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第28話 高瀬
「哲至さんはなんで医者になったのかな」
両手でマグカップを包むようにして、
やっぱりこちらを見ずに呟くように言う真乃斗くんに、
俺のどこかがキュウっとする。
それは愛しさというものだと思う。
自分にとって彼が特別、愛しいという鼓動の確認。
「高瀬さん知ってる?」
と言いながら、ようやくこちらを向く真乃斗くんと目が合って、
ドクンとした。
「哲至に直接、聞いてみれば?」
その理由を知ってはいたものの、答えるのはやめておいた。
とたん、まぁるいクリっとした両目は俺から外れてしまう。
「ん。そうだね。今度聞いてみる」
視線が絡まなくなってしまったことは少し残念で、
けれども真乃斗くんの返事は俺にとってとても満足する答えで、
俺も手元のマグカップに深く息を吹きかけるとコーヒーを一口飲んだ。
俺の淹れたコーヒーのはいるマグカップを持って黙ったまま、
真乃斗くんは哲至を想う。
その隣で、俺は真乃斗くんを想う。
俺とキスをして俺とあんなことやそんなことをしていても、
俺たちは決して交わってはいない。
できるなら、俺を見てくれたらいいのにとも思う。
けれど誰も、
なにも、
他人の気持ちをコントロールは出来ないのだ。
哲至のことを想う真乃斗くんはあまりに綺麗で、その姿はとても愛しい。
可笑しいと思われるかもしれないけれど、
哲至を好きな真乃斗くんを見れることは、
俺にとって決して不幸な事じゃない。
確かにそれはとても切ない。
けれどとても幸福な瞬間でもあるのだ。
それからしばらくして、真乃斗くんはバイトを決めた。
それは駅前の、さほど大きくはない花屋だった。
そこで、今日はシャンパンを買って帰ることにする。
「お祝いだから」
「バイトだよ」
「そんなことどうだっていいさ」
つまり高瀬さんはただ飲みたいだけなんだねと半分笑って言われて、
俺もそうかもしれないと思った。
ハタチになったばかりの真乃斗くんは、
実は俺より酒が強い。
買ってきたクラッカーやチーズやオリーブや生ハムや
真乃斗くんが作ってくれた煮物や唐揚げや、
サラダや冷蔵庫に常備してあるキムチが並ぶと
それはあまりに混沌として、しっかり祝いの席になった。
ソファの上で二人並んでシャンパンを開ける。
次いでビールやらワインやら、家にあったあらゆる酒を開けていった。
「花粉症は大丈夫そう?」
少しだけ気がかりだったことを聞いてみれば
「あ、忘れてた」
真乃斗くんらしい返事が返ってきて、
二人して笑った。
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