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第30話
バスルームで、のめり込むように交わった後、2人は全身濡れたまま、高級感のあるキングサイズのベッドに、ふざけながら抱き合って、倒れ込んだ。
「「ふふふ…」」
どちらからというでもなく、笑いながら、見つめ合い、脚を絡め、指先はずっと互いの肌に触れていた。そんな無邪気な戯れを楽しみ、志津真も威軍も求めていたものに満たされて幸せだった。
「夕食は…北京ダックですか?」
威軍がベッドサイドの時計を見ると、午後8時半。夕食には少し遅いが、その分、連休中とは言え、予約なしでも、どのレストランにも入れるかもしれない。
「そやな。北京に来たら『全衆徳』の北京ダックってお約束やんな」
グルメな志津真にしては、ちょっと気が乗らない顔つきなのが、威軍には気になった。北京で一番有名な、老舗の北京ダックレストラン「全衆徳」は北京だけでも何軒も支店があり、北京に限らず、中国各地に支店があり、本場の北京ダックを味わえる。日本の官僚や企業の接待にもよく使われるため、志津真もこの店の味は良く知っている。
「『鴨王』なら、上海にもありますよ?」
もう一軒の北京ダック有名店が「鴨王」だが、こちらも人気店なので、志津真の服務式公寓 のある淮海路に支店がある。
「知ってる。前は『全衆徳』もあったけど、どうなったかなあ」
上海には、中国各地の有名な店が次々と支店を出すのだが、老舗の看板だけで生き残るには、上海は厳しいところだ。
北京ダック好きの志津真も、北京発祥の有名店よりも、地元上海のローストダックの店の常連だった。
「じゃあ、軽く麺でも食べに行きますか?」
志津真の顔色を見ながら、威軍は恋人が好きそうな、北京名物の炸醤麺 を思い浮かべて薦めてみる。
それでも志津真の反応は鈍い。
「ん~、肉が食べたくなってきた~。ダックの影響かな~」
とか言いながら、北京ダックを食べたいという様子でもない。ちょっと考えた威軍は、迷いながらも提案してみることにした。
「ラム肉のしゃぶしゃぶ…は、北京の名物ですが…」
モンゴル発祥とも言われるラム肉のしゃぶしゃぶ「羊肉涮」は、寒い北京の名物料理だ。だが最近は、日本の牛肉のしゃぶしゃぶの影響や、四川の鍋料理が人気になったことで、決して北京料理という特色があるものでは無くなった。上海はもちろん、中国のどこへ行こうと似たような「しゃぶしゃぶ」は食べられるのだ。
そんな特色のない料理を、志津真が喜ぶかどうか自信は無かったが、威軍自身は地元の人間として、北京らしい料理だと思って薦めてみる。
「しゃぶしゃぶか、悪くないやん。陽が落ちてからは、もうこっちは寒いんと違うか?寒い時の定番は鍋やろ」
志津真はそう言って、思い出したように威軍を抱き寄せ、足元に蹴散らしたブランケットを引き上げた。
「ウェイウェイがいたら、寒くないけどな」
ニッと笑う志津真の素直な表情に、威軍の胸もふんわりと温かくなる。
「じゃあ、近くの王府井 大街にいい店がありますよ。羊肉だけでなく、牛や海鮮もありますし、スープも辛くありませんから、安心して下さい」
そう言って、威軍は体を起こした。
自分が遠慮なく付けた「痕」を白い肌に纏う恋人が、志津真は眩しいほどに感じる。それほどに、美しく、愛しいのだ。
「いっそルームサービスでもエエけどな~」
ベッドから、そこにいる恋人から、離れたくなくて志津真はそんなことを言い出した。
その一言に、威軍は急に真面目な顔になって答える。
「ホテルの部屋で、こんな風に2人で居るところを知られたくありません。ここは北京ですよ」
威軍の言いたいことをすぐに察した志津真は、黙って肩をすくめた。
例え夫婦であっても男女別姓の中国では、男女が同じ部屋に宿泊する時には身分証だけでなく結婚証明書の提出も要求されるのが建前だ。
もし、婚姻関係が証明できない者同士が、ホテルを利用して性行為を行った場合、売春行為だとみなされ現行犯逮捕されても文句は言えない。
まして、志津真と威軍は、外国人であり同性という、より複雑な関係だ。
「あ、そうや。ウェイウェイが着の身着のままで上海を出たことを、百瀬らが心配してたし…」
そう言って志津真は、ベッドから抜け出すと、部屋の隅に置いてあった自分の年季の入ったスーツケースに近付いた。途中、床に落としていたバスタオルを拾い上げて、腰に巻く。
それを見た威軍も、自分もまた全裸のままでいることを思い出し、きょろきょろと見回すが、来た時に自分で脱いだ学生時代の服が無かった。
「空港に行く前に、お前のアパートに寄って、適当に持って来たけど…。実家に着替えくらいあったんやな」
そう言いながらも志津真は、出張に慣れた者らしいパッキングから、威軍の下着が入った袋や、ラフな私服を、取り出した。
「はいッ」
振り返りざま志津真は、ベッドの上の威軍の前に、見事なコントロールで下着を放ってよこした。
それを手に取って確認した威軍の頬が、一気に紅潮する。
「な、なんでコレを!」
動転している威軍が珍しく、志津真はニヤニヤしながらその様子を見ている。
「なんでって、似合うから…」
「コレは、処分したはずです!」
「ごめ~ん。俺んちにあったから、拾って、洗って、保存してもうた~」
悪びれたようでもなく言う志津真に、威軍は恥ずかしさに加え、怒りも交じってか、ますます赤い顔になる。
「今夜、食事の後、帰れへんように予防線張ってるって言うたら?」
そう言う志津真自身は、お気に入りの海外ハイブランドの、フィット感のあるボクサーパンツを身に着け、肌着代わりのTシャツを着て、若ぶっているのか黒いデニムのスリムパンツを履いていた。
「もう!」
威軍は、手にした黒いほんのわずかな布切れを、志津真に投げつけようとしてやめた。気に入らないとは言え、これを投げつけてしまっては、これから出かけるというのに下着無しになってしまう。
それは威軍が唯一身に着けたことがある「決戦内褌(勝負下着)」だった。
とは言っても、出張先で着替えが無く、ホテルで売店でこれしか売っていなかった、という実に真っ当な理由がある。なのに志津真は、この、光沢のある黒い布が、ほんの少し使われただけのセクシーで挑発的な下着が気に入ったらしかった。
出張帰りの威軍がこの下着を履いていたことが気に入らずに、早々に恋人からはぎ取ってしまったのだが、その恋人が、読み終えた新聞に包んでこっそりゴミ箱に入れたのを目敏 く見つけ、拾い上げておいたのだ。
「脱がせるために履かせるなんて、非合理的ですね」
悔し紛れに威軍はそう言って、渋々と猥褻な下着を身に着け、その上に清潔感のあるスマートな私服を着て、澄ました顔をする志津真と共に、北京で一番有名な繁華街である王府井大街へ繰り出した。
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