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第8話

 一応、搬送先のセレブ向き病院で、治療の合間に全身の清拭(せいしき)を受けた志津真(しづま)だったが、寝る前に入浴は無理でも、シャワーを浴びたいと愚図り出した。 「いい大人なんですから、一晩くらい我慢して下さい」  威軍(ウェイジュン)に叱られながらも、ベッドの端に座ったまま、ブツブツ言うのが止められない中年男性がいる。 「オッサンになると、加齢臭というのがあってやな。たとえ一晩でも風呂に入らんと、気になるねん!」 「出社するわけでも無いし、誰にも会わないんですから我慢したらどうなんですか」  そう言いながら、威軍は床にバスタオルを敷き、ベッドの横には乾いたタオルを並べ、クローゼット内の引き出しから、志津真のパジャマを取り出して、と忙しそうにしている。 「ウェイウェイに(くさ)いって思われたないし…」  デレデレと甘えてくる上司に、部下は冷ややかな視線を送った。 「私への配慮だとおっしゃるんですね?」  威軍への気遣いを言い訳に、その威軍に余計な作業を増やそうとする志津真の「配慮」を、チクリと痛言する。 「う…。いや…、それは…ほら…」  今は、威軍を不機嫌にする立場ではないことに気付いた志津真は、返答に困ってしまう。 「本気で?」  仕度が整ったらしい威軍は、へどもどする志津真に、急に口調が優しくなった。 「私が、あなたの体臭を嫌がると?」  そう言いながら、威軍は志津真の左隣に座り、頬に唇を寄せ、そのまま耳へ移り、耳全体を舐め上げた。それから耳たぶを甘噛みしたり、耳の形に添うように舌を這わせたりと、実に誘惑的に遊び始める。 「もう、くすぐったいなあ、ウェイウェイ」  あしらうように笑う志津真だが、べちゃべちゃ、ぐちょぐちょという湿った音が大きく聞こえるのが、(あお)られていると実感する。 「加齢臭ってこの辺りから出るでしょう?嫌いじゃないという証明をしているんです」  耳の後ろから首筋に顔を埋めるようにして威軍が言うと、志津真は仕方ない、というように口元を緩め、痛みの無い方の左手で威軍の腰を引き寄せた。 「なあ…、エエか?」  言葉少なくねだる志津真に、威軍は志津真の首筋から耳へと舐め上げ、また耳をしゃぶり始める。そして、そっと右手を志津真の背中に回して自分の身体を支えながら、左手を志津真の下腹部に伸ばす。 「シテくれるん?」 「それを望みますか?」  一度離れた威軍は、志津真の顔を楽しそうに覗き込んだ。 「ん~、一番生きてるって実感できるコトやしな~」  笑いながら言う志津真に、急に真剣な顔つきになった威軍が呟いた。 「本当に…怖かったんです。あなたを(うしな)うかもしれないと思って…」 「ウェイ…」  互いに、相手と自分の胸の痛みに顔を歪める。 「俺かて、お前を1人にするのが怖かった…」  2人はもう一度優しいキスをした。 「ウェイ…イヤならせんでもエエんやで?」  心配そうな志津真の声には答えず、威軍は黙ったままベッドから下りて、志津真の脚元(あしもと)に跪いた。 「怖いんです…」  小さくそう言って、威軍は志津真の安っぽいスウェットパンツに手を掛けた。  今朝、志津真が着ていた高級なオーダーメイドスーツは、事故のせいでダメになり、病院で処分されていた。今着ているのは、病院内で販売されている、安い灰色のスウェットの上下だ。  スタイリッシュな志津真が、こんな格好をさせられているのが、威軍には悲しかった。 「私を、1人にしないで下さい」  そう言うと、祈るような真剣な表情で、中から取り出した大切な宝物に威軍はその美貌を近づけた。  両手で包み込んだソレを、潤んだ瞳で恍惚とした表情で見詰め、唇を寄せたが、気が付いてフッと表情を緩め、上目遣いに恋人を見上げた。  言葉にはせず、志津真もじっと威軍の長い睫毛に縁取られた妖艶な目を見詰める。  互いに求め合っていることに確信を持つと、許しを得たと感じ、嬉しそうに威軍は手の中の物を口に含んだ。  野生の匂いや苦みを感じる。だが、それが志津真の物だと知っているので、微塵(みじん)の不快感も無い。  愛しかった。  何もかもが、志津真が自分に与えてくれる愛なのだと思えて、嬉しくて、幸せで、泣きたいほどだった。  口の中のそれを吸い上げ、舐め、舌で転がした。すぐに反応を返してくれる恋人が愛しい。  いつも自分でも不思議になる。  今も、ずっと誰かに問われているような気がする。 (なぜそんなものを口にできるのか) (なぜ美味しそうに(ねぶ)り、しゃぶり上げることができるのか) (なぜその男を喜ばせようとそこまで必死になれるのか)  自分の中の内なる声に、威軍はただ一つしか答えを持たない。 (愛してる、愛してる、志津真…)  その想いを込めて、威軍は作業を繰り返した。  一方で、こんな無心の行為が出来ずにいた頃の威軍を、志津真は覚えている。  求めると、戸惑い、怯え、無理強い出来ずに志津真のほうが諦めると、まるで愛情に応えられない自分を責めるように哀しそうな顔した。  だが、今なら…。こんな風に積極的な威軍の行為に、志津真は威軍の愛情の深さと確かさを感じて幸せな気持ちになる。  威軍は本当に自分のものになったのだと、堪らなく満ち足りた想いになる。  そして、こんなに愛してくれる大切な人を、1人(のこ)して()ってしまうことになったかもしれないと、改めて今回の事故を心底恐ろしく思う。 「あかん、ウェイ…。口に出した、く、ない…」  志津真もまた、自分だけでなく、威軍も今日の事故のことで傷付き、苦しんだことを知っている。そんな威軍に、これ以上余計な負担を掛けたくなかった。  しかし、威軍は威軍で、愛する男の生きている証しを、どうしても自身で受け止めて、心から安心したかった。 「ぁ…あ、ウェイ!」  引き剥がそうとする志津真に抵抗し、恋人の両太腿に手を掛けて、喉の奥まで恋人の欲望を受け入れた。それは気管を圧迫し、強い匂いを放ち、不快と言える行為だったが、志津真の圧倒的な存在感は威軍を幸せにした。

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