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苦界の蓮華 -死-

 夜蝶が疲労感と共に仕事を終えて外へ出ると、かなり騒がしかった。 「おおっ…!今日は、地獄太夫がいなさるっ!」   耳を傾けると、見世に出る地獄太夫の美しさに見物人が集まっていた。  他にも、この妓楼には女郎がいるのにもかかわらず。誰もがその美しさを一目見るために、前を通る。 「ほほぉっ!噂に違わぬ絶世の美女…いや、美男かっ!がはははっ!」  太夫の美しさがもっともわかりやすく表現されているのは、部屋の天井を見ればわかる。  格子状に区切られていて、金箔が貼られている。その中の絵画は、太夫が馴染み客に自らを例えさせ職人に描かせた物だ。  時には花  時には鳥  時には風  時には月  時には御釈迦様  時には天女にいたるまで    その美しさは、留まる事を知らず様々な色彩で描かれており、太夫の美しさの象徴となっている。それを太夫が客に競わせるから、客はこぞってその天井に絵を貢ぐ。客は、自らが例えた比喩の粋に酔い、他の客の比喩を腐す。太夫と並んで床から見上げた天井は、さぞ心地よかろう。自らが地にいるとも気づかず自慢話に低い鼻っ柱を高くして、太夫が横でどんな表情で「そうですね」と優しい声色を出しているのかも知らずに、盲目的に酔いしれる。   だから数ある格子の絵は、同じものは一つもない。  単純で、誰にでも想像できうる美しさなどたかが知れている。形のないものあるものに限らない。    腕を伸ばしても届くはずのない格子の絵の美しさは、太夫をめでた人の数だけ。  もし仮に、床に寝転がる自分を蓮華に例えるのなら…  伸ばした腕は茎で、客自らの絵を愛でるために広げた手を蓮華の花として、その絵の数だけ蓮華の花は咲き乱れたのだろうか。太夫は誰かに糸を垂らすのか――――  この花街で、唯一の男である事。  冷やかしに来た者でさえ魅了し、同じ遊女達からは羨望さえ向けられるほどの存在感。  男の身体で同性に媚を売り、金を落させる彼は、この花街で唯一にして無二の存在。他の太夫が女である事の不利をものともしない。 「おらぁもし、男じゃなく女に生まれてたら間違ぇなく買ってたな!」  ――――どうせ、お前らじゃあ女だったとしても地獄太夫を買うことはできねぇよ。  その辺で拾った雑草を愛でるわけじゃねぇんだ。相手は地獄を名乗る傾城の花魁。一筋縄でどうにかできるわけがない。  下品な笑い声も、卑下するような視線も、下世話な会話も…  彼が地獄太夫として衣を着て、化粧を施し、口調を変え、纏う空気さえ掌握する時。  客が見るのは穢土か浄土か…はたまた、地獄か極楽か。  妓楼というところは、色里とか色町とか花街なんて綺麗な名前がつけられているが行われているのは、便所と変わらない。  他人の下をてめぇの下で慰めなきゃならねぇいってしまえば、下の世話。欲と嘘にまみれたこの街で、いつまでも美しく輝かなくてはならない。  まさに遊女は、蓮華の花のようだと思う。そんな蓮華もこの花街だけしか輝けない。  街を出れば、自らが花ではなく、ただの雑草であったと思い知らされるからだ。  だから、花街に売られた者達は、一生この街から出る事は出来ない。    もし、この街を出られる遊女がいたとするなら、それはきっと花ではなく別の何かなのかもしれない。  

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