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第15話
「遅かったな」
午前中半日は、オフィスへ出勤。午後の半日は、加瀬 部長のリモート業務のサポート。と、いう名目で、業務として加瀬部長のお世話を任された郎 主任だが、15時までの社内勤務を終え、15時半には来てもらえると待っていた志津真 にしてみれば、それが17時近くにもなると寂しくて待ち遠しかった。
「業務時間内にどこへ行ってたんや」
リビングでノートパソコンを前に真面目に仕事をしていたらしい加瀬部長は、玄関が開いたのを感じ、振り返りもせずにムッとしてそう言った。
「申し訳ありません。その分、サービス残業の時間は延長しますね」
そんな威軍 の冗談に驚いて加瀬部長が振り返ると、そこに居たのは郎主任ではなく、恋人の「ウェイウェイ」だった。今朝着て出たスーツではなく、私服に着替えている。
「なんか、その言い方エロいなあ」
すっかり機嫌が直った志津真が笑いながら言うと、威軍は手にしたエコバックを持ち上げて見せ、そのままキッチンに入って行った。
キッチンから戻った威軍の両手には、志津真のお気に入りのジャスミンティーが入ったマグカップがそれぞれ握られている。
「ちょうど飲みたかったんや」
調子の良い事を言って受け取った志津真は、そのまま威軍の「ただいま」のキスを受け止めた。
「こちらに来るより先に、アパートに寄って着替えを取ってきました」
この一言で、今夜も威軍が泊ってくれるのだと察し、志津真は嬉しそうに言葉を足した。
「ネクタイ、忘れてへんか?」
「もちろん」
2人は顔を見合わせて、楽しそうにクスクスと笑った。
「昼食は?」
先ほどキッチンがキレイに片付いていたことが気になって威軍が聞くと、志津真はほんの少し自慢げに言った。
「今日のハウスキーパーのおばさんが、俺のファンやねん。掃除のついでにあれこれ世話を焼いてくれて、野菜マントウも温めて、最後に洗い物もしてくれた」
「モテる男はいいですね」
自分のマグカップをローテーブルに置いた威軍は思い出したように立ち上がり、一度キッチンに消えた。そして、キッチンの中からレンジの「チン」という音が聞こえると、志津真にはよく知っている匂いが漂って来た。
「食事の前ですけど、そろそろ、こういう物も食べたいかと思って」
そう言って威軍が差し出したお皿の上には、日本では焼小籠包 と呼ぶ「生煎 」が湯気を上げて並んでいる。
「あいにく、『小楊生煎』のですけど」
実は、志津真は「大壷春」という店の香ばしい生煎がお気に入りなのだ。
わざわざ買いに行くつもりが無かった威軍だが、たまたま通りがかりに、市内に何軒もチェーン展開する、人気の「小楊生煎」を見つけて買って来たのだった。
「十分やって。やっぱり、こういうオヤツは、たま~に食べたくなるなあ」
そう言いながら、B級グルメ的な点心が好きな志津真は、嬉しそうに生煎を箸で摘まみ、添えられたレンゲの上でフウフウと息をかけながら注意して食べ始めた。
「ウェイウェイは?食べへんのか?」
熱さに顔をしかめながら志津真が聞くと、威軍は笑って立ち上がった。
「先に夕食の支度をします」
「そんなん、後でエエやん。こっちおいで」
志津真に誘われ、威軍は隣に寄り添うように座った。
「ほら、食べてみ?」
志津真がレンゲに乗った生煎を差し出し、フウフウと息を吹きかけ、それを助けるように威軍もフウフウと息をかける。
2人で1つの生煎を冷まし、そっと威軍の口へと運んだ。
「熱いで。気ィ付けてな」
パクリと小ぶりの生煎を1つ口に入れ、威軍は熱さにハフハフと息を継ぎながら味わう。
その様子を見守る志津真の眼差しも優しい。
「美味しいやろ?どんなもん食べてても、ウェイウェイと一緒やったら、ホンマに美味しいで」
静かに味わう威軍を、ジッと見詰めながら志津真が言った。そんなことは、威軍も知っている。他の誰でもなく、志津真が居てくれるだけで、食事は美味しくなり、生活は楽しくなる。
細く長い首が嚥下 するのを待って、志津真は唇を求めた。もちろん威軍も拒まない。
一瞬触れただけで、離れるが、すぐにもっと欲しくなる。何度も、何度も触れながら、2人はさらに距離を縮め、ギュッと抱き合った。互いの体温を確かめると、湧き上がる高揚感が抑えきれない。
「ダメです、志津真」
慌てて威軍が押し返すが、志津真はそのまま威軍をソファーに押し倒そうとする。
脱臼した右肩は、もう治っているのだろうか、テーピングをして動かしにくいようではあるが、痛みは無いかのように威軍を押さえつけてくる。
「安静に、と言われているでしょう?」
志津真の右肩に当たらないよう気を付けながら、威軍は抵抗を続ける。
「エエから!」
シーネギプスで固めた右足だけは、ダラリと床に着いたまま、左足を器用に使い、上体と両腕で威軍の動きを封じながら、志津真は夢中で威軍の首筋に顔を埋め、その耳元で計算付くの甘い声で囁く。
「好きや、ウェイ…。今…、欲しい」
こんな濃艶な声で過敏な耳殻を刺激され、平静でいられる威軍では無い。
白い美貌を紅潮させ、薄く唇を開き、長い睫毛が濡れて黒々と重そうに震えている。
自分の声がどれほど効果的で、どうすれば威軍が落ちるのか、熟知している志津真は攻撃の手を緩めない。
「い、いけません…、安静に…」
それでも、生真面目で、恋人の体の事を心配している威軍は、なんとかやり過ごそうと、必死で抗っている。
「ウェイを抱くためなら、腕の一本、脚の一本無くなってもかまへん」
そう誘惑的な声で言うと、志津真は威軍の首筋に舌を這わせ、鎖骨の辺りに軽く歯を当て、喉から顎に向かい、改めて唇を塞いだ。
「お願いですから…」
体中が熱を帯び、瞳を潤ませながらも、威軍は志津真の体を引きはがした。
「今日だけ、我慢して下さい」
泣きそうな顔でこんな風に嘆願されると、さすがに志津真も弱い。
「今日だけ?」
官能に包まれながらも、流されまいとする威軍の清廉さが、なんとも悩ましく映る。もう少しで落とせるのではないか、と期待をせずにはおれない志津真だ。
「はい。明日は…、明日の夜は…」
言いかけて、恥ずかしいのか威軍はギュッと志津真の頭を抱き抱え、顔を見られないようにした。
「ご満足いただけるように、努力します…」
そんな威軍に、志津真が異存のあるはずが無かった。明日は、週末の金曜日だった。
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