罹患して飼育動物にうつすのを防ぐため、従業員も毎朝の健康チェックを行っているのだ。
「『俺がやってあげる』」
「『じ、自分で計るからいいよ!』」
「『遠慮するなって~』」
「『ええ~。いいって言ってるだろ~』」
苦心して書いた台本ではあるが、コミュ障智也の、「仲良し」のイメージはかなり貧弱だった。それでも智也は、演じているうちに少し楽しくなってきた。
(たとえ演技でも、僕と柴崎くんが仲良くする機会なんて二度とないだろうな)
朝の健康チェックを終えると、次は朝食だ。いつものケータリングが届いていて、料亭から来た配膳係がテーブルに皿を並べている。今朝はフレンチらしい。用意されているのはむろん二匹の分だけだが、とりあえず昨日と同じように、智也たちも一緒に席に着く。
「あっ、卵焼きだよ、アルバ!」
給仕された皿を指差して、智也ははしゃいだ。アルバの目も輝く。
「アルバ好きでしょ、卵焼き。よかったね!」
だが配膳係は渋い顔で、Omelette du なんとかでございます、と、きれいな発音で訂正した。
きらきらした瞳でそれを口に運んだアルバとブランだったが、一口食べるなり、微妙な表情で小首を傾げた。正直だ。
「好き嫌いはダメだよ。ほら、あーん」
どうにか食べさせるが、二匹とも食が進まない。しかし、あまりのんびりするわけにもいかなかった。
「急がないと」
もうすぐ午前十時。上山動物園の開園時刻だ。子供たちの声が、遠くから微かに聞こえてくる。
アルバたちは週に三日、午前中のみ、日光浴と運動を兼ねて屋外の展示室に出かける。珍獣をなるべく地球人と接触させるように、というG38側からの要望があったので、上山動物園では一般公開の時間を設けたのだ。お客さんは鉄柵に囲われたぶ厚い防弾ガラス越しに、二匹の姿を眺めることができる。展示は涼の担当で、二匹にボール投げなどをさせながらマイクを通して解説したり、質問コーナーの受け答えなど、接客業務を行う。その間、智也は居室に残って掃除や雑事を済ませる。
二人は手早く朝食を終えさせ、二匹の身支度を整えた。
「『じゃあ行ってくるね、智也!』」
「『い、いってらっしゃーい!』」
涼が手を振るとアルバは真似をする。ブランもはにかみながら小さく手を振った。玄関のドアが閉まった途端、智也はがっくりと座り込んだ。
(よくやったぞ……僕……)
台本のおかげで、どうにか朝の時間を乗り切った。疲れた。
「ただいま~!」
「あ、お、おかえりなさい……」
キッチンに立っていた智也は、展示から戻った涼と二匹に振り向いた。
「カレーだ! いい匂い――って、あれ? 智也がお昼作ってるの?」
「う、うん。さっき園長と話して――」
様子を見に来た園長に、智也は何気なく、昨日の昼食時の出来事を話した。すると園長は長年の経験から思い当たる節があるらしく、智也にアドバイスをしてくれた。
「珍獣はケータリングの食事を、『テリトリー外から見知らぬ人間が運んでくる食物』と認識して、警戒しているのかもしれない」
「えっ! まさか、食欲がないのはそれが原因で……!? そんな……どうしたら……」
智也は困惑した。充分に栄養を取れなければ、二匹は弱ってしまう。繁殖どころではない。
「どうだろう。ここには幸い、キッチンもある。試しに塚田くんが食事を作ってみては」
「え、ええ……っ。でも僕は、普通の家庭料理くらいしか……」
「かえって、そういう味の方が好きなのかもしれんよ。何しろ宇宙から来た珍獣だ。我々の常識だけでは推し量れない」
「そっ、そうですね!」
智也はぱっと顔を輝かせた。ともかく、二匹にできることは何でもしてあげたい。
「ここで料理して、塚田君たちも一緒に食事をするんだ。そうすれば二匹も安心して食べるかもしれない」
「はいっ! やってみます!」
そうして智也は意気揚々と、カレーを作ったのだった。
「すっごい旨そう」
鍋をのぞき込む涼の横で、智也はフライパンに油をひき、溶き卵を流し込んだ。軽快にフライパンを返す手つきを、涼が熱心に見つめる。
「手際いいな」
(ヒッ! 近い近い!!)
「う、う、えと、親が、共働きで、朝はいつも僕が……作って。子供の頃とか……」
「へえ。すごいなあ」
「で、でも、凝ったものはできないし……」
「でもすごいよ。何か手伝うことない?」
「あ、いいよ。座って――、ん?」
いつの間にか、スプーンを握りしめたアルバが智也の脇に立ち、じっと顔を見上げている。二人は思わず吹き出した。
「あ、じゃあ俺、皿とか出すね」
「お、お願いします」
卵焼きを皿に移しながら、智也はそっと振り返った。棚に向かって食器を取り出す涼の、すらりとした後ろ姿を見つめる。
(なんか、新婚さんみたい……)
二匹と二人で一緒にテーブルに着くと、二匹はご機嫌でよく食べた。卵焼きもカレーも口に合ったらしい。智也はほっとした。
「うー!」
アルバが空になった皿を前にして唸る。
「アルバ、もう食べたの? おかわり?」
「アルバ。ちゃんと智也に、『おかわりちょうだい』って言ってごらん?」
「おォ~~っ……」
「はいはい」
智也は笑って、アルバにおかわりをよそってやった。
「皆で食べると美味しいね」
涼が言うと、二匹ともにこにこ笑う。
「二匹とも地球人が好きなんだよ」
自分もおかわりをよそいながら、涼が言った。
「展示の時も、ガラスに顔をくっつけてお客さんのことじーっと見てんの。おかしくて」
「へ、へえ……」
(あの……。だ、台本……台本は……?)
「アルバなんて、お客さんが手を振るの見て真似するんだよ。お客さんもすごい喜んでてさ――」
「そ、そう、なの」
智也はカレーをかきこんだ。
(コミュ力で珍獣に負けた……)
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