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第18話

「え?誰、このイケメン」  経産省の窪坂(くぼさか)は、加瀬(かせ)部長がわざわざ呼び寄せた、(ラン)主任の美貌に驚いて、思わず声に出していた。 「どこかの企業のイメージキャラクターのモデルさん?にしては、地味だなあ…」  遠慮のない視線で郎主任の上から下まで眺めては、窪坂は不思議そうに加瀬部長に問いかけた。 「今の俺の部下です。今日は、俺の『お世話係』を押し付けられてるんですわ」 「郎威軍(ラン・ウェイジュン)と申します」  ふざけた口調で紹介する部長の前で、きちんと名刺を差し出し、主任は官僚の窪坂に丁寧に頭を下げた。 「あ、どうも」  窪坂も慌てて名刺を取り出し、2人は日本式の名刺交換をした。 「今日は、俺一人で動けへんから、ずっと郎主任に傍に居てもらわんと困るんです」 「へえ」  なんとなく胡乱(うろん)な目つきで部長と主任を交互に見る窪坂に、郎主任はちょっと苦手意識を感じた。 「裏に、座れるところがあるんで、ちょっと話していきませんか?」 「いいけど?」  かつての後輩に誘われ、懐かしさもあり、断る理由もない窪坂は承諾するが、車椅子を押す後輩の部下と言うのが気になって仕方がない。  控室のソファーに座った窪坂と、車椅子の加瀬部長に、差し入れとして山積みされた、ペットボトルに入った地方名産のお茶を郎主任が用意する。 「あ、そのままでいいよ。紙コップとか要らないから」  さすがにエコを推奨する経産省の官僚だけあってか、窪坂はゴミになる紙コップを断った。 本来であれば、ペットボトルも使いたくはないのだ。 「久しぶりですよね、窪坂さん。日本に帰ってから、どれくらいですか?」  右肩は完治しているはずなのに、部長は当然のように主任にペットボトルの蓋を開けてもらう。 「そうだね~。君が退省して10年?」 「11年になります。ちょうど30歳の時でしたから」  その2年前に、志津真と威軍は出会っている。  けれどその時はたった一夜の通りすがりに過ぎず、その後再会して、威軍が桜花企画活動公司に就職してから、本格的に2人の関係は始まるのだ。 「じゃあ、その3年後くらいかな、僕が本省に戻ったのは」  窪坂は往時を思い出すように、目を細めた。 「じゃあ、窪坂さん、上海は久しぶりですか?」  ペットボトルのお茶を一口飲んで、加瀬部長は訊ねると、窪坂は笑って答えた。 「いやあ、何度も出張で来てるよ。前回は半年前かな」 「なんだ、それなら声かけて下さいよ。たまには一緒に飲みましょうよ」 「こっちは遊びで来てるんじゃないんだよ。前回は大臣と一緒だったから、特に、な」  2人は、懐かしそうに話し込んでいて、郎主任は邪魔をするまいと、少し離れたところに移動した。 「なあ、加瀬くん?」  郎主任が声の届かない所に離れたのを見計らったように、窪坂が聞いて来た。 「きみ、何か様子が変わったよね」  面白がってというよりも、不思議そうに訊ねてくる窪坂に、加瀬部長もキョトンとする。 「別に?相変わらずですけど…。年は取りましたかね」 「それはお互い様だよ。けど…。…あ、結婚したとか?」 「するわけないですよ。結婚するなら、窪坂さんには真っ先にご祝儀を弾んでもらわないと」  バツ2の窪坂には、結婚式の度にお祝いを包んでいることを皮肉っているのだ。 「分かってるって。でも、そうか…」  まだ腑に落ちない顔をしている窪坂に、部長はニンマリした。 「今回は、きみもそんな姿だし、僕も明日帰国だから…。次回は必ず連絡するので、必ず飲みに行こう」  そう言うと、窪坂は腰を上げた。 「もう行くんですか?」 「こっちは仕事で来てるんだってば」 「こっちも仕事ですって」  2人はいかにも気心が知れた仲だという様子で軽口を交わし、笑いながら別れの挨拶をした。  バックヤードの控室を出た窪坂は、そこで部下らしい人物と立ち話をしている郎主任を見つけた。  部下の石一海に指示を与え、郎主任は振り返った。そこに、加瀬部長の知人が立っていた。 「や、どうも!」 「もう、お帰りですか?」  確かに目鼻立ちの整った美形であり、真面目そうだが表情が無い。営業の仕事をしているにしては、隙が無くて近寄りがたい。もう少し愛想がいいとモテるだろうにな、と窪坂は余計な心配をした。 「ちょっと、いいかな?」  どうしても気になることがあり、窪坂は郎主任に声を掛けた。 「はい。なんでしょうか」  警戒しているのか、それともこれが通常通りなのか、まるで機械仕掛けのように淡々とした表情で応対する郎主任に、窪坂はどうしても聞いておきたいことがあった。 「不躾(ぶしつけ)なんだけどさ…」 「はい?」 「きみ、加瀬くんとはどういう関係なの?」 「え?」  初めて、郎主任の目が揺らいだ。  やはり感情のある人間だったのだと、窪坂もようやく確信が持てた。 「いや、プライベートに踏み込むつもりは無いんだ。ただ…」  窪坂は加瀬部長が居る部屋のほうを振り返った。 「彼が変わった原因が、きみのように思えてね」  そう言ってじっと郎主任を見詰める窪坂は、さすがに日本を支える官僚だけあって鋭い洞察力を持っている。 「明るくて、人当たりが良く、クレバーでありながら愛想もいいっていう、表層的な加瀬くんは、変わっていないと思うよ」  窪坂はフッと視線を和らげて言葉を続けた。 「けどね、僕と働いていた頃は、そんな演技をしているようなところがあったんだ。表面的には人間関係の構築が巧くて、人好きがするって感じだけど、その実、何かが欠けているというか…。本質的に孤独な人間だっていう気がしていた」  郎主任は、窪坂と言う人が、かつての同僚として、加瀬部長の事をよほどよく観察していたのか、それとも同僚以上の関心を持っていたのか、と考えていた。 「そんな彼を変えたのは、きみかなって直感したものだから…」  窪坂は、ちょっとはにかむように笑いながらそう言った。 「いや、僕には無関係なのだけれど、ついつい気になることは検証したくなる(たち)でね」  郎主任は答えに困り、いつものように感情の無い顔になり、黙り込んでしまった。 「本当に、済まなかった。余計なことだったよ。できれば加瀬くんには黙っていてもらえないかな。なんだか怒られそうな気がするからね」  何も言わずに、郎主任はただ頭を下げた。 「でも、加瀬くんが、良い方に変わったのは間違いないな。それが、きみのおかげなら自慢に思っていいことだ」  不思議なことを言って、窪坂は軽く会釈をして去って行った。

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