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父の思いと決意

 これ以上好きになってはいけないと思った。理由はどうであれ、あの日の瀬崎大和の態度から、どの言葉もビジネスだと思ったから。俺を守るって言ったのも、側にいると言ったのも、すべては俺が父さんの息子だから。本気になればなるほど、それが苦しいだけだと思うから。辞めよう…。もう、辞めよう…。 ―プルル、プルル、プルル―  テーブルに置いてあるスマホが鳴っている。ソファーから体を起こして、画面も見ずに電話に出た。 「はい」 「聡弥?」 「母さん?」 「お父さんが…」 「えっ…」  スマホの向こうから聞こえてきた声に、俺は慌てて立ち上がると、そのまま家を飛び出した。  向かったのは総合病院だった。タクシーを降りると走っていた。母さんの姿を見つけて、慌てて駆け寄る。その向こう側に、瀬崎の姿を見つけた。 「母さん⁉︎」 「あっ…」 「何があったの?」 「父さんが、取引先の会社で倒れたって…」 「そんな…」  肩を震わせて泣いている母さんにそっと手を乗せながら、ふと瀬崎大和の方を見た。お前は、こんな時でさえ平然と立っているの?  いや、そうじゃない…。こんな時だからこそ、ちゃんとしているのかもしれない。 「瀬崎大和…?」 「真中聡弥…」 「大丈夫?」 「それは、こっちの台詞だろ?」 「そうかもしれないけど…」 「奥さまは?」 「うん…。別の部屋で休んでる」 「そうか…」  泣き疲れた母さんを、用意してもらった親族室へ連れて行った後、俺は父さんの部屋の前で立ったままの瀬崎の所へ向かった。静かな空気が流れている。だけど、何となく伝わってくるこの感じ。きっと俺たちと変わらないほどの、もしかしたら、それ以上の感情が瀬崎にはあるのかもしれないと思った。 「怖かっただろ?」 「ああ…」  俺の問いかけに、瀬崎は初めて姿勢を崩した。俯いて唇を噛みしめている。そんな瀬崎の手をそっと握りしめた。側にいたいと思った。側にいて欲しいと思った。瀬崎も、握った俺の手を静かに握り返してくる。  この手を掴んでいれば、大丈夫…。そう思っている俺がいた。  父さんの意識が戻ったと、廊下のイスに腰かけていた俺たちのところへ看護師が呼びに来た。立ち上がって、病室に入ると、ベッドに横になったままこっちを向いて笑顔を見せた父さんの姿が目に入る。 「心配かけたな…」 「ホントだよ。突然倒れるなんて聞いてないし」 「はははっ、まあちょっと疲れが出ただけだ」 「働きすぎだってさ」 「そうか…」  昨日の夜、担当医の先生から説明があった。心労が重なって心臓に負担が掛かっているから、しばらくは安静が必要ということだった。  瀬崎大和の手を握りながら、俺は考えていた。自分に出来ること…。何が出来るかはわからない。それでも、いつまでも背中を向けたままじゃいられないこともわかっている。 「父さん…」 「言っとくが、俺はまだまだ出来るぞ」 「えっ…?」 「情けはいらん。お前はお前のやりたい事をすればいい。俺が動けなくなるまではな」 「なに、言って…」 「気にするな。お前がやりたいと思ったら仕事を手伝ってくれればいい」 「だって…」 「まあ、さんざん我慢させて来たんだ。今は、好きなことをしてせいぜい楽しめばいい」 「父さん…」  信じられなかった。そんな風に思っていてくれてたなんて…。何だかこみ上げてくるものを感じた。そっと後ろから背中に手が触れた。それが誰のものかは振り返らなくてもわかる。俺は、何だかすっきりと晴れた気持ちになった。  ふぅっと一つ息を吐くと、 「俺が手伝うよ」 「お前…無理してないか?」  そう問いかけてくる父さんに向かって、首を横に振った。そろそろ逃げるのはやめよう…。俺は、この家の長男で、この会社を守る義務がある。それを父さんの下で覚えるのも悪くない。やっと、そう思えたから。 「今まで我儘に付き合ってくれて、ありがとう」 「聡弥…」 「これからは、ちゃんとするから…」 「わかった」  父さんと初めてきちんと向き合った気がした。こんなにも優しい顔をして、笑う人だったんだ。そのことに気づけて、何だか心に空いていたスースーする部分が少し塞がったように感じた。 「送ってく」 「ありがとう」  病室を出て歩いていると、後ろから瀬崎大和がやってきた。素直に頷くと、俺たちは並んで歩いていく。父さんのいつも乗っている黒のベンツまでやってくると、後部座席のドアを開けられた。 「隣でいいよ」 「ああ…」  開けたドアを閉めると、助手席のドアを開けてくれる。そのまま乗り込むと、静かにドアが閉められた。すぐに瀬崎が運転席へとやって来て、シートベルトを締めるとエンジンを掛けて、車を発進させる。  運転する横顔をチラリと盗み見る。キリッとした細長の目が、やっぱり俺をドキッとさせる。 「前に言ってたよね? 今までしてきたことに無駄なことなんて一つもないって。それって、瀬崎大和もなの?」 「僕もずっと嫌だと思ってた。代々続く真中・コーポレーションの秘書になるための教育を。でも、今はこうしてここにいられることが誇らしいって思うから。無駄じゃなかったって言える」 「そんなに父さんの秘書になれたことが嬉しいの?」 「ああ…。一緒に仕事が出来ることに感謝している」 「へえ…」  何だか嫉妬してる俺がいる。一点の曇もない顔をして言い切った瀬崎を見ていたら、そんな風に思われている父さんが羨ましく思えた。 「それに、真中聡弥に出会えたから…」 「えっ…?」 「もう全部どうでもいいって思えた。苦しかったこと全部、どうでもいいって」 「なんで…?」 「今までしてきたことがあったから、僕はここにいる。そして、見つけたから…」  視線は前に向けたまま、瀬崎が言った。 「僕は、本気で欲しいと思える人を見つけた。それが、真中聡弥、君だ」 「えっ、ウソだろ…」 「嘘なんかでこんなこと言えるか」 「だって…」 「信じられない?」  相変わらず視線が重ならないまま、問いかけられる。俺は、そんな瀬崎の横顔をじっと見つめる。すると、車が路肩へと近づいていき、停車した。 「瀬崎やま…」  名前を言い終わる前に、唇が重なった。俺はそっと目を閉じた。

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