城内にいた騎士団全員が集められた。ただならぬ雰囲気の中、それは騎士団長の口から告げられた。 「クレール王子とアルクが死んだ」 　(死ん、だ……？) 　一瞬、時が止まったのかと思った。確かに団長の声は聞こえるのに、脳が働くのをやめたのか、思考が動かない。なのにずきんずきんとした頭痛が襲ってきた。 　動揺する団員たちを「静かに」と団長は一言で黙らせた。 「死因は不明。国王は王子の死を公表するか迷っておられる。それまでこの事は他言無用だ。城外に漏らしたやつはただじゃおかない。話は以上、稽古に戻れ」 　無言で持ち場に戻っていく団員が次々と横を通り過ぎていく。 　体が重くて、足が動かなくて、その場に立ちすくんだ。 　人形のように首を動かし、隣を見てもアルクはいない。 　アルクが、死んだ。 　いつも隣にいたはずの愛しい人の姿がない。嫌でもそれが事実だと突きつけてくる。 「ロッカ、どうした。早く戻れ」 「……っ、アルクは、本当に死んだのですか」 「ああ、そうだ」 　僕は団長の目の前に立ち、胸ぐらを掴んでいた。怖い怖い団長相手に、怒鳴っていた。 「嘘だ！！　そんなの嘘だって、言ってください！！」 「嘘をついてどうなる。現実を見ろ」 「これが現実だって、思えるわけがない！！　アルクがいない現実の方が嘘に決まっている！！」 　胸ぐらを掴んでいた手首を折れそうなほど強く掴み返された。 「……チッ　来い」 　そのまま連れられ、地下への深い階段を下りていく。 　嫌だ。そこに行くのは嫌だ。しきりに首を振り手を振りほどこうとしたが、団長は黙ったまま足を進める。 　やがて、ひとつの部屋にたどり着く。重苦しい扉が開かれた。 　その部屋は、死体安置所だ。 「い、嫌です！　アルクがこんなところにいるわけない！　だってアルクは、生きて……」 「見ろ、これが現実だ！」 　――簡素なベッド。真っ白なシーツを体にかけて、そこに横たわるのは、紛れもなく…… 　 「あ……あぁっ……」 　遺体の首は隠されていた。おそらく、そこが傷口なのだろう。 　体の力がすべて抜け、崩れ落ちた。 　 　それでもアルクに触れたかった。ずるずると床を這って、身を起こし、冷え切った頬に手を添える。 「アルク……っ　アルク……っ！」 　何度呼びかけても、涙が落ちても、声が返ってくることはなかった。 　子どもみたいに涙が枯れ果てるまで泣いた。その間も、団長はずっと部屋にいてくれた。 　アルクは、もう二度と僕の隣で笑ってくれない。 　アルクは死んだんだ。それは揺るぎもしない現実だった。 　それからは、色が無くなった。何をしていても本当に全部が白黒に見えた。目の前が真っ暗になる、とはこういうことなのだろうか。味覚もなくなった。灰を食べているみたいだった。 　生きている意味を感じなかった。 　こんなときアルクがいれば、アルクならどう言うんだろう、そんな考えが頭を巡るたびに泣きたくなった。 　アルクの墓に毎日足を運ぶことだけが、今生きている理由だ。殉職した騎士団の墓場。その手前のほうの真新しい墓にアルクの名前が刻まれている。毎日花を供えた。色はわからないけど、きっと枯れてはいないはずだ。アルクはそこまで花に興味はないみたいだったけど、これはクレール王子の好きだった花だ。きっとアルクも喜んでくれる。 　アルクの笑顔をふいに思い出し、墓の前にしゃがみ込んだ。 　涙をこらえていると、後ろから土を鳴らす靴音が聞こえた。 「掘り起こすなよ」 「団長……」 　赤くなった顔をゆっくり持ち上げると、団長も手に花を持っていた。僕の供えた花の横に置いている。 「そんなことしません。アルクに怒られますから」 「お前だったらやりかねないと思ってな」 「そうですね。本当はこんな土の中じゃなくて、僕のベッドに寝かせてあげたいです」 「……それ、アルクが聞いていたら悲鳴をあげるだろうな……」 「悲鳴でもいいから、もう一度アルクの声を聴きたいな……」 　冗談めかして笑ってみたけど、割と本気で思っていた。 　アルクが死んでから、日は経たずして再び状況が変わった。隣国にクレール王子の死が知られてしまった。スパイが城内にいたらしい。城内が全てを把握した頃には既に遅く、結界は破られた。 　敵を食い止めるため、騎士団が手分けをして戦場に向かうことになった。 　僕は、すぐさま最前線に行きたいと志願した。団長は僕の顔を見つめ、深くため息をついた。 「戦場は首を切ってもらいに行くところではない」 「早く死にたいんです」 「お前は敵に、切ってください、と間抜けに首を晒すのか？　半端な覚悟なら騎士団をやめろ、名折れだ！」 　首が締まるほど強く胸ぐらを掴まれた。 「そんな馬鹿みたいなところをアルクに見せる気か！？　胸張ってアルクのところに行けるのか！？」 「……っ」 「この国は今戦争をしているんだ。いつ誰がどこで死ぬか分からない！　明日には俺もお前も死んでいるかもしれない！」 「ぼ、僕は……っ」 　団長の声がさらに強くなる。 「アルクは、お前のことを尊敬していたんだろう！　ならば、アルクが尊敬してくれた姿でいようとは思わないのか！？」 「アルクが、尊敬してくれた……」 　団長の思いが、心臓に届いた。どくどくと、鼓動が動いている感覚。 　濁っていた思考が晴れていくみたいに、目の前が明るくなっていく。 「アルクに出会ったとき……褒めてくれたんです。強くてかっこいい、戦ってる姿が綺麗だって。僕のように戦いたいって……それで槍を練習したけど、全然向いていなくて結局剣を使うことにしていました。懐かしいなぁ……」 「目が覚めたみたいだな。死に急ぐのはやめたか」 　団長の言葉に首を振る。 　もう心は決めた。アルク、君のために僕は最期の戦いに行くよ。 「いえ、行かせてください。敵軍は必ず倒します。アルクの言葉に恥じぬ戦いをします」 　団長は舌打ちとともに深く息をついた。 「止めても無駄だな……いいか、死ぬな。必ず勝って帰ってこい」 「僕が死んだら、アルクの隣の墓に入れてくださいね」 「おい……死ぬ前提の話をするな！　俺の手を煩わせたんだ、帰ってきたらたっぷり働いてもらうからな」 「はは、ありがとうございます。頑張ります。アルクがきっと見てくれていると信じて」 　僕より何年か後に騎士団に入ってきたアルク。僕のことを尊敬してくれるアルクの期待に応えたくて頑張った。純粋に慕ってくれるアルクのことが可愛くて、愛おしくて仕方がなかった。運命の人だと思ったんだ。 　でもアルクは、クレール王子のことが好きだった。ずっと隣にいたから、分かっていた。分かっていても諦めることはできなかった。王族と騎士が結ばれることはできないんだから、いつかは僕にもチャンスがあるかもって……ずるいことを考えていたんだ。ばちが当たったのか、そのいつかは来なかった。結局伝えられなかった。 　アルクはクレール王子と共に死んだ。 　理由は分からないけれど、好きな人の隣で死ねたんだ。僕はアルクのことが羨ましいとも思ってしまったよ。 　気がつくと大量にいた敵軍はいなくなっていた。逃げたのか、僕が倒したのか、覚えていない。無我夢中で戦っていた。地面は生臭くて、ぬるい液体が広がっていた。 　ふっ、と力が抜け、血だまりの中に倒れこんだ。べたべたと全身に張り付いた。 　体が動かせなかった。魔力も全部使い切っていた。 　団長は帰ってこいと言ってくれたけど、帰れそうにないなぁ…… 　はは……アルクに恥じぬ戦いをするとか言って……自分でも訳が分からなくなるほどめちゃくちゃに戦っていたみたいだ……それでも綺麗って言ってくれるかな…… 「アルク……僕は、君と一緒に、死にたかったよ……」 　聞こえているかな、アルク。あの空の上から見ていてくれているかな。天国に行ったら君に会えるのかな。 　また会いたいな。 　会えたら……言えなかった想いを、言わせてほしいな…… 　最期に見た空は、アルクの瞳のような、鮮やかに染まった茜色だった。久しぶりに見た色は、とても綺麗なものだった。