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踏み出す決意
「ひなた!」
桜の木に向かってグラウンドを全速力で走った。やっと近づいたところで、悪魔がひなたを抱えて地面に着地した。悪魔の腕の中のひなたは、猫を抱きながらも脱力し、悪魔に頭を預けていた。
その光景は、あの時、クレール王子が悪魔に首を噛まれた時に重なった。
まさか、まさか……! カッと血が巡る。心臓がバクバクと、鼓動した。
「……ッ!!」
「いいね、その獰猛な目。思い出しちゃったのかな? あの時のこと……」
途端に、ひなたを悪魔から奪い返し、距離をとる。
体温は温かい。まだ、生きている。呼吸も整っている。苦しんでいる様子もない。
「亜紀、落ち着いて。ひなたくんは生きている」
律佳がすばやく脈をとった。ひなたは生きている。そう言葉にされ、張り詰めた身体が少し緩む。
慌てたらこいつの思うツボだ。呼吸を整え、悪魔を睨みつけた。
「せっかく煽ったのに……つまらないなぁ」
つまらない、と言っているのに、悪魔はいやに機嫌良く笑い、ひなたの腕の中から飛び降りた猫を拾い上げた。
「てめぇ……ひなたに何した……!」
「ひなたくんに羽見られて、悪魔だってバレちゃった」
「……!」
「だからひとまず眠らせただけ。しばらくすれば目覚めるよ」
そして悪魔は猫を撫でながら、俺を試すように、からかうように、不気味に笑った。
「そんなに焦らないで。羽についての記憶だけを消して、何も知らない状態のひなたくんに戻すことができる……ふふ、俺は優しいから、亜紀くんに選ばせてあげる」
口は「何を」と紡ごうとしていたが、悪魔がこれから言おうとしていることは、頭では理解していた。
溜まった唾をごくりと飲み込んだ。
「大切な人の記憶……あんたは書き換える? どうする?」
俺が、ひなたの記憶を……選ぶ?
すぐに言葉は出てこなかった。知らず知らずのうちにひなたを抱える手が震えていた。
そんなこと……
「あ、亜紀……!」
唇を噛みしめ、眠るひなたの首もとに頭を沈めた。
混乱しながらも、ぐるぐると頭が回転した。俺はひなたを守りたい、過去の記憶から。記憶を消せば安全だ。でもそれは、ひなた自身から逃げることになる。もう逃げたくない。
顔を上げ、悪魔の妖艶に光る真紅の瞳を真正面から直視した。
「ひなたの記憶は消さないでくれ」
「……へぇ、いいんだ?」
悪魔は冷笑交じりに口角を上げ、鋭く見つめ返してくる。俺の反応を楽しみに待っているんだろう。お前なんかの予想通りにさせてたまるか。
「悪魔のことを知ってしまったら、それがきっかけで記憶が戻ってしまうかもしれない。でも、”ひなた”が経験した現在を奪うことはしたくない。そんなの俺の自分勝手だ」
「亜紀……」
律佳にたくさん心配かけて、自分勝手なことばかりしていたって気づいた。
「王子と過ごした日々は大事な思い出だ。最期はお前のせいで散々だったが……過去ばかり考えて、ひなたと過ごす今をおろそかにしたくない」
会長だってつらい過去を経験しているのに、前を向いて歩いている。
覚悟を込めて、力強く悪魔を睨んだ。
「俺は、ひなたと前に進むって決めた。過去に、お前に、縛られない。ひなたを必ず守ってみせる!」
悪魔は少し動きを止めた後、くす、と笑った。
「ふーん、なるほどね。それがあんたの選択か……お望み通り、ひなたくんの記憶はそのままにしてあげる」
「約束しろ。勝手にひなたの記憶をいじらないって」
「悪魔に二言はなし! そこは安心してよ」
茶化しやがって……! 腕の中の猫はずっと撫でられて、気持ちよさそうにうとうとしている。なんで懐いているんだ、意味わからん……!
「亜紀!!」
「うわぁ! ……いきなり飛びつくな! ひなたを落としそうに……て」
飛びついてきた律佳は、ぼろぼろ涙を流していた。
「おい、律佳どうした……お前今日泣きすぎじゃね……?」
俺も人のこと言えないんだけど……律佳の顔を覗き込むと、真っ赤な顔がぐいっと近づく。
「亜紀……! 強くなったね……その決意、とってもかっこいいよ……僕は……っ何があっても亜紀の味方だから……! 亜紀の選択がどうなっても……!」
「……律佳のおかげで、別の視点に気づけたというか、見てくれてるって思えたら安心したというか……とにかく、一歩強くなれたのは律佳と団長のおかげ。だから感謝してる。ありがとう」
「あ、亜紀~~~~っ!!」
泣きつく律佳を諫めていると、悪魔はつまらなさそうに口を尖らせた。子猫は悪魔の腕の中ですっかり眠っている。
「なーんか、雰囲気変わった? 生徒会長さんに呼び出されて、仲を深めたのかな? 前までの亜紀くんだったら『バレてんじゃねーよ!』って怒って俺を責めて記憶を消すっていうと思っていたのにな」
前までの俺なら、きっとその通りになっていたと思うけど……
「……お前が悪魔の力を使って助けなければ、ひなたは酷い大怪我をしていたかもしれない。俺がそばについていれば、と思ったけど、後悔しても仕方ない。だから、お前のせいでバレたとは責めない。……認めたくないけど、今回は、助かった」
最後だけはどうしても小声になり、目をそらした。
お礼なんか絶対に言いたくなかったけど、言わないのは培われた騎士精神に反していてモヤモヤするし……
馬鹿にするように笑ってくるんだろうな、と予想していたのに、なかなか声が返ってこず、再び視線を悪魔に戻す……
「……感謝されちゃった。仇の悪魔なのに……」
と、大きな瞳をまん丸に見開いていた。今までの余裕が1ミリも感じられず、こっちまで呆気にとられた。
気が抜けていたことにハッとした悪魔は、眠る子猫を持ち上げて顔を隠したが、子猫ではいまいち隠しきれていない。子猫は眠りを邪魔されて嫌そうにしたが、持ち上げられたまま再び目を閉じた。猫の体の端から見える白い頬は赤く染まっていた。
「な、なんか変な感じ。くすぐったい」
「礼を言うのは今回だけだ!! もともとお前がいなければこんなことには……!!」
悪魔は顔の正面の猫を少しずらし、片目を覗かせる。
「それ、ツンデレってやつ?」
「ちっがう!! ああもう、俺はひなたを保健室に運ぶから!」
悪魔に背を向け、校舎に向かって歩きだす。
もしひなたが前世を思い出してしまったとしても、ちゃんと受け入れる。俺が首を切ったことも逃げ出したことも全部話す。
だから、早く目覚めてくれ……
「ゆらゆらと気持ちが揺れ、移りゆく……ふふ、だんだんと亜紀くんのことが読めなくなってきたなぁ。そういうところ、ますます好きになっちゃう……」
「あ? 誰が誰を好きだって?」
「俺が、亜紀くんを好きなんです~邪魔しないでよ」
「てめぇに亜紀を語る資格はない。亜紀が手を汚す前に俺がてめぇの存在を消してやるからな」
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