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第7話
不慣れな松葉杖を扱う志津真 を支えながら、威軍 はタクシーを呼び、志津真の服務式公寓 へ向かった。
「夕食はどうします?本当にルームサービスで、いいのですか?」
車内で威軍が確認すると、志津真は露骨に顔を歪めた。
「んなわけあるか。せめてデリバリーか…」
「か?」
「出来たら、お前の手料理がエエな」
「……」
志津真が甘えるように言っているが、半分以上冗談なのは分かっている。威軍に出来る手料理など、たかが知れているのだ。
「今夜は、デリバリーにしましょう」
生真面目にそう応え、威軍はスマホで志津真が好きそうなデリバリーの店を探し始めた。そんな、いつも通りの威軍を、志津真は黙って見詰めている。慈しむような、優しい穏やかな眼差しだ。
渋滞の時間には早いせいか、浦東 地区のオフィスから、淮海路 まで思ったよりも早く到着した。
タクシーが停車すると、制服を着た高身長でイケメンの若いベルボーイたちが駆け付ける。
長くこのアパートの住人である加瀬志津真は、ベルのメンバーにもよく知られていて、その彼が松葉杖をついていることにベルボーイたちも驚いていた。
そのベルボーイたちが好奇心いっぱいで中国語と英語であれこれ質問攻めにするのを、郎威軍が効率よく説明し、彼らの手を借りて志津真をアパートのロビーに運び込むことができた。
特に荷物は無いので、エレベーターまで見送られると、あとは志津真と威軍の2人きりになる。
「ベルの『美青年』たちに人気ですね」
威軍は見たままの事実だとして淡々と言うが、志津真はその裏にある微かな苛立ちを感じてクスリと笑った。
「何が『美青年』やねん。俺のウェイウェイの前では、みんなジャガイモみたいなモンやろ」
志津真が当然のようにサラリと言うと、小さな嫉妬心を見抜かれた威軍は薄っすら頬を染めてしまう。
そんな恋人が可愛くて、愛しくて、志津真は威軍の肩に回した腕に力を籠める。
「なあ、今夜、泊まって行くやろ?」
他人を魅了する、低く、甘く、誘惑的な声で「声優部長」と呼ばれる志津真が、威軍の弱い耳元に囁く。
「明日の朝は出勤ですので、当然、帰ります」
だが、こちらも相変わらず頑なな態度だ。
「知ってる?骨折のせいで熱が出ることもあるんやで。俺、1人で夜中に熱とか出て、死んでしまうかもしれへん」
「…意地悪ですね」
「なんでや?俺を1人にして帰る、ウェイウェイの方が意地悪と違うん?」
エレベーターを降り、部屋まで慎重に歩きながら、威軍は黙っていた。考え込んでいるのだろうと、志津真もまた黙っている。
部屋の前まで来ると、威軍は自分のカードキーでドアを開けた。
それはまるで自宅に帰るような自然な動きで、志津真は、威軍がこの部屋にすっかり慣れたことを改めて感じる。
(もうココはお前の家と同じやのに…)
志津真は、ほんの少し寂しそうに、威軍がカードキーを自分のポケットにしまい込むのを見詰めていた。
「ベッドに行きますか?」
「ん…ちょっと座って休みたいかな」
威軍に支えられながら、志津真は一旦寝室の手前のリビングに向かい、ソファに腰を下ろした。
「何か飲みますか?」
志津真の手足に負担がかかっていないことを確認して、威軍は立ち上がって聞いた。
「ん~。冷蔵庫に、貰いモンの、上等なマンゴージュースがあるねん。お前も一緒に飲むなら、ソレがエエな」
元々は仕事で知り合った駐在日本人たちとも、志津真は親しい。
プライベートで在留関係の相談を受けることも多く、そのお礼として日本製の食品などを贈られることがよくある。母国を離れて長い者同士、どんな物が懐かしいか、あれば便利か、などお互いよく知っているからこその贈り合いも多い。
そんな関係で贈ってもらった、地方の農園直送の果汁100%ジュースは、何でも手に入る上海でも希少で、あったとしても日本の倍ほどの値段がする。
だがやはり、中国産やそのほかの海外製品よりも、日本製のジュースは安全性が高く、何より味が良い。
そんな高級で美味しいものは、恋人と分 かち合いたいと、志津真は週末の自宅デートに向けて準備していたのだ。
「あ!氷は無しやで!」
キッチンに消えた威軍に向けて、志津真が大きな声で叫んだ。
そんなことくらい、とうに承知していた威軍は、すでに口元に苦笑を浮かべていた。賢い郎威軍は、恋人の好みなど全て把握しているし、要求しそうなことくらい予想が付く。
2つのグラスによく冷えたマンゴージュースを注ぎ、威軍がリビングに戻ると、珍しく志津真が、威軍がキッチンに行く前と同じ様子で座っていた。
「大人しく待てましたね」
威軍がそう言ってからかうと、志津真は憮然として答える。
「人を犬みたいに…」
「犬の方が利口な時もありますよね」
威軍にからかわれ返す言葉もなく、志津真は笑ってグラスを受け取った。
そして、隣に威軍が座るのを待ってから、グラスを持ち上げた。
「無事に帰れたことに、乾杯!」
志津真は冗談で言ったつもりだろうが、威軍は素直に笑えない。
「ゴメンな。心配かけて…」
威軍の顔色に気付いた志津真はそう言って、威軍の頬に触れるだけのキスをする。
「事故は…、あなたのせいじゃありませんから」
そう言って微笑む威軍の眼差しは、まだ不安に揺れている。
「…事故の瞬間、クライアントの安全やら、今度のイベントのことやら仕事のことばっかり考えてた。けど、実際に体が衝撃を受けて、気を失うまで、一瞬のことやったはずやのに…」
志津真はここで、威軍の濡れた黒い瞳を真剣に見つめた。
「ウェイの事しか頭に浮かばへんかった。ずっとお前のこと考えてた…」
「…志津真…」
見つめ返す威軍に、志津真はニッと笑ってマンゴージュースを一口、ゴクリと飲んだ。
「うわっ!めっちゃ美味しい!何コレ!」
宮崎県の農園直送マンゴージュースの新鮮さと濃厚さに、大げさすぎるほど志津真が騒ぎ立てた。今度の地方の物産展にも参加する業者だ。
「こんな美味しいモン、ここでウェイウェイと飲めるなんて…。あ~、生きててよかった!」
満面の笑みで、残りのジュースを飲み干す、大げさで能天気な恋人に、威軍はフッと笑って呟いた。
「本当に、おバカさんなんだから…」
そして、志津真にせがまれる前に、自分のグラスのマンゴージュースをゆっくりと味わった。
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