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第6話
「あんたバカじゃないのっ?」
退院して自宅に帰る前に、郎 主任に付き添われてオフィスに寄った加瀬 部長は、いきなり額田 社長にお目玉を喰らった。
「1人暮らしなんだから、入院しておけば3食昼寝付きで、ラクできるでしょうに!」
元々、省は違うものの同じ官僚出身で、加瀬部長をこのオフィスに引き抜いた額田社長は、上司と部下以上の付き合いで、親友と言うより、もはや姉弟というノリに近いため、遠慮が無い。
「そやけど、どこも悪くないのに病院で寝てるっていうのも…」
「私に口答えする気なの?どうせ帰ったって、安静って言われてるんじゃ、寝てるくらいしかすることないじゃない!個室で、テレビも、冷蔵庫も、ネットも使い放題で、上海屈指の美人看護師が揃ってる病院で、何が不満だって言うのよ」
個室を手配し、労災扱いで面倒を見ようとした、社長にしては珍しい出費の申し出を無にされたようで、額田社長は不満だった。
「入院費、高いし、悪いやん…」
出費がキライな社長の弱い所を突くように、それでも下手 に出ながら加瀬部長は言った。
「今は、そんなの気にしなくていいの!今度の物産展で頑張ってくれたら売り上げで返って来るんだから!」
すでに、弟のような加瀬部長の事を、額田社長なりに心配しているのは、社員全員に伝わっていた。
「ま、病院食ってのは、味気 ないよな」
そこへ助け舟を出すように、営業部の能見 主任がポツリと言った。
「でしょう?」
味方が現れたと加瀬部長が嬉々とした瞬間、額田社長は冷ややかに言った。
「その食事の世話は誰がするのよ」
普通に考えれば、1人暮らしで、当分は松葉杖生活の加瀬部長が、1人で3食賄 うというのは難しそうだ。
「大丈夫ですって、ほら、俺のアパート、ルームサービスついてるし…」
加瀬部長の上海の自宅は、服務式公寓 というホテル並みのサービスが付随した高級アパートなのだ。
「…ま、いいけど。苦労するのは、あなたなんだから」
例によって、加瀬部長の人の良い笑顔に丸め込まれるように、さすがの額田社長も引き下がった。
「とにかく、3週間後の物産展には、車椅子ででも参加してもらいますからね。それまで、オフィスへの出勤は不要。基本的にはメールとWEB会議で参加してもらいます。それ以外の連絡は…」
「連絡係は、郎主任にお願いします」
仕方ないと言った口調で言った社長に、部長はすかさず希望を申し出た。
「ああ、そうね。郎主任なら付き合いも長いし、あなたの秘書だと言っても務まるしね」
そう言うと、額田社長はくるりと振り返って、郎主任を見据えた。
「郎くんには悪いけど、この人の世話を頼むわ。いいこと?甘やかせちゃダメよ」
「はい…」
プライベートではもちろん世話をするつもりだった威軍は、いきなり社命が下される形となり、内心は戸惑ってはいたが、相変わらず淡々としている。
「当分、郎主任は定時出勤にして、半日はオフィス勤務で、残りは加瀬部長の自宅での出向勤務と言うことにしましょう。第5班の負担は、他の班もカバーしてね」
「もちろんです」「分かりました」
同じ営業部の能見主任と馬宏主任は、迷うことなく返事をしていた。もちろん2人とも加瀬部長に絶大の信頼を置いているため、部長のためなら、と、今どき珍しい忠誠心を持っていた。
「クライアントの方はどうなってるの?」
額田社長が最後の確認をする。
「今日の予定は、ホテル内での物産展の説明会と、夕食まで会場見学を兼ねた市内観光だったのですが…。結局今は夕食まで自由行動ということにして、基本、ホテルの部屋で休憩してもらっています。ホテルには、アンディと白志蘭が待機しています」
本来は第5班の担当なので、郎主任が報告すべきところだが、実際にクライアントとホテルへ行って全てを采配した能見主任が額田社長に伝える。
「夕食場所は?」
「もともと予定していた四川料理店はキャンセルして、ホテル内の広東料理店に変更しました」
事故の後、疲れが出てもいけないという配慮だが、公務とは言え、せっかくの市内観光が消えた分、多少不満は残るかもしれない。
「夕食後、女性客を中心に白志蘭が近くのデパートを案内します。アンディの方は、希望者が居ればカラオケバーに連れて行くことになっています」
ベテランの能見主任らしい日本人向けの配慮だった。
「社長!もし良ければ、私はマッサージの案内をします」
いきなり百瀬が挙手をした。買い物にも興味がない、お酒も飲まない、という人が時間を持て余すことが無いようという提案だ。
今回の災難に、クライアントのため、さらに自分たちのチームのために何かしたいという気持ちからだった。
「万事通(なんでも屋)」と呼ばれる営業部第5班は、普段から互いに助け合うことが多く、そのせいか結束も他の班より固い。
「じゃあ、今夜の事は、能見主任に任せるわ。夕食時の飲み物代は、今夜に限ってウチの支払いで」
ちょっと渋々という雰囲気で額田社長は言って、もう一度加瀬部長に安静にするよう忠告をすると6階のオフィスへと戻って行った。事故の被害者としての対応がまだ残っているのだろう。
それを頼もしそうな眼をして見送って、加瀬部長は郎主任の手を借りながらみんなに向き直った。
「迷惑かけたけど、ま、クライアントへの被害は少なかったし、ウチに責任を求められることもないらしい。それもみんなが適切に対応してくれたからやと思う。ホンマにありがとう。持つべきものは、優秀な部下やな」
冗談めかして言う部長に、一同ニヤニヤする。
「明日からのアテンドは予定通りでいけるんか?」
問われた、担当である5班の百瀬は力強く頷いた。
「ほな、今日は能見主任、馬宏主任もお疲れ様でした。また明日以降も、ご協力お願いすると思いますが、よろしくお願いします」
部長が頭を下げると、2人の主任は近寄って部長を励ました。
「任せとけ。それより、物産展当日は部長無しってわけにはいかないぞ。無理せず、しっかり治せよ」
「こちらの心配は不要ですから、とにかく治療に専念して下さい」
6階から手伝いに来ていたスタッフも、それに同意するように拍手をした。
それを照れ臭そうに受けた部長は、いつも以上に人好きのする笑顔で応えた。
「ほな、もう帰るわ。このまま今日は郎主任も借りて行くで」
「お好きなように」
呆れたように言う能見主任に、一瞬ドキリとした威軍だったが、見た目は一切出さず、冷静なまま黙って頭を下げた。
そして、オフィスを後にする時、郎主任はソッと百瀬に耳打ちした。
「明日以降のことは逐一報告して下さい。明日は定時に出勤します。後はお願いします」
百瀬は何も言わず、笑顔で何度も頷いた。
「主任も…。部長の事、よろしくお願いします」
そう小声で言う百瀬に、郎威軍は珍しく穏やかに微笑んで頷いた。
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