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第11話
「ところで、ウェイウェイに頼みがあるんやけど」
食事を済ませ、バスルームに立つ志津真 の補助をしていた威軍 は、何事かと顔を見る。
「スタバの月餅 って手に入る?」
「はい?」
あまりに思いがけない一言に、さすがの郎威軍も次の言葉が見つからなかった。
「なんか、オカンがどこかで聞きつけたらしくて、食べてみたい、とか言うてんねん。実家に送らへんなら、こっちへ食べにくるとまで言うし…」
用を済ませ、手を洗うと、志津真は歯ブラシを取った。右手が使えない志津真のために、威軍が気を利かせて歯磨き粉のチューブの蓋を開け、歯ブラシに志津真の好みの量だけ出してやる。
「忙しいこの時期に来られてもな~。そやから…」
歯ブラシを口に入れた志津真はモゴモゴ言っているが、要するに、スターバックスがこの時期だけ販売している月餅を、大阪の志津真の実家あてに送れと言うことなのだろう。
「明日にでも手配いたします」
急にビジネス口調になって、郎主任は答えた。
「あ、俺のカード使ってな」
歯ブラシを抜き、それだけを言うと志津真はまた歯磨きを始めた。
威軍が志津真のクレジットカードで決済するのは、もはや日常的なことだった。パスコードも知っているし、何の支障もない。
コップに水を入れ、口を漱 ぐ準備をすると、威軍は一旦バスルームを出て、主寝室の志津真のベッドを整え直した。
そして、ふと思った。
偶然とは言え、日本人の志津真でさえ家族に月餅を贈るのだ。では、自分は?
中国人なら誰しも、幼い頃から中秋節に月餅は食べている。
威軍にとってのそれは、わざわざ買ってまで食べるものではなく、どこからともなく誰かから贈られる物ので、ただそこにある物として、口にしてきたまでだ。
しかし、月餅が勝手に現れるはずもなく、確かに誰かが郎威軍ためにと用意してくれた物だった、と今さらながらに気付く。
この職場に来てからは、例年、贈答用だけでなく、クライアントが必要とした時のために余分に用意することから、余った分をスタッフで分け合うのが習慣になっていた。少ない時でも1人1個は当たるし、多く余れば種類の違うものをいくつももらって食べ比べすることさえあった。
河北省の、北京からかなりの郊外に当たる、山岳地帯の農村にある威軍の実家からは、大都会で暮らす威軍に、田舎の習慣など迷惑だろうと、月餅が送られてくることは、かなり前に止めてしまった。
ならば、逆に都会的な月餅ならば、味はともかく、珍しいと言うだけで実家の家族や親類たちは喜ぶかもしれない。
「ウェイウェイ~ちょっと~」
「はい!」
ぼんやり考えていた威軍は、志津真の声に慌ててバスルームに戻り、志津真が顔を洗うのを手伝った。
「なあ…」
威軍の肩に掴まり、ゆっくりと寝室に戻りながら、すぐ横にある美貌に志津真が話し掛けた。甘く、優しく、少し鼻にかかった低く響く、「声優部長」の本領を発揮した色気たっぷりの声だ。
「ダメです」
その先を察して、威軍は決然と断った。
「まだ何にも言うてへんがな!」
「あなたの考えくらい、手に取るように分かります」
呆れたように言う威軍に、仕方なく志津真も肩をすくめる。
ベッドに戻ると、威軍の手を借りて、骨折した足の下にクッションを入れてもらう。枕の位置も肩の負担にならないように調節してもらい、志津真はやっと落ち着いた。
「念のため、寝る前に鎮痛剤を飲んでおきますか?」
どれも外傷で、いわゆる「日にち薬」しかないのだが、鎮痛剤だけは処方されていた。
「痛みが出てから飲んでも遅いですよ」
脅 すように威軍に言われて、志津真は眉を寄せる。
「実は鎮痛剤を飲ませて、俺をぐっすり寝かせてしまおう、っていう魂胆なんやろ?」
「……」
まさかの図星に、一瞬、威軍が動きを止めた。
「黙ってる、ということは、やっぱりそういう作戦やったんか。俺のこと、そんなに信用できひん?だいたい、こんな腕と足で、ウェイウェイに強引に何ができると…」
調子に乗って語っていた志津真だったが、威軍が何も言わずに、無視するように出て行こうとするとさすがに焦った。
「待って、待って!帰らんといて!」
せっかく威軍が、明日は出勤だと分かっているにも関わらず「泊まる」と言ってくれたのに、その機会を潰してなるものかと、志津真は大きな声で引き留めようとした。
「あなたじゃあるまいし、子供のように拗ねて帰ったりしませんよ。薬を飲むのに、水がいるでしょう?」
威軍は、志津真に絶対に薬を飲ませる気らしく、先に用意しておいた白湯 をキッチンに取りに行くところだった。
「ああ、そう」
今夜はいろんな意味で威軍には逆らえないな、と志津真は思った。
志津真が招いたわけでは無いが、事故に遭い、心配を掛けた。
公私は分けると決めている威軍に、その矜持を曲げさせた。
動きにくい体をずっと支え、サポートしてくれた。
そして何より、愛していると行為で示してくれた。
今日だけではなく、志津真はいつも恋人に対して、自分が与えるよりも、与えられることのほうが多いと思っている。
それが今日は特に顕著になってしまった。
そんな愛情深くて賢明な恋人に、これ以上我儘 を言うのは、さすがに大人げがないと、41歳の男はようやく気付いた。
「薬、飲むわ…」
ちょっと駄々っ子のような顔をして、唇を尖らせながら志津真が言うと、威軍はニッと笑ってキッチンへ向かった。
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