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第8話

 憐と会わない日々が続いた。  憐からはもちろん連絡などないし、柳はあの夜以来、なんだか会っても上手く接することができない気がしたからだ。  一時は毎日のように求愛していたのに。決して飽きた訳じゃない。  ただ、そう……今さら憐にどんな顔をして会えばいいんだ。嫌われたくない。怖い。そんな負の感情すら湧いてくる始末。  どれだけ煙草を吸っても、飲酒をしても、それこそギャンブルをしても。全く満足感が得られなかった。  憐、会いたい。でも会えない。でも会いたい。相反する考えが頭の中で無限ループする。  そんな普段よりもさらに自堕落な生活を送っていると、ふと、携帯に着信があった。ディスプレイには、憐の名前があった。 『会いたい。嫌ならこのまま無視して』  憐の朴訥とした短いメッセージが、一通だけ。  まさか向こうから連絡してもらえるとは……柳は驚きながらも秒速で返信した。  待ち合わせは、やはりというか憐の部屋。仕事帰りの憐は、無表情に磨きがかかっている。 「あの……あのさぁ、憐ちゃん」 「何も言わないで。わかってるから。僕に引いたんでしょ」 「それは違う」 「じゃあどうして僕の前から去ったの」  意外にも、憐の不機嫌そうなそれは、置いてきぼりにされた子犬のような雰囲気すらある。  過去を聞いて、そして不感症に冷められて、捨てられた、と思ったのだろうか。  そんなの勘違いだ。完全なる誤解だ。憐は何も悪くない。 「去った訳じゃない。やっぱり憐ちゃんの人生を考えたら、オレみてぇなヤクザの分際がどうこうなろうなんて、おこがましいと思って、身を引こうとしたんだ。それに……それにな……」  いつもこれ以上に恥ずかしい言葉を言ったり、言わせたり、自他共に認める口の悪さのはずじゃないか。なのに肝心の言葉が詰まって出てこない。 「…………僕は義之が好きなんだと思う。好きって気持ちがわからなかったから、ちゃんと辞書も引いた。気に入って……心が惹かれること。義之がいない間、なんとなくぼんやりして。義之のことばかり考えて。だからたぶん、僕は義之が好き」  それは紛れもなく愛の告白に他ならない。相変わらず表情の変化は乏しいけれど、憐は正直に己の心に従い、言葉にした。 「嘘、だろ……? オレも憐ちゃんが好きなんだけど……うん、その、遊びじゃねぇよ。なんかもう、身体目的とかでもない。本気で憐ちゃんがいればそれでいい」 「え……」  珍しく憐は面食らった様子だった。  柳はただ身体目的で、一方的な感情だと考えていたのかもしれない。まあ日頃の言動からそう思われても仕方がない。 「んー……でも、相思相愛ってわかったら……やっぱちょっと……ヤりてぇ」  ムードの欠片もない台詞に、バシッと平手打ちされた。  だがそれは、憐が怒っているということ。憐が心底から感情表現をしてくれているということ。 「なに笑ってるの」 「う、ううん。いや、ホントしなくてもいい。いいんだけどな……へへっ」  何故だか打たれたのにニマニマとしてしまう。 「そういえば……義之のこと考えてマスターベーションしたら、ちょっと良かった」 「うぇっ!?」 「イケなかったけど、ほんのちょっとね」  身体の関係を嫌い、恋愛感情を馬鹿馬鹿しいと考えていそうな、あの憐が。真顔で衝撃の発言をかましている。  胸の鼓動がドキドキと高鳴るのを抑えきれない。 「お、オレなんて憐ちゃんで想像したら熱くて濃いのがめちゃくちゃ出るのにかよ……」  嬉しい反面、なんだか男として負けた気がする。  柳は自分よりも身長の高い憐に飛び付くようにして抱き締めた。 「う、ッ」 「え? 悪ィ、苦しかった?」 「いや、今のは違……あれ……?」  憐も漏れ出た声に混乱している。何の気なしに触っただけだ。  でも、正直に言って今のは……甘かった。扇情的だった。  どうしてこんなにも急激に。クラブの怪しいドラッグなんて飲ませていない。 「さては……恋の魔法ってやつか?」  それは柳も初めて感じる気持ちだった。 「そんな訳ない。好きな人に触られたって、いきなり感度が上がるなんてありえない」 「けど実際感じてるだろ? 定義付ける必要あんのかよ」  抱き締める手を、だんだんと抱擁からいやらしい手つきに変えていく。 「わからないから、なんだか、気持ち悪い……はッ、ぁ……」 「ならオレが正解教えてやるよ。憐ちゃんが今感じてるのは、オレが好きだから。オレも憐ちゃんのこと好きだから、それが伝わってんの」 「そんなの無茶苦茶だ……」 「じゃあ、なに。憐ちゃんは好きじゃない奴に触られて感じる淫乱クソビッチなのかよ?」  憐が黙り込んだ。もちろん誰しもそんな風には思われたくはないだろう。 「なんでだろう……」  そうして、ぽつり、と弱音をこぼす。 「わからないわからないわからないわからないこんなの自分じゃないどうして義之に触れられるとこんな風になるんだろうだんだん自分が駄目になっていく感覚がするんだよもう嫌だよやめたい消えたいよ」 「なんかその、自分が完璧みたいな考え方、やめようぜ」  完璧主義の塊とも言える憐に、正反対の適当人間である柳は、背中を撫でて宥めてやった。

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