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生贄学園〜Another〜4◆完結
「お前があの女にしたことは、食って全て把握した。都心の地下にこれほど面白い施設があったとは、潰してしまうには実に惜しい代物だ。お前も、この想悟も、今はまだ生かしてやるとしよう」
男が想悟の頬を優しい手つきで撫でる。すると、想悟は先ほどまで大声で泣き喚いていたことが嘘のように泣き止んだ。
まるで自分を抱いているのがどんな男か理解しているかのように。絶対に敵にはせず取り入ろうとさえしているかのように。
まだ発達途上の腫れぼったい瞼がピクピクと動き、小さな手が宙を彷徨い、実の母親を殺したばかりの男の小指を掴んだ。
どんな困難に直面しても、必死に生きようとする人間のそれだった。
「何故わかるのか不思議か。俺は人間を食うことでその寿命を糧にする能力がある。当人の記憶や知識といったものはあくまで副産物だ。この女が特別な能力を持っていたのは、俺にとっては嬉しい誤算だったがな」
「何を馬鹿馬鹿しいことをッ……」
感情のままに吐き捨てようとしたところで、男が言葉を遮った。
「科学の説明がつかない事例は麗華で痛感している。現に麗華を髪一本残さず食ってしまったこの男が言うならば、それは事実に他ならないのだろう──お前はそう思っている。俺の言うことは間違っているか」
「…………いや、正解じゃ。そうか、お前さんは麗華の能力まで物にしたという訳か……ああ、なんたることじゃ」
半ば諦めのような口調で言う。
男の言うことは的を射ていた。どんなに冷徹な人間ですら嘘を付けない核心を突くような言い方は、かの麗華と同じだった。
あれだけ執着を持っていた麗華はこの世からいなくなってしまった。それもこの得体の知れない、人を食うなどというおぞましい行為ができる男の手によって。
今日は信じられないようなことが次々に起こる日だ、とオーナーはひどく冷静に思った。
それは目の前にいるのが、動物の本能として敵にしてはならない異形の男であるからかもしれない。
ならば最低限、己の趣味と実益を兼ねたクラブの存続を望むオーナーが取る選択は、一つだ。
「……ふむ……お前さん、儂の元に来んか。儂のクラブに来れば、いくらでも良い思いをさせてやるぞ。金にも、女にも、お前さんが食う人間の用意も……何一つ困らん人生をくれてやる。それに、これから麗華の逃亡に関わった者達を粛清すると人手不足になるのでな。あまり悪くはない提案だと思うのじゃが」
男が反応を示さないので、オーナーは説得を畳み掛けた。
「今思えば、クラブは儂の独裁……恐怖政治じゃった……。それは認めよう。だからこのような暴挙に出る者が存在し、挙句止められなかったのじゃ。だが、それも今日限りで変わる! 他でもない、麗華が教えてくれたではないか。『誰よりも優しく義理堅い』クラブにすれば良い……どうじゃ? 良い響きじゃろう?」
それでも男は黙って首を横に振った。
「その時が来れば俺の方から行ってやる。お前はそれまでせいぜい長生きをするんだな」
オーナーは不機嫌なため息をついた。自らわざわざ勧誘してやったというのに、断られるとは不服だが仕方がない。
しかし嘘か真か、いつかはまた再会できる希望がある……ならば彼の言うとおりに一分一秒でも長く生き、彼が来た時に全てを渡せるよう、地位と権限は守っておかねばならない。
「それからこいつは、俺が預からせてもらう」
「想悟を、じゃと?」
そう言われるのは、オーナーにとっては意外な提案であった。
食人鬼のくせをして、食う必要性すら感じない赤ん坊をどうしようと言うのか? 人身売買で金を稼ぎたいだけならクラブでいくらでもルートがある。
それにまさか自分自身で育てようという情けや野望があるとも考えられない。しかしながら──。
「……ふん、好きにするがいい。麗華が命がけで守ったその命……どうやらお前さんが食うにも値しない人間のようじゃからな。凡人など儂の研究には必要ない。喜んでくれてやるわ」
オーナーの最大の誤算は、そのような理由で手放した想悟もまた、麗華と同じ読心能力を持っていると気付けなかったことにある。
だがそれは、彼の存命中には知り得ない事実だ。
「おい待て。もうしばらく会えないのだろう。ならば最後に老人の質問に答えてはくれんか。お前さんは……人を食らい続けて、いったいどうしたいのじゃ? よもや神にでもなるつもりではあるまいな」
男は立ち止まり、振り返ることなく俯き加減で呟いた。
「……さあな。それこそ、神のみぞ知ることだ」
──その翌朝、霧島蔵之助の住む邸宅の門前に、男の新生児が無情に放置されていたという。
アフガンに包まれて泣いていた彼の素性は全くの不明で、「想悟」という名前であることしかわからなかった。
しかし、家主の蔵之助は、失踪した実娘に瓜二つの彼を見て、時を超えて彼女の遺伝子が帰って来たと悟りその場に崩れ落ちた。
そして、想悟を霧島の子息として育て上げることを決意するのに、そう時間は掛からなかった。
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