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第13話
少し前の話になる。
桜花企画活動公司 営業部第3班に所属していた川村志延 が、退職願を上司の能見 主任に提出したのは、5月の終わりだった。7月末日をもって退職し、8月には日本へ帰ると言う。
26歳の川村が、上司である営業部長・加瀬志津真41歳に好意を持っているのは間違い無かった。
本人の加瀬部長を夕食に誘って告白した事実もあったし、また、同じ営業部第5班の郎威軍主任と加瀬部長のプライベートな関係に気付いたらしい川村が、郎主任を挑発するような発言をしてきたこともあった。
その川村が退職して日本に帰るとなった時、またも郎主任の出張の隙を狙って、加瀬部長を呼び出し、最後の猛アタックを掛けたのだが、前回同様、撃沈したのだった。その時に、「上司へのお礼」と殊勝なことを言って渡したプレゼントがあった。
駆け引きに慣れた小悪魔な川村志延に振り回された加瀬部長は、うっかり受け取ったプレゼントを、持ち帰り、あろうことかクローゼットにポンと放り込んだまま、失念してしまっていたのだ…。
後日、川村の送別会に参加した郎主任は、最後にチクリと嫌味を言われた。
「僕、失恋のせいで日本に帰るんです」
それが、自分と交際している加瀬部長とのことだと言うのは、以前の事があるので聡明な郎主任にはすぐ分かったが、志津真の気持ちが揺らぐことはないと確信しているため、気にも留めない。
「残念ですね」
郎主任の余裕の笑顔に、川村も怒りよりも諦めのけじめがついたのか、明るく笑っていた。
「主任が捨てたら…僕に下さいね」
そんな冗談を言って、川村は退職し、帰国して行ったのだ。
***
そして、川村が去って数日たった頃、休日に志津真の着替えを片付けていた威軍は、クローゼット内で川村からのカードが付いた、このプレゼントを見つけたのだ。
(本当に、周到な人ですね、川村くんと言う人は…)
ほんの一瞬だけ眉をひそめた威軍だったが、すぐに川村の遠回しな悪戯 だと気付き苦笑した。
威軍を不快させるのが目的ではなく、これが見つかった時の志津真の言い訳を面白がっているのだろうと思う。川村は、志津真が威軍に見つからないように、このプレゼントを捨てるなどと言うことは考えなかったのだろうか。
いや、威軍に対して後ろめたい気持ちがあれば、賢い志津真の事だ、家に持ち帰ることすらせずに捨ててしまっていたかもしれない。川村の事を相手にしていないからこそ、プレゼントをもらったことすら忘れていたのだ。
そんな志津真の行動までを読んでいたのかと思うと、ちょっと川村に苛立ちを感じなくもないが、威軍は、ここは川村の策略に乗ることにした。
「これ、大切な物なのですか?」
恋人がクローゼットの中から取り出した物に、志津真はキョトンとしている。
「何それ?」
全く覚えていないらしく、志津真は不思議そうに恋人が手にしたプレゼント包装された物を見ている。
「カード、読み上げましょうか?」
わざとニッコリとして、まるで猫なで声で威軍は言った。こんな風な、らしからぬ威軍に、志津真がサッと警戒する。
「いやいや、そんな…」
「『本気で好きでした。あの夜のことは忘れません。』」
「ま、待って!」
気が付いた志津真が慌てて威軍に駆け寄り、止めようとするが、威軍は無視して先を続けた。
「『いつまでも待っています。川村志延』…だ、そうですよ」
冷ややかにそう言って、威軍は手からカードを放した。ひらひらと舞うように、川村の悪意が込められたカードが床に落ちる。
「いや…、ほら…、何ていうか…、その…」
床に落ちたカードを見詰めたまま、志津真は何か言おうとするが、今、何を言っても威軍の気持ちを逆 なですることは分かっていた。
「そう言えば、川村くんが言っていました」
「何を?」
戦々恐々といった眼差しで威軍を見返した志津真に、威軍は冷淡な視線で、突き放すように言った。
「失恋したから日本に帰るって」
「し、知らんやん!勝手に言うて、勝手に失恋したんやん!お、俺、関係無いし!」
これが川村の意地の悪い冗談だとしても、なかなか面白い、と威軍は内心思った。こういうことは「経験値」が物を言うな、と察した威軍は、川村がいる間に、もっと教えを乞うべきだったかもしれない、とさえ考えていた。
「忘れられない『夜』だったんですか…」
「は、はあ?た、ただ一緒に食事に行っただけやん!」
「2人きりで…、でしょう?」
「それは…ほら…」
仕事の上では、大局を見据え、かつ細密な判断をする加瀬部長が、こと恋愛に関しては詰めが甘すぎる。
一方で、こんな風に慌てる志津真が可愛くて、ここまで計算していた川村に感謝してもいいと威軍は思っていた。
「こんな物を貰う仲だったんですね」
「なんでやねん!」
そろそろ潮時かな、と威軍は思った。あまり苛めて、志津真が本気で怒り出したら、後が面倒だ。
「私は、気にしませんけど」
「そ、そんなら、そんなんいらん物やし、捨てといて!」
そう言って、機嫌を損ねたように志津真はプイと横を向き、威軍に早く機嫌を取りに来いといった態度を見せた。
そんな様子に、威軍はホッと胸が温かくなる。志津真は心から威軍を信用しているのだと感じるし、機嫌を取って欲しいと甘えているのだ。
(この人が、好きだ)
しみじみと実感して、威軍は川村の「好意」を、わざとクローゼットの目につく場所に置くと、志津真に近寄った。
「捨てるような、『いらん物』って、私の事じゃないですよね」
ちょっと拗ねたように、威軍が珍しく甘えてみると、志津真はすぐにデレデレした顔になり、威軍を抱き寄せる。
「んなわけあるか~。大事な、大事な俺のウェイウェイやで」
そのまま志津真は威軍をベッドに押し倒し、着ている物に手を掛ける。
「いや…。まだ、明るいのに」
「昼間からできるのも、休日の醍醐味やん」
「あ…、あ…ん、そんな…」
威軍の恥じらいを封じ込め、志津真は2人の愛情の深さを確かめ合うことに夢中になった。
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