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第22話

 北京国際空港から市内へは約1時間。  一旦そちらの方へ、郎威軍(ラン・ウェイジュン)を乗せた何夏(ハー・シャー)の車は向かう。そこから市内に入る前の環状道路へ、そして郊外へ向かう一般道に入る。 〈思ったよりは混んでるかな〉 〈これだけ流れていれば、連休前にしては良い方でしょう〉  2人はイライラすることもなく、中国にしてみれば「徐行」としか感じられない、時速40キロ前後で道を進んでいた。 〈何夏兄さん、お昼ご飯は?〉  威軍は手にした自分のランチを思い出した。 〈軽く食べて来たけど、お前は?どこかに寄るか?〉  相変わらず面倒見のいい何夏は、自分の事より、威軍の心配をしている。それが微笑ましく、懐かしく、嬉しかった。 〈食べる物はありますよ〉  そう言って威軍は、日本らしい、形の美しいメロンパンを取り出した。 〈水でよければ、ソレ、飲んでいいよ〉  サイドポケットに入れてあったペットボトルを威軍が手に取ると、それは未開封のミネラルウォーターだった。 〈兄さんは?〉  1本しかないペットボトルに、威軍が遠慮がちに言うと、何夏は笑いながらドアポケットのほうから飲み掛けの緑茶のペットボトルを持ち上げた。威軍は飲まないが、中国らしい「微糖」の緑茶だ。 〈俺は、コレがあるから、ソレはお前が飲め〉 〈はい。いただきます〉  それから威軍は、メロンパンの包装を解き、何夏に差し出した。 〈食べませんか?日本のメロンパンです〉 〈へえ~。いいのか?〉  珍しい物を前にして、何夏も嬉しそうに受け取る。 〈ちゃんと前を見て運転して下さいね〉  真面目な威軍は、一応一言添えてから、何夏にメロンパンを渡した。  待ちかねたように、何夏は大きな口で、ガブリと頬張る。 〈お?メロンの味はしないな〉  不満そうに言う何夏に、威軍は笑って言った。 〈メロン味のパンじゃありませんよ。見た目がメロンなんです〉 〈どこが?〉 〈そこは…、日本人の想像力ですよ〉 〈ふ~ん〉  腑に落ちない顔をしながらも、甘く香ばしい菓子パンが気に入ったらしい何夏は、パクパクと食べ始めた。 「你呢(お前は?)」 「我有日本米的饭团(日本米のおにぎりがあります)」 「饭团(おにぎりか)…」  コンビニなどで、日本の「饭团(おにぎり)」はすっかり定着している。  それぞれ日本製の食べ物を楽しみながら、2人は実家までの道のりを進んで行った。 〈お前のおかげで、珍しい日本の物を食べられるとはな。威軍さま、さまだ〉 〈たまたまですよ〉  威軍が静かに笑うと、何夏がますますからかうように言う。 〈昔は、李おばさん()のニワトリに追いかけられて、泣いて逃げ回っていたお前が、な〉 〈でも、いつだって何夏兄さんが助けてくれましたよ〉 〈そりゃ、お前は仲間内で一番小さかったからな〉  懐かしそうに目を細める何夏の横顔が、子供の頃のそれと重なる。 〈一番小さかったが、郎威軍は村一番の賢い子供だった。小学に入った俺よりもたくさんの字が読めたし、計算もできた〉  まるで自分の自慢のように何夏は続ける。 〈それに何より、村だけでなく小学でも、お前ほどに可愛い女の子は居なかった〉  威軍は苦笑するだけだが、何夏は話しているうちに当時が鮮明に思い出されてくるのか、どんどん饒舌になっていく。 〈覚えているか。隣村の、俺と同級だった張麗麗(チャン・リーリー)。名前こそ麗麗だが、色黒で体も大きく、男みたいでさ。アイツにケンカで勝てないものだから、俺たち男組がからかったんだよ〉  威軍は記憶を巡らしながら、黙って聞いている。威軍は、入学前の試験の成績が良いからと、小学校から北京の全寮制の学校へ行ったので、何夏が言っているのは小学校入学前の3~4歳の頃の話で、さすがの郎威軍も記憶が薄れている。 〈男勝りの偽物女の張麗麗より、郎威軍の方がよっぽど美人だ~〉  子供の頃の口調を真似てなのか、何夏が愉快な言い方で、思わず威軍も吹き出してしまう。 〈それを真に受けた張麗麗が怒って、隣村からわざわざお前の顔を見に来たんだ〉  そんなこともあったかなあと威軍は遠くに想いを馳せる。 〈そうしたら、本当にお前の方が美人なものだから、気に入らなかった張麗麗が、お前を突き飛ばして…。お前は水たまりの中に転んで、大泣きしたっけ〉  そこまで言われて、威軍の記憶も薄っすら蘇った。  怖い顔をしたいじめっ子に突き飛ばされたような気がするが、あれが張麗麗という女の子とは知らなかった。てっきり隣の村のガキ大将くらいに思っていた。 〈あの時も、泥だらけになった私を助けてくれたのは何夏兄さんだった〉  懐かしそうに威軍が言うと、満足げに何夏が頷いた。 〈覚えているか、威軍?あの時、約束したこと〉 〈約束?〉  悪戯っぽい子供のような目で、何夏は威軍に視線を送った。記憶に無かった威軍はキョトンとしている。 〈あの時、汚れた体や服を川で洗ってやって、乾くまで俺の服を着せて、泣き止むまで頭を撫でてやった時、約束したの、覚えてないか?〉 〈ごめんなさい。兄さんに恩返しするとか、そういうことでしたか?〉  真剣に考えても、どうしても思い出せない威軍は、困ったような顔で聞き返した。  そんな情けない威軍の表情が面白かったのか、何夏は無邪気に大笑いをした。 〈俺が言ったんだよ。威軍は、夏兄さんに助けてもらったんだから、大きくなったら俺の嫁さんになるんだぞ、って〉 〈え?〉  思いがけないことに、威軍は目を丸くしたまま何夏の顔を、穴が開くほど見てしまう。 〈お前、何て言ったと思う?〉  記憶の無い威軍は、驚いた表情のまま首を横に振った。 〈「うん」って。「うん、何夏兄さんのお嫁さんになるよ」って言ったんだ〉  何夏はそう言って、茫然とする威軍の顔を見ると、勝者のように満足げに1人で大爆笑するのだった。

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