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第24話

 (ラン)家の食事会は、7時からの予定だったが、すでに6時前には、親戚や近所の人が顔を出し始めた。  中秋節の連休を前に、各家庭でも親戚や友人が集まる夕食会があるため、手の空いた者から、近所に顔を出すのはよくあることだ。  今日の郎家は、1人暮らしの老母が入院したり、都会で大金を稼ぐと評判の1人息子が帰って来たりと噂話には事欠かないため、次々と、日頃付き合いの浅い人までが訪れていた。 〈いつも祖母がお世話になっています〉  仕事先からそのまま飛んできた威軍は、高級感のあるスーツ姿で、見た目の富裕感がとてつもない。その身なりの美しさが噂に噂を呼んで、近所の若い女性はもちろん、奥様方や祖母の同世代の暇な女性たちまでが、次から次へと郎家を訪ねてくる。 〈威軍もすっかり立派になって、ご両親も安心ね〉 〈お婆さんが倒れたからって、すぐに上海から駆け付けたんですって?よくできた息子さんねえ〉 〈日系の企業にお勤めですって?だからこんなに珍しい日本製品が?いいわねえ~〉  威軍はもちろん、両親も来客の対応に追われ、座る暇も無かった。 〈郎侄子(ジーズ)(甥の息子)!まずは顔をみせろ〉  横柄な態度で現れたのは、倒れた祖母の兄で、両親の伯父にあたる殷斉(イン・チー)舅舅(ジュウジュウ)(母方の伯父)とその息子夫婦だった。横柄な態度を見せたのは、用の無いご近所さんを振り払うためで、その実、豪放磊落、陽気で器の大きい、家族内でも人気の舅舅(おじさん)だった。 「(イン)舅舅!」  祖父が早世した郎家で、威軍にとっては祖父のようなものである、祖母の兄は、物心ついた頃から可愛がってくれた、大好きな舅舅だった。 「威軍侄子、好久不见了(威軍、久しぶりだな)!」 「久疏问候(ご無沙汰しております)」  丁寧に挨拶をすると、殷舅舅は相好を崩した。人懐っこい、感じのいい笑顔だ。 〈そう他人行儀な真似をするな。さ、こっちで一緒に座ろう〉  北京からは、まだ近いと言える天津で、小さな写真館をやっていた殷舅舅は、多少強引なところはあるが、面倒見がよく、気のいい老人だ。 〈朱嬉(チュー・ジー)!悪いが台所の手伝いを頼む〉 〈はい、お義父(とう)さん〉  威軍の母と仲の良い舅舅の息子の嫁が、笑いながら2人で奥へ消えた。食事の仕度ももちろんだが、女同士、久しぶりに積もる話もあるだろう。  父と従兄である殷表哥(ビャオガー)(従兄)は、すでに自分たちで料理を運びながら酒の準備をしている。そこへ父の友人らが集まり始める。  狭い家に入りきらない客は、外に用意された、どこかから借りてきたテーブルセットを占領して、威軍が持ち帰った日本製の「柿の種」や、母の大連からの土産である「するめ」などを(つま)みながら、勝手に酒盛りを始めだしていた。 〈どうだ、威軍、仕事はうまくいっているのか〉  幼い頃から見た目もよく、賢い威軍は、舅舅のお気に入りだ。 〈はい。今日も、大きなイベントに参加していました〉 〈お前は出来が良く、成功すると思っていたが、良かった、良かった。妹も、お前の両親も安心しているだろう〉 〈ありがとうございます〉  目上の舅舅に、父が用意したビールを注ぎながら威軍は笑った。 〈それで、お前、結婚は?〉  舅舅の一言に近くに座っていた親しいご近所さんたちも耳をそばだてる。 〈いえ、まだ…〉 〈相手も居ないのか〉 〈まあ…それは…〉  威軍が言葉を濁すと、ご近所さんはもっと聞きたそうな顔をしたが、それに気付いた舅舅が、先んじて言った。 〈上海のような都会じゃ、目移りもするだろうし、お前ほどの男前なら選ぶだけでも大変だろう。焦ってカスを引かぬよう、よくよく吟味して、両親にも相談するんだぞ〉 〈はい〉  言葉少なく返事をして、威軍は俯いた。  愛する人はいる。  だが、結婚は制度上できない。  そして…。  家族に紹介する勇気が、今の威軍にはまだ無い。 〈郎威軍、上海にはいつ帰るの?〉  威軍の祖母の一番親しい友人である(ヤン)老婆婆(おばあさん)に言われ、威軍は丁重に応対する。 〈明日、祖母に会ってから決めるつもりですが、水曜日に帰る予定です〉 〈じゃあ、帰る前にうちにも寄っておくれね。北京にいる姪が、アメリカへ留学していた娘を連れて遊びに来るんだよ〉  一瞬、下心を疑った殷舅舅と威軍だったが、その後の言葉にホッとした。 〈18歳で、まだ子供なのにアメリカだなんて、私は反対したんだけどね〉 〈そりゃご心配でしょうな〉  上手く殷舅舅が話を引き受けてくれたので、威軍は楊婆婆からは解放されたが、次は村長の呉先生に掴まった。  お土産を渡すと、自分だけが特別扱いを受けたような気がして、呉村長はホクホク顔だ。呉村長が手にした日本語が書かれた菓子箱を、周囲の人たちも覗き込む。遠い青島から来たちょっと西洋風の月餅も、関心を集めているようだ。  ワイワイ騒いでいる隙を見て、威軍はそっと居間を離れた。台所の隣にある祖母の部屋。そこでは母の仲の良い女友達が集まって噂話をしている。  それを邪魔しないように、その隣の部屋のドアノブに手を掛ける。その向かいに両親の部屋がある。  威軍は、久しぶりに自分の部屋に入った。小学校から大学まで、ずっと寮生活だったため、この部屋で過ごした時間は短い。それでも家族の家だ。自分が育って来た部屋だ。懐かしい思い出が詰まっている。  その部屋が、これほど綺麗なのは、おそらく祖母が毎日掃除をしてくれているからだろう。  片隅の小さい整理ダンスを開くと、大学生の頃に来ていた服が、かつて威軍が畳んで入れたままの状態で、思い出と共に入っていた。  薄い笑みを浮かべながら、趣味の悪いチェック柄のコットンシャツと薄いデニムパンツを取り出した。  堅苦しい高価なスーツを脱ぎ捨て、学生時代の安物の普段着に着替えた威軍は、スマホを取り出した。  時刻は間もなく午後7時。料理が出される時間だが、その前に威軍はすべきことがあった。 ≪ウェイ、どうや?≫  開口一番、魅惑的な声が自分を心配してくれているのが分かった。威軍に柔和な笑みが浮かぶ。 「ご心配おかけしました。祖母は入院中ですが、大したことは無いようです。明日、見舞いに行きます」 ≪ホンマに大丈夫か?無理するなや?≫  ふと威軍は上海にいる恋人が、どこでこの電話を受けているのかが気になった。 ≪今、どこですか?≫ 「オフィスやけど?」  オフィスで、こんなにこんなに甘い声で話していては、2人の関係が知られてしまう、と威軍は心配になった。 ≪心配いらんって。もうみんな帰ったし、俺だけや≫  威軍の杞憂に気付いたのか、志津真が笑いながら応える  そこに思いやりと愛情を感じて、威軍の胸が高鳴る。 〈お~い、威軍~〉  その時、台所の方から、何夏らしい声が聞こえた。 「ごめんなさい。もう切ります。できれば…、また後で掛けます」 ≪忙しいやろうから、無理せんでエエよ。チャットかメールでもエエし≫  志津真はそう言うが、威軍は恋人の声が聞きたかった。 「では、後で…」 〈威軍?部屋にいるのか?〉  何夏の声が部屋の前まで迫っていた。 「後で、電話します。愛してる」  それだけを言って、威軍は急いで電話を切った。  取り残された志津真の方は、いつもはこんなことを口にしない恋人に驚き、そして嬉しかった。  切られた回線に向かって、志津真も追いかけるように届かない言葉を囁いた。 「俺もやで、ウェイ。愛してるよ」

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