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苦海の金魚 -死-
「…」
彼は、頬を膨らませて黙った。
『可愛い』と言った男の言葉をやっと言葉通り受け取ったようだ。
「っていうか、俺が身請けしてやるって言ってんのに、なんでそんなことになるかな…?」
その頬に触れる。きめ細かい肌が柔らかい。乱暴に扱うとポロリと取れそうなので、むにむにと感触を楽しむように優しく弄る。
「…じゃあ、なんであんな話したの?」
罰が悪そうに口を尖らせていた。
「お前は、それで良いのかって思って…」
「…」
どういうこと?とでも言いたげな瞳を向けてくる。
大きな瞳は黒目がちで、純粋で、あまり汚れていない。おそらく、彼を育てた太夫が優秀だったのだろう。この花街において、ここまで汚れずに人の心をくすぐる彼のその愛らしい瞳をさらに甘く愛でたくなる。
「ただ男娼として客の性器を受け入れて…いくら俺が身請けしてやるって言っても、お前は一生そのままなのか?って思って…」
文豪で有名なとある小説家が『I love you』という言葉を訳す時に『月が綺麗ですね』と言ったことがあるらしい。風流だとか浪漫があるとか言われているが、実際言われたとしてどう返すのが正解なのかを知っているだろうか?
「…なにが言いたいの?」
まだ意味が伝わらない。
そんなに感が鈍いわけではないのに。
「…お前が逆がいいっていうなら、俺はそれでも良いってことなんだけど」
「…」
一度、誰かを抱いてみたいとは思わないのだろうか?
一生抱かれているだけの人生に嫌気がさしたり組みひしがれひたすらに喘いでいるのに疑問を持ったことはないのだろうか?
男として生まれたのに、女のように振舞わなければならないことへの不満はないのだろうか?
心地よくもない強引な房事に演技をして客を喜ばせることへの嫌悪感は?
このまま一生誰も抱かずに生きていかなければならない人生なのかと思ったら、なんだか彼を不憫に思ってしまった。
一様に受け入れるだけの人生で彼は良いと思っているのだろうか?
「…あのさ」
その時、目の前から彼が消えた。
一瞬にして彼の頬から手が離れた。
遅れて床が抜けそうなほど激しい音がして、建物全体が揺れたような気がした。
彼に物凄い力で押し倒される。
先ほどまで、身動きができずにジタバタしていた、か弱い彼ではない。細い腕のどこにそんな力が隠されているのかと驚く。
「舐めんじゃねぇぞ」
背中を強く打つものの、布団のおかげでそこまで痛みはない。しかし、力強く押し倒された彼は膝立ちで腹の上にまたがっている。
月が丁度彼の真後ろから、照らしているせいで逆光になっている。普段は白い彼の体をどす黒くさせる。
「てめぇの童貞奪ってやったの誰だと思ってんだ?あぁ?」
彼の瞳から逃れられない。
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