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第10話
「味はどうですか?」
夜8時になって、ようやく落ち着いて夕食を摂 ることになった2人は、志津真 の安静のため、威軍 がリビングのローテーブルを寝室に運び込んだ。
その上に並べた料理は、デリバリーの物ではなく、近くのデパ地下で買ってきた志津真の好物ばかりである。
「わざわざ買いに行ってくれたんか?」
ベッドの上に座ったまま、志津真は巣の中の雛鳥よろしく、威軍が運ぶ食事に口を開けるだけだった。
「デリバリーは今後も利用するでしょうし、栄養のバランスが難しい上に、コストもかかりますからね」
「俺の栄養から、財布まで心配してくれてるなんて、出来た嫁やなあ」
真面目に答えた威軍を、またも志津真が茶化した。
「誰が嫁ですか」
それにも慣れた威軍は、サラリとかわす。そんな当たり前のやり取りが嬉しくて仕方がない。
「あ~ん」
志津真が甘えるように口を開けると、威軍が熱くないように確かめた上で、スペアリブの黒酢煮込みを志津真の口の中へ運んだ。
「ん~、やっぱりここのスペアリブ好きや~。ウェイウェイに任せておけば、俺の好きなモン全部知ってくれてるから間違い無いな」
満足げに咀嚼 する志津真を見詰めながら、威軍も穏やかに微笑んだ。
「ウェイも食べや」
自分の世話に付きっ切りの威軍を心配して志津真が言うと、志津真の口に運んだのと同じ箸で、威軍も肉を口にした。その自然な行為が、密接な関係を意味しているようで志津真は目を細める。
「旨いか?」
「ええ」
言葉少ない会話も、それ以上に言いたいことは分かっている。そんな余計な言葉を必要としない会話ができるようになったのも、志津真は嬉しかった。
(やっぱり「嫁」やん。こんなん、すっかり夫婦と同じやろ)
そんな現状に、志津真は以前から考えていたことを思い出した。
(一緒に暮らせたらいいのに…)
「なあ、ウェイウェイ。今夜、泊まって行けや」
何度も繰り返す不毛な提案を、志津真は懲りずに申し出た。
「今夜だけですよ」
だが、意外な威軍の答えに、志津真の方が驚いた。
「え?」
目を丸くする志津真に、悪戯 っぽい目をして威軍が答える。
「料理を買って来ただけじゃないんです、さっき出かけたのは。一度私のアパートに戻って、明日の着替えなど取って来ました」
「ウェイ…」
あれほど、翌日が出勤の日は泊まらないと断固譲らなかった威軍が?
「ありがとう、ウェイウェイ」
公私の別にこだわる、潔癖で頑迷な威軍が、考えを曲げるほど志津真のことを心配しているのだ。志津真はそんな威軍の思いやりに胸が熱くなった。
「来て」
手招きをすると、志津真は威軍を左手一本でギュッと抱き締めた。
「ホンマにありがとう」
「だって、夜中に熱を出して、死んでしまうかもしれないんでしょう?」
先ほどの志津真のセリフに揚げ足を取るように、威軍はほんの少し意地悪く言った。
「そうやで。ウェイウェイが居いひんかったら、俺は死んでしまうくらいに寂しいんやで」
細く長い威軍の首筋に顔を埋めるようにして、志津真が言った。
威軍はそれには答えず、ただ、自分から志津真の背中に両腕を回した。
その時だった。
「誰からや~!エエとこやったのに」
ムッとしながら志津真は、威軍が手渡した私用のスマホを受け取り、発信者を確認してギョッとした。
「え?なんで?」
志津真の私用電話が鳴ったことで、威軍は気を遣って、飲物を取りに行く振りをして寝室を出た。
「もしも~し、何なん?」
≪何て…。事故に遭 ったって?≫
「なんで知ってるん?」
≪茉莎実 ちゃんが電話くれたんやん≫
「なんでオカンが俺の部下と連絡取ってんねん!」
大阪に独り暮らしをしている志津真の母からの電話だった。
部下である百瀬が、特に指示もなく母に知らせたというのが志津真には腑に落ちない。
≪前に、アンタに渡す物があった時、帰省していた茉莎実ちゃんが、そっち帰るついでに、関空で預けたことあったやん≫
確かに数年前に、必要な書類を、郵送するより早くて、安全ということで、日本に帰省中の部下が上海に戻る際に運んでもらったことがあった。
「なるほど…」
≪あの時、連絡先、交換したの。それから時々連絡とりあってるねんよ≫
確かに、関西のオバちゃんである母と、オバちゃん気質の百瀬とでは気が合ったに違いない。
≪で、どうもないの?≫
「無いわけ無いやん。安静にしなアカンねん。もう電話切るわ」
≪ちょっと~、心配してるのに~≫
「心配はいらんから」
威軍が戻ると、志津真はまだ電話中だった。
その口調から、相手が大阪の彼の母親だということに気付き、微笑ましいと思うが、次の瞬間、威軍は志津真自身に夢中で、彼の家族に連絡をするのを忘れていたことを思い出した。
「はいはい。分かった!ほな、またな」
面倒そうに返事をすると、志津真は電話を切った。
「ったくもう…」
不満げな態度だが、どこか嬉しそうなのは、やはり家族だからだろう。
「申し訳ありません」
「何が?」
ごく自然にスマホを威軍に預け、志津真は威軍の顔を見上げた。
「事故のこと、ご家族にお知らせするのを失念していました」
優秀な部下としては、自分のミスだと自責していた。
「そんなん、いらん、いらん」
深刻な表情の威軍を笑い飛ばすように志津真は言った。
正直なところ下手に実家の母親に連絡をして心配を掛けたくは無かった。だが、後から事故のことを知ったとしたら、それはそれで母親が傷つくことも志津真は分かっていた。
「なんか、百瀬くんが連絡してくれたし。まさかあの2人がコッソリ連絡を取り合ってたとは知らんかったけど…」
「しかし…」
結果的に、母へはこういう伝わり方で良かったのだ、と志津真は思っている。職場から正式に連絡が入れば、母も気になって上海まで飛んできたかもしれない。
実際、桜花企画活動公司 では、傷病時の家族の渡航費などをカバーする保険にも入っていた。
だが、連絡が、日頃付き合いのある百瀬からだったことで、志津真の怪我が大したことでは無い事は正確に伝わっただろうし、百瀬も、母を心配させぬよう上手に伝えてくれたはずだ。
「心配いらん。ウェイウェイは俺のことだけ考えてたらエエねん」
優しい笑顔で志津真がそう言うと、やっと威軍も表情を崩して志津真の隣に戻った。
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