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第16話

 加瀬(かせ)部長の、週に一度の診察にも、(ラン)主任は献身的に付き添い、右肩の脱臼はほぼ完治し、右足の骨折も順調に回復していた。  今週末は、ついに日本の地方都市を紹介する物産展が、いよいよ上海体育館のイベントホールで開催される。  週明けは中秋節の連休ということもあり、週末の人出は多く、物産展が盛況になることは間違い無いだろうと思われていた。  この物産展は、上海市商務委員会、上海日本領事館、経済産業省などが後援しており、上海大手商社が主催と言うことになっているが、その実、政府も関わる意外に大掛かりなイベントだ。  日本の特色ある地方都市の物産を紹介することで、中国のバイヤーたちとの契約はもちろん、一般参加者には日本の地方の魅力を紹介することで、当日の物販、ゆくゆくはインバウンドの旅行者を呼び込むための宣伝も兼ねている。  なので、100近いブースが用意されているうち、約半数の42ブースが各地方自治体のもので、他は各地方を拠点とする企業、日本への旅行を紹介する旅行会社、航空会社、ホテルチェーンなどのブースになっている。  桜花企画活動公司(サクラ・イベントオフィス)は、日本の政府系に強いため、参加自治体42都道府県のうち38の地方自治体をクライアントとして請け負っている。  各自治体が参加を決めるまでは、上海領事館内の経産省担当者と、出身者でもある加瀬部長が民間代表として窓口となり、参加者の大半が加瀬部長を知っており、信頼もしている。  それ以外にも、桜花企画活動公司は幾つかの地方色豊かな企業も、自治体と合わせて担当しており、そちらも、相談窓口は経産省担当者と加瀬部長ということになっていた。  そのため、何としても当日は加瀬部長が現場に顔を出す必要がある。  初日の木曜日はプレオープンで、主催者側の関係者や中国各地から来るバイヤーたちのみが入場できる、契約を前提としたビジネス専用の公開だ。  この日が、桜花企画活動公司としては一番多忙なのである。  主催者サイドから、通訳や法務担当者など用意はされているが、充分ではなく、桜花企画活動公司のメンバーは、あちこちのブースに呼ばれて通訳や中国の法律や契約のルールなどを説明することになる。  主に郎主任率いる第5班が担当するのだが、この日は能見(のうみ)3班の陳霞(チェン・シア)と、馬宏(マー・ホン)4班のベテラン、金梨華(ジン・リーファ)がサポートに来てくれている。  第5班所属の4人とサポートの2人は、2人一組で担当するブースを周回し、声が掛かれば出来ることを手伝う。  契約や法律の事で、あやふやな答えが出来ない場合は、スタッフブースに控えている、国際法に詳しい郎主任にお出まし願うことになっている。  今回は、そのスタッフブースに、車椅子の加瀬部長も待機することになっていた。  ただ、顔の広い加瀬部長がスタッフブースで遊んでいるわけにもいかず、時折、領事館のブースや旧知の企業のブースなどに引っ張り出されていた。  そのたびに、郎主任が車椅子を押すのだが、本来の仕事であるクライアントへのアドバイスなどが疎かにならぬよう、この日だけは特別に、桜花企画活動公司の専任国際弁護士である羅艶梅(ルオ・エンメイ)が来て、クライアントのブースを回ってくれていた。  最近、中国でも人気の高い九州のブースに、特にバイヤーが多く集まって来た。中国各都市でも、ちょうど日本のデパートの催事場で行うような「九州物産展」を開催したいと言う声が多い。九州・四国地区を担当していたアンディと白志蘭(バイ・チーラン)、羅弁護士が、クライアントサイドとして、忙しそうに通訳や確認などを行っている。  少し手の空いた百瀬(ももせ)石一海(シー・イーハイ)は、バイヤーがあまり来ていないクライアントのブースを見つけては、バイヤーにその地方都市の魅力を大きな声で宣伝するのを手伝っていた。  さすがに人気の九州のような物産展の開催までは難しい地方都市でも、他社にはないその地方の名産品を専売契約するなど、多少の成果を上げることが出来た。  今日までサポートして来たクライアントが、契約がまとまり嬉しそうにしてくれるのが、桜花企画活動公司営業部の面々にも喜ばしい事だった。 「ありがとう、百瀬さん、石さん。これ、良かったら…」  クライアントが差し出したのは、バイヤーに配布するための、地元の銘菓の試供品だった。 「ありがとうございます!わあ、私このお菓子、日本で食べたことあって、好きなんですよ~。一海くん、これ、日本らしい甘さ控えめの和菓子で、上品で美味しいんだよ~」 「初めていただきます。楽しみ~」  2人がワクワクしながら話しているのを見たクライアントは、急いで試食用の容器を取り出した。 「これ、どうぞ」 「いいんですか~♡」「いただきます~♪」  2人は嬉々として手を出した。 「あ~この味~。懐かし~」 「え~、フワッとして優しい味ですね~。好きだな、この味」  2人がはしゃいでいると、通りがかりのバイヤーが何事かと寄って来る。    すると、隣のブースのクライアントが声を掛ける。 「サクラ・オフィスさん、うちのも試食して下さい」 「そうですか~」「いただきます」  この2人が美味しそうに食べると、なぜか人を集めるようだ。 「忙しいけどさ~。いいお仕事だよね~」 「この漬物の試供品、持って帰ってもいいですか?家で、ご飯と食べたい」 「日本人みたいなこと言うんだから~」  桜花企画活動公司の地道な仕事ぶりの効果があったのか、バイヤー向けのプレオープニングは大いに盛り上がり、予想以上の契約が成立したのだった。 「すいません、このお菓子の試供品、あと…5つほどもらえませんか~?」 「ま、茉莎実先輩…さすがにそれは厚かましいのでは…」 「え?」

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