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第23話

 何夏(ハー・シャー)の車が、彼の実家に到着したのは午後4時過ぎだった。 〈威軍(ウェイジュン)、久しぶりじゃないの~〉  何夏の母が威軍を見つけ、飛び出してきた。 〈元気そうね~。うちの阿夏(アシャー)と無事に会えて良かったわ~〉  麓の街で食堂の手伝いをしていた何夏の母は、いつも明るく元気で面倒見がいい。いかにも田舎の肝っ玉母さんといった感じだ。  威軍の両親は教員で、地方の学校に派遣されているので、いつもは1人暮らしの威軍の祖母を、なにくれとなく気に掛けてくれているのもこの何夏の母だ。 〈おばさん、いつも祖母がお世話になっています。今回もご心配おかけしました〉  威軍が丁寧に頭を下げて礼を言うと、何夏の母は呆気にとられた。 〈おやまあ、これが日本式かい?丁寧だねえ。でも、やめとくれよ、威軍。そんな他人行儀なのは、こそばゆくなっちゃうよ〉  おばさんは、働き者らしい分厚い手で威軍の肩をポンポンと叩いた。 〈ほら、お母さんが待ってるよ、早く帰りなさい。阿夏、荷物を運んであげて〉 〈大丈夫です。何夏兄さん、ありがとう。おばさんも、後で改めてお礼に伺います〉  威軍の言葉に、おばさんは愛想良く手を振って見送ってくれた。  これが、故郷だな、と威軍は思う。  何夏兄さんから荷物を受け取り、威軍は歩いて3分ほどの自宅へと向かった。 〈郎威軍かい?大きくなったねえ〉 〈見違えたよ、郎威軍。立派になったじゃないか!〉 〈郎威軍だって?高そうな服だなあ。金持ちになったのか〉 〈いやだ、郎威軍なの?子供の頃から美人だったけど、随分なイケメンになったじゃないの。結婚は?まだ?あら、そう〉  わずか3分で到着するはずの自宅に30分も掛かって、ようやく近所の人を振り切って威軍は帰宅した。 〈帰ったよ〉 〈威軍!〉  奥から母親が急いで現れた。 〈良かったわ。忙しくて帰って来られないんじゃないかと、心配してたのよ〉  久しぶりに会う大きな息子を、母親はギュッと抱き締めた。 〈おばあちゃん、大したことないんでしょう?〉  威軍が訊ねると、母は少し涙ぐんで頷いた。 〈私とお父さんが帰る日の朝だったから、おばあちゃん張り切って掃除や食事の支度をしてくれて…。そのせいで…〉 〈母さんのせいじゃない。気にしないで〉  もう一度、親子は互いを励ますように抱き合った。 〈帰ったのか、威軍〉  遅れて、奥から父親も出てきた。  中学の教員夫婦である2人は、もともと口数が少ない。  1人息子である威軍が、そんな2人の性質を受け継いだのは仕方がなかった。 〈明日、一緒におばあちゃんのお見舞いに行こう。今夜は、近所の人がお前の顔を見に来るらしい〉  元々は、普段それぞれ別の地方の、初中(ちゅうがく)高中(こうこう)の教員をしている両親が帰って来るからと、普段は1人暮らしの祖母が、日頃お世話になっている近所の人に声を掛けた内輪の宴会のはずだった。  中国らしい習慣で、遠くから帰省する者は、家族親戚はもちろん、近所の人にまでお土産を用意する。  大連(ダーリェン)青島(チンタオ)で働く威軍の両親は、いつも海鮮系のお土産持参なので、内陸の山岳地域であるこの村の、近所の人からの評判が良かった。  今年はそれに加えて、久しぶりに威軍までが帰って来たのだ。珍しい顔を見たさとお土産に期待して、親戚やご近所は予定以上に集まるだろう。 〈さっき、上海からの荷物が届いたわ〉  母の指さす方を見た威軍は、それが、自分が発注しておいたものだと気付いた。 〈ほら、持ってやろう〉  威軍が両手に持った荷物を、父親が受け取った。身軽になった威軍は、母が気にしている荷物を開封する。 〈都会にいたら、珍しくも無いだろうけど〉  そう言って威軍が両親に見せたのは、上海で上司から日本へ送るよう頼まれた「スターバックスの月餅」と同じものだった。 〈ああ、学生たちから聞いたことはあるが、食べたことは無かった〉  覗き込んだ父も、興味深げに言った。 〈いくつあるの?おばあちゃんが用意してくれたものと、私たちが買って来たものと…、お前のその珍しい月餅で、親戚や近所に配る分が足りるかしら〉  祖母と母は、嫁姑の仲のはずなのに、なぜかこういう言い方など、年々2人が似てくるのが威軍には不思議だった。 〈人気の商品だから、3箱しか買えなかったんだ〉  威軍が答えると、母は少しガッカリした表情になった。 〈それだけじゃ、お土産に持って帰ってもらうわけにはいかないわね。ここで食べてもらう用にして、飾り付けましょう。あ、おばあちゃんに1箱だけのこしておきましょう。明日、おばあちゃんと私たち家族だけで食べましょうよ〉  そう言いながら、母はテキパキと月餅が詰められた様々な化粧箱を仕分け始める。 〈(ハー)さんの家には、私が買って来た海鮮餡の月餅にするわ。去年も奥さんは喜んでくれたし。村長の(ウー)さんには、こっち。おばあちゃんがお世話になった(チャン)さんはこれにするわ〉  仕分けに夢中になっている母に、父に預けたバッグを受け取り威軍が開けた。 〈母さん、月餅じゃないんだけど、仕事でもらった日本の物産展の商品なんだ。みんなで分けてよ〉 〈まあ、日本の物産展?〉  威軍自身も何が入っているのか知らなかったのだが、大勢で分けやすく、日本食に食べ慣れていない者にも食べやすいような菓子や、肌触りの良いタオルハンカチなど、品質の良さが分かる日常品など、帰省のお土産として気の利いたものが選ばれていた。  有能な部下を持って幸運だと、威軍は薄く笑った。 〈急な事だったから、部下が用意してくれたんだ〉 〈食べ物以外もあるから、伯父さんたちにお土産に持って帰ってもらうのに助かるわ〉 〈気の利く、いい部下がいるようだな〉  両親に言われ、威軍は笑顔で頷いた。 〈さあ、お土産は母さんに任せて、今夜の料理の方を手伝ってくれるか〉  父に言われて、威軍は裏の台所へ向かった。  上海で自分が住むアパートや恋人の服務式公寓(サービスアパートメント)の、機能的な「キッチン」とは違う、古めかしい「台所」だ。  威軍の家に限らず、中国では男女問わずに料理を作る。 〈これ、好きだろう?〉  父は子供の頃の威軍の好物だった、白菜と木耳(きくらげ)の炒めを作りかけていた。シンプルな田舎風の家庭料理だ。  上海では、口の肥えた恋人と毎日のように美味しい食事をしている威軍だが、こんな簡単な家庭の味も、また懐かしかった。 〈今年は、おばあちゃんの、鶏のカシューナッツ炒めは食べられないんですね〉  威軍は残念そうに言って、調理の手伝いをするために手を洗った。 〈そうでもない。材料は買ってあるようだから、私が作るよ〉 〈父さんに作れるの?〉  驚いた威軍が聞き返すと、珍しく父が穏やかに微笑んだ。 〈長年食べて来たんだ。舌が覚えているさ〉  家族の味だ、と威軍はなんだか胸が熱くなった。

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